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Vol.102 2024.03.29

株式会社デジタルレシピ取締役・最高技術責任者
古川 渉一さん

<前編>

一生自分との闘いをやめない
地道な努力で培う余裕
人を強くする

株式会社デジタルレシピ取締役・最高技術責任者

古川 渉一 (ふるかわ しょういち)

1992年鹿児島県生まれ。中高時代は陸上100mに打ち込み、中1の7月に鹿児島県中学総体で優勝したことを皮切りに複数の優勝を経験。ジュニアオリンピックにも出場。鹿児島県立鶴丸高校卒業後、東京大学入学と同時に上京。在学中の2014年、30万人の学生に利用された学生向けイベント紹介サービス「facevent」を立ち上げる。東京大学工学部システム創成学科卒業後は、エンジニアとして「SocialDog」などの複数のシステム立ち上げに参画。同時期にWebマーケティングの会社ネクストライフを設立。2020年、デジタルレシピCTOに就任。著書『先読み!IT×ビジネス講座 ChatGPT 対話型AIが生み出す未来』(インプレス)等。

AIを活用し「まだ世の中にないサービス」を開発・提供しつづけている古川渉一さん。開発だけでなく本の執筆・メディア出演を通じて「AIの面白さ」も伝えています。公文式の創始者・公文公(くもん とおる)が残した言葉の通り「学年を越えて進む」ことで、数学も勉強感覚ではなくパズル感覚でとにかく楽しかったと言います。東京大学在学中からエンジニアとして様々なシステムをつくり、起業も経験していますが、実は20歳までプログラミングどころかパソコンすらほぼ触ったことがなかったそうです。そんな古川さんが歩んできた道のりとは? 「究極の一人遊び」と表現する公文式から学んだことなどとあわせてうかがいました。

目次

AIは怖くも難しくもない
「AIと共存する未来」を伝えたい

みなさんは「AI(人工知能)」に、どんなイメージを持っていますか。なんとなく怖い、難しい、人の仕事を奪うものなどネガティブな印象を持つ人もいるかもしれませんね。実はAIは、正しく理解して使えばとても便利で面白いもの。私たちと共存し、生活を助けてくれる、ドラえもんのような存在です。私はそうしたことを多くの人に伝えていきたいという思いで、「デジタルレシピ」という会社で取締役CTO(=最高技術責任者)を務めています。

デジタルレシピでは、パワーポイントからウェブサイトをつくる「Slideflow」、AIを使ってキャッチコピーや文章を簡単に作成できる「Catchy」、AIを使ったツールをノーコードで誰でも簡単につくれる「Sphere」という3つのサービスを企業に提供しています。とくに「Catchy」は、私の20代最後の仕事として誕生日前にリリースしたいと、約2週間で開発した思い出深いサービスです。

いずれのサービスも、「難しいもの」を「身近なもの」になるよう、いかに距離を縮めるかという点が共通しています。料理のレシピのように、デジタルの世界でもその通りにつくれば誰でも簡単に成果を出せるようになることを目指して活動しています。

私はCTOなので、開発だけでなく組織のマネジメントもしています。その中でとくに留意しているのは、AIの見せ方、伝え方です。AIを難しいと感じている人に、AIは私たちのパートナーであり、人類の発展や一人ひとりの願望を叶えるためのツールだということを理解してもらうにはどうすればよいか、どう発信するかなどをチェックしています。

日々の仕事の中では、まだ世の中にないものをつくりだしている、しかも自分にしかできないことを、毎日どころか毎時間やっているという実感があります。世界のデジタル技術を取り巻くスピードは、とても早く、そこに追いつき、追い抜く…。そのヒリヒリした感覚を味わえるのが楽しいですし、やりがいになっています。

公文式を続けることで身についた
日々「成長」をふり返る習慣

私は鹿児島県にある人口3万人程度の町で生まれ育ちました。父は公務員、母はクリーニング取次店を自宅で営んでいました。年の離れた姉が二人いて、私が6歳のときには姉たちは自宅を離れていたので、私は一人っ子同然。両親からはかわいがられましたが、干渉はせずに、好きにさせてくれました。これはありがたかったですね。

小さい頃は友だちとも遊んでいましたが、自宅を遊び場にして一人遊びもよくしていました。ふすまの敷居にビー玉を入れて転がすとか、ブロックとビー玉を組み合わせて何かをつくるとか。ジグソーパズルにも熱中していました。母の手伝いもよくしていましたね。

