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Vol.010 2014.06.13

化学者 北野政明さん

<後編>

にぶち当たったときは
自分が変わるチャンス
その経験が、また自分のになる

東京工業大学元素戦略研究センター 准教授

北野政明 (きたの まさあき)

1979年大阪府生まれ。大阪府立大学工学部卒業、同大工学研究科応用化学分野博士課程修了。2013年より東京工業大学元素戦略研究センター准教授に。

若くして東京工業大学の准教授となり、国家プロジェクト「元素戦略プロジェクト」の拠点の1つである同大・元素戦略研究センターで活躍する北野政明さん。意外にも高校では理系科目が苦手だったとのこと。研究者を志す原点や研究に注ぐ思いをうかがいました。

目次

英語は特に苦手で、ローマ字で名前を書くことすらできなかった中1のころ

化学者 北野政明さん

小さいころは「昆虫博士になるぞ」と思っていたのですが、中学生になっても全然勉強しなかったんです。毎日虫を捕るか、友だちとスポーツしたり遊んでばかり。そもそも勉強の仕方がわかっていなかったと思います。全教科の成績がよくなかったのですが、英語は本当にひどかった。今でも中学1年、初めての英語の定期試験を鮮明に覚えています。「ローマ字で自分の名前を書きなさい」という問題ができなかったんです……。さすがに三者面談で、先生に「そんなのはお前くらいだ」と言われました。両親はいつも僕の意志を尊重してくれ、「勉強しろ」とは言いませんでしたが、さすがにこのときは母も必死になって、なんとかしなくてはと塾を探したようです。

そうしていろいろ調べた結果、たぶん「この子はふつうの塾ではついていけない」と思ったようで、公文の教室に通うことになります。でも、低学年の小学生がスラスラ英語の教材を解いている横で、体のでかい中学生の僕が、ローマ字の練習から始めたんですね。めちゃくちゃ恥ずかしかったですよ。毎日、山のような宿題が出て、それを必死でやりました。同じ学年の子に「そんなことやってんの?」とからかわれたときは、何も答えず、心のなかで「絶対に見返してやる」と思いましたね(笑)。負けず嫌いな性格は父親ゆずりのようです。

公文の学習で、自分の理解に合わせて勉強を進められたことで、勉強の仕方がわかったと感じました。自分で時間を作って、自宅で勉強する習慣もできました。英語はもちろん、公文で学習していない教科の成績も良くなり、やがて全教科が好きになった結果、高校は進学校に進むことができました。

ところが、高校の授業は情報量とスピードがすごくて、勉強が急にきつくなりました。僕は、理解するペースは速くないタイプなので、理系科目はすべてイヤになって、大学は文系に行こうと考えるようになっていました。でも、高校3年になって真剣に将来を考え、自分で大学のことを調べるようになって、漠然とですが、理系のほうがおもしろそうだな、環境問題の解決に関わるような仕事をしたいな、と思うようになったんです。

小さなころから夏休みは、山に囲まれた両親の実家で、虫を捕ったり、魚を釣ったり、自然のなかで遊ぶのが大好きでした。それを守りたいという思いが、おぼろげながらあったのでしょうね。それで理系に進路を決め、真剣に勉強するようになったんです。

北野さんが「苦労した人が好き」な理由とは?

迷ったらあえて苦労する道を選び、本当の力を身に付けたい

化学者 北野政明さん

一所懸命に勉強したのですが第一志望の大学には入れず、自分としては大きな挫折感を味わいました。でも、負けず嫌いの性格が幸いしたのか、入学した大学では自分の志望した研究室に入ることができて、環境問題に結びつく触媒の研究に関わることができました。

ところが大学院に進むと、けっこう大きな壁にぶつかります。博士として卒業するためには英語で論文を書かなくてはいけないんですね。かつて克服したと思っていた英語も、博士論文を書くとなると全然勝手が違うので……。初めて書いた論文を出したとき、担当の教授から強くダメ出しをされてしまいました。その後はいろいろな英語の論文を読んで、専門用語や論文独特の書き方も学びました。

英語だけでなく、実験にも苦労しました。なかなかいい結果がなかなか出せなくて。博士になるには、3年間である程度の数の論文を書く必要があるのに、1年、2年の間に論文がなかなか出せなかった。それで、3年になると大学に泊まりこみで、何日も徹夜して実験を重ねました。焦りも不安もありました。けれど、今を耐え切ればきっと上手くいくと信じていました。というか、そう信じようと思っていました。子どものころからいろいろな人の伝記を読んで、成功する人は必ず多くの苦労をしている、と学んでいましたから。

もちろん現実には、耐え抜いても、必ずしも良い結果が出せるとは限らないでしょう。しかし僕は、やはり「すごく苦労した人」が好きなんですね。苦労した人は、土台がしっかりしている。だから自分も苦労して本当の力をつけたい、そういう気持ちがあります。そして、努力や苦労を積み重ねていけば、どこかで花咲くだろう、と思っています。

両親もそういう考えだったと思います。「悩んだときは厳しい道を選べ」とよく言うんです。楽な方は選ぶな、とも。だから、僕も自然とそう考えるようになったのかもしれません。今でも壁にぶち当たったときは、自分が変われる、また力をつけるチャンスだと考えるようにしています。

互いの可能性が開かれていく楽しさとは?

結果が見えないことに向かって、悩みながら仲間と歩んでほしい

化学者 北野政明さん

自分が教えている学生を含め、子どもたちに伝えたいのは、やはり進路を決めたりするときには、あえて苦労するプロセスを選んでほしいということです。本当の力をつけてほしいというか。そこで結果が良くなくても、それは全然かまわないと思います。例えば、何かを研究するときにも、結果が容易に予測できるようなことをするのではなく、未知のことにチャレンジして、そのプロセスで苦労して、悩んで、自分なりに考える力、まとめる力を身に付けることが、人生には大切だと思っています。

そのうえで、自分ひとりでできることには限界がある、と僕は考えています。例えば今僕がやっている触媒の研究でも、既存の半分以下のエネルギーという目標を実現するには、自分のペースで研究を進めればいいというわけではなく、もっとダイナミックに進めなくてはいけないと思うんです。それは、ただたくさん実験をすればいいというものではなく、攻め方を考えるというか、つねに賢く進める方法を探すことだと思っています。そのためには、いつも新たな学びが必要で、いろんな人と積極的にディスカッションをくり返すことも必要です。

お話ししてきた通り、僕は純粋に研究がしたいという思いで研究者になったわけで、教える側の大学の先生を目指したわけではありません。でも、実際に研究を進めていくと、教える側・教わる側ということとは別に、やはり自分だけではたどり着けないことがわかりました。いろいろな考えを持っている学生や先生と接して、互いの可能性が開かれていくのは素晴らしいことだと感じています。

ですので、学生の持っている可能性を引き出すきっかけになれるような教員を目指したいと今は考えています。もちろん講義も大切ですけれど、研究室のなかで、一緒に未知のことに取り組み、悩み迷いながら、また楽しみながらともに研究を重ね、それが互いの成長にもつながる。そんなふうに、仲間とともに社会に役立つ研究を続けていければと思っています。

関連リンク
東京工業大学 元素戦略研究センター

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