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Vol.061 2019.04.17

イラストレーター
ながおかえつこさん

<前編>

迷ったときにはまず自ら動こう
周囲の空気が対流し
先につながる流れができてくる

イラストレーター

ながおか えつこ (ながおか えつこ)

大阪府生まれ。地元の小・中・高校を卒業後、金沢美術工芸大学産業美術学科にて商業デザインを学ぶ。卒業後は旧・松下電工株式会社に入社。1998年に退社後、夫とデザイン事務所グラフィオ設立。解散後、イラストレーターとして独立。現在、夫が経営する珈琲豆焙煎所の中に事務所を設け、イラストレーターとして活動中。絵を担当した書籍に『知ってびっくり!歯のひみつがわかる絵本 』シリーズ(くもん出版)、『凸凹あいうえおの手紙』(くもん出版)、『コーヒー豆を追いかけて』(くもん出版)など。

小さいころから絵を描くのが好きだったというイラストレーターのながおかえつこさん。美大卒業後は一般企業に就職し、広告やマーケティング業務に従事していましたが、「絵を描く仕事」への思いが募り、退職してイラストレーターとして独立することに。とはいえ仕事のあてがあっての退職ではなく、一歩一歩、努力と信頼を積み重ねて夢をかなえてきました。現在、絵本や小説・雑誌の挿絵を中心に、キャラクターデザインや広告イラストなど幅広く活躍されています。夢を実現するまでの道のりや、心がけてきたことなどについてうかがいました。

目次

パソコンでも絵の具でもあたたかみのある作品を制作

ながおかえつこさん

私は現在、イラストレーターとして活動しています。以前はデザインもしていましたし、ウェブサイトや広告、パッケージのイラストが中心でしたが、最近は絵本や書籍のイラストを描くことが増えてきました。

イラストと一口にいっても、その描き方はさまざまで、最近はパソコンで描くケースが多いですね。例えば昨年12月にくもん出版から出した『むし歯のしょうたい』もパソコンで描きました。こうしたテーマは、奥歯の様子や治療器具などの正確性が求められます。その場合は、パソコンで描くほうがしっかりかけるのです。修正のスピードが速いのもパソコンのメリットです。

パソコンではなく、絵の具を使っての手書きの仕事もありますし、鉛筆書きをしたイラストをパソコンに取り込んでパソコンで全体の明るさを調整したりと、組み合わせて制作する場合もあります。

パソコンか絵の具かで、イラストのタッチは変わってきますし、クライアントからは「柔らかい感じで」「やさしい感じで」「硬い感じで」など、さまざまなオーダーが寄せられるので、それに応じて描き分けています。私としては、手書きで原画として残るものが好みですが、いずれにしても、あたたかみのある作品をつくることを心がけています。

じつは、夫が経営している珈琲豆焙煎所も手伝っていて、ひとつ100円で買えるマフィンやチーズケーキなどの小さなおやつや、カレーなどを手作りし、お客さまに楽しんでもらっています。

店内ではコーヒー関連の商品に混じって、私がつくった作品……たとえば、帆布に猫など動物を描き、中に古布を詰めてつくったぬいぐるみなども置いています。中に石を入れて重くしてドアストッパーになるものもあります。

そんな店の奥の小部屋が私の仕事場のひとつ。パソコン作業はそこでします。店が多忙なときはイラスト制作中に呼び出されたりもしますが、結構気分転換にもなるんですよ。
絵の具を使って描く場合は、ここでは場所が足りないので、店の3階にある実家の一部屋を使わせてもらっています。

イラストレーターになる原点となった子ども時代

自然に囲まれ、
生きものを一人黙々と観察した子ども時代

ながおかえつこさん

現在焙煎所を開いているこの場所は、もともとは私が小学生のころ、母が店を始めた場所でした。父は別の場所で喫茶店を開いていて、その影響か、専業主婦だった母は私が小学校1年のころに、田んぼに囲まれたこの店舗住宅を見つけ、引っ越してきたのです。