友人の影響で、書道や水泳、そして公文式教室に通っていました。母によると、公文式を始めてから自分で進んで勉強するようになったそうです。そのためか、親から「勉強しなさい」と言われた記憶はありません。公文式は小2から中2まで算数・数学と国語をやっていました。

公文式を続けていてよかったと感じることはたくさんあります。まず、「数学」ができるようになったこと。楽しくてどんどん進み、小4で中2の学習を、中学で高校数学の微分積分を学んでいました。でもそれが「勉強」だとはまったく思わずに、パズルをしている感覚だったんです。数学は早い段階で予習できていたおかげで、その時間を他の教科の勉強に充てることができました。それが受験でも有利になったのだと思います。

そうした学問的な側面だけでなく、「気持ち」の部分で得たことも大きいです。たとえば、今の仕事にもつながることですが、「自分自身と競う」習慣がつきました。公文式は時間を記録するので、同じ教材箇所でも「今日は昨日よりどれだけ早くできたか」がよくわかります。他者と競うのではなく、昨日の自分を超える、「過去の自分と比較する」ようになったんです。

今私が携わっている「新しいものをつくる」という仕事は、新しいので比較する相手がそもそもいません。ですので、「今日の自分は昨日の自分よりも、何か新しいチャレンジをしたかな」と、「自分の成長」を日々ふり返ることが習慣化されました。

公文式では鹿児島県内で表彰もされたので、「やればできる」という成功体験を積めて自信につながったり、「できなかったことができるようになるのは面白い」という考え方を空気のように学んだりしていました。だからこそ、「高い目標にチャレンジしたい」と思うようになったのだと思います。

公文の先生は、好奇心を大事にしてくれ、探究心を育んでくれました。先生とは、大学合格の報告をした18歳の時以来お会いしていませんが、私がテレビに出演すると実家に電話をくれるそうです。覚えていてくださりうれしいです。

勉強もAIもネガティブな先入観を持つ前に
遊びのように触れてみよう

そもそも一人で黙々とやる公文式は、一人遊びが好きな私の性分に合っていたのでしょう。「勉強はコスパ最高の遊び」と表現していた方がいますが、公文式は「究極の一人遊び」だと思います。私が楽しいと思っていた数学も、「因数分解」「微分積分」と聞くとアレルギーが出てしまう人がいると思いますが、一回先入観を持ってしまうと、それを排除するのは難しいですよね。そうなる前に、それを遊びとして認識することが、その後の「勉強」に影響してくるのではないでしょうか。

同様に「パソコンって怖いな」と思う前に、親が使っているから自分も触ってみたら面白かった、というように「怖いもの」という概念がないタイミングで出合わせることがコツだと思います。AIも然りです。

自分は当たり前や偏見が固まる前に、偏見を偏見と認識できるということも公文式から学んだと思っています。「メタ認知」というものですよね。「昨日の自分と比較する」ということで、自己を幽体離脱するように客観視する「メタ認知」につながりますからね。私にはもうすぐ2歳になる娘がいますが、できるだけ小さいうちに、「勉強」というよりは「新しいことを知るって面白いことなんだよ」ということを伝えたいと思っています。

私は小6で身長が172㎝もあって、中学ではバスケットボール部に勧誘されたのですが、「公文魂」とでも言うのでしょうか、「自分との戦い」に楽しさを見いだしていたので、陸上部に入部しました。そこからは陸上競技を通じて自分と戦うようになりました。

ところが、そんな私でも大学入学後は、自分より優秀な人たちばかりで自信を失い、「勉強で一番になれないな」と、登る山を見つけられないでいました。それが2年生の時、高校で一緒に東大を目指していたけれど他大学に進学した友人から、「せっかく東大に行っているのだから、東大でしかできないことをやってほしいな」と言われてハッとしました。

これまでは陸上や勉強などルールが決まっている中で一番を目指していたのですが、大学や社会ではそもそも「何で一番になるか」を自分で探す努力をしなくてはならない。そこに気づかされたんです。

後編を読む

 


 

 

後編のインタビューから

-内定先に就職せず「自分との闘い」に挑む
-中学生のときから変わらず好きな言葉
-「熱中できるもの」にふたをせず成功体験を積み重ねて

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