母は最初はパン屋さんの看板を掲げていましたが、そのうち七宝焼きや岩のり、バッグ、ラジコンなどいろんなものを売るようになって、私から見たら「何でも屋」でした。好奇心旺盛な母には、インコを肩にのせて洗濯物を干していたらインコが飛び立って逃げてしまったなど、さまざまな逸話があるのですが、革細工を始め、古布を再利用したりと、作ることが好きなのです。店のコースターも母の手作りです。私がものづくりが好きなのはそんな母の血を受け継いだからかもしれません。一方、商売をすることに違和感がないのは、父の姿を見ていたのが影響していると思います。

マイペースな私は、子どものころは友だちと遊ぶというより、田んぼでカエルの卵を見つけたら、塊ごとどさっとバケツに入れて持ち帰って観察したり、水路でフナをとったりと、ひとりで自然の中で遊ぶタイプでした。

絵を描くのも小さいころから好きでしたね。描くのはやっぱり動物。飼っていたインコの絵を、実物に似せて描くというより、マンガっぽくかわいらしく描いたりしていました。マンガといえば、中学時代はテニス部でしたが、部活の仲間もマンガ好きで、よく回し読みをしていました。学校にはマンガは持ち込み禁止だったので、うちの店に置いておいて、仲間が帰宅途中に立ち寄るんです。この店が中継地点になっていました。楽しい思い出です。中学でテニス部に入ってからは、絵のほうは友だちの似顔絵を描く程度でした。

公文式学習を通して身についたものとは?

メリハリをつける学習習慣がついたのは公文式のお陰

ながおかえつこさん

父も母も店で忙しかったので、何か習い事をと通い始めたのが公文式教室でした。小学校低学年から算数をはじめて、中学年から英語もやるようになりました。

公文式の算数は何度も繰り返すので、お陰で計算は速く正確にできるようになりました。試験では計算はさっさと済ませ、苦手な文章問題にじっくり取りかかることができたのがよかったです。私は今でも電卓は苦手です。

公文式に通っていて身についたと思うことはもうひとつあります。それは、やるべきことを早くやって、ダラダラやらない、メリハリをつけるという学習スタイル。高校の受験勉強でも、「夜11時まで」と決めてやっていました。それ以降机に向かっていても、眠くてスピードが落ち、つらくなってしまうのです。それよりも時間を決めて一気にやって切り替えるほうがいい。今でも絵を描くこと、休憩すること、店の仕事をすることと、結構パッと切り替えられるのは、そのおかげかなと思います。

進学した公立高校ではテニス一筋で、絵はほとんど描いていませんでした。でも高校二年生の後半、進路を考えるようになったとき、やはり美術系の大学に行きたいと思ったんです。高校の美術の先生にデッサンを見てもらうほか、「皆にもまれたほうが伸びるから」と、その先生のアドバイスで、美術系大学への進学希望者が行く研究所にも通いました。

それまでぼやっとしていた自分の将来でしたが、その研究所では皆必死で学んでいる。その様子に私も刺激を受け、受験生でしたが充実した日々を過ごしました。両親は、「やりたいことをやったらいい」と応援してくれて、金沢美術工芸大学へ進学することに。じつは地元の芸大を志望していたので、少し挫折感がありました。一人暮らしも初めてだったので心細かったのも事実です。でも、金沢美術工芸大学はお世話になった美術の先生の出身校でもありましたし、行ってみると同じような一人暮らしの友人ばかりで、とても楽しい学生生活を送ることができました。

  • じょうずな歯みがき
  • むし歯のしょうたい
  • 歯いしゃさんはこわくない

後編を読む

関連リンク Etsuko Nagaoka Illustrations


ながおかえつこさん  

後編のインタビューから

-会社を辞めてイラストレーターの道へ
-本物”に触れて、“感じて”書くことを大切に
-ながおかさんが心がけていること

後編を読む

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