「変な文字」をずっと書かされたことで
「書道のおもしろさ」に開眼
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私が書写教育の道に進むことになったのには、父が筆耕の仕事や書道教室を開いていたという環境のほか、いくつかの出会いがあります。父はもともと小学校教員でしたが、戦後、毛筆で筆耕の仕事をするようになり、わたしは物心がついたときから、父の手書きによる表札や名刺、広告などを見て育ち、父の「整った字」が最高の字だと思うようになりました。
書の道に進むきっかけとなった出会いのひとつは高校時代の書道の先生です。授業中、あることがきっかけで、ある個性的な字を書かされました。私は書道にちょっと自信がありましたし、父の字が一番だと思っていたので、「なんだ、こんな変な字。先生はぼくを下手にさせようとしているのだな」と思いました。なぜか、私だけ、ずっとその「変な字」を書かされ続けていたのです。
ところが書いているうちに、「書道ってこんなにおもしろいんだ」と開眼。今思えば、その先生は、私にいろいろな字があることを、教えてくれようとしたのかもしれません。それまで父から教えられたことはありませんでしたが、「こんな変わった字を習った」と伝えると、父は「待っていました」とばかりに、書棚の奥からその「変な字」の関連書籍を出してきていろいろ教えてくれました。私が自ら関心をもつことを待っていたのかもしれません。それから芸術的な書に目が向くようになりました。
その「変な字」とは、じつは中国の北魏(ほくぎ)時代の文字でした。それでそのうち漢字のおもしろさにひかれ、愛読書の著者である中国古代文化の研究者、加藤常賢先生が学長を務める二松学舎大学に進学。学長でありながら教鞭も執られていて、私は学部でも大学院でも教わりました。予習をしてこないと退出されるような厳しい先生で、学問に対する真摯な態度は、今でも見習いたいと思っています。
一人の学生のおかげで研究テーマが決まった
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漢字への興味から、今度は古代文字を紐解こうと、大学院のゼミでは古代文字研究者の赤塚忠先生のもとで、甲骨文字を研究するようになりました。一方、前衛的な書に憧れ、将来的には書家を目指していました。
大学院では書道の授業はないので自分で書き続けていました。じつは今でもそうですが、私は「あるもの」を追究するより、「ないもの」を作り出していくことに関心があり、当時も「自分の世界を作り出したい」と考えていたのです。ところが博士課程を終えるころ、都留文科大学の専任講師の話があり、そこで出会った一人の学生が、わたしのその後を方向づけてくれました。
私は書写・書道では初めての専任教員だったため、その学生から「書写教育で卒業論文を書きたいので指導してください」と頼まれました。しかし書写教育をしっかり学んでいなかったので断ったのです。すると学生は「専任の先生なのに」と不満顔に。それはそうですよね。そこで、「これを機に学び直そう」と思い直しました。それまで「書写はこういう原則でできている」と教えてくれる人はいましたが聞き流していましたし、「書道をやっていれば書写はわかる」と高をくくっていたのです。
それが、学生と一緒に論文を探し始めたら、書道に比べとても少なく、勉強する糧がない。これでは発展しにくいだろうと、一から書写を真剣に見つめ直すようになりました。学生とともに探求した3年間があったからこそ、今の私があると思います。その学生は、「やりたいことだけをやっていればいい」という自分本位の考え方を「待てよ」と引き戻してくれた、私のテーマをつくってくれた恩人です。彼はいま、立派な教師になっています。
書写教育の重要性を再認識するようになったのは、教壇に立つようになったころ、まんが字が流行したことも影響しています。毛筆文化を守っていきたいと思うようになり、書の作品は二の次にして現在に至っています。
「子どもがチャレンジできる環境作り」をするのが大人のチャレンジ
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そんな私の経験を踏まえて子どもたちに伝えたいのは、そのときどきで夢中になれることを一生懸命やってみようということです。あれこれやるのも必要ですが、1回、とことん夢中になってみることをお勧めします。私は高校時代の書道の先生からきっかけをいただき、書道をがむしゃらにやっていて、そこから書の深い世界に入り込むことができました。勉強でも部活でも趣味でも何でもいいと思います。興味をもったことに深入りしてみると、表層的な部分ではないものが見えてきます。どんな分野でも、ほじらないと見えないものがあると思います。
少子化のなか、保護者はひとり一人を大切に育てていると思いますが、子どもの可能性を広げてあげるには、冒険させてみることも大事だと思います。子どもがチャレンジできるような環境作りをするのは、親のチャレンジといえるでしょう。そして、親は「やらせる」のではなく、一緒にやってみてはどうでしょうか。
![]() 「愚直」 (68.2×35.0) |
私自身の今後については、「新しいもの」を作ってみたいという野望はあります。書道は古典をベースにしていますが、それを超えたものとはどういうものか、それがある種の前衛だと思うので、そういう作品作りをしてみたいですね。命が命をつくっていく、そんな「人間くさい生命観」が感じられるような書が書けたらと思っています。
そして何より、書写教育を充実させるのが私の夢です。いままでやってきた書写教育のあり方をもっと深め、子どもたちが文字を書くことに興味をもつような指導法や、整って書くための方法を究明したいですね。「字は読めればいい」だけではありません。そうした意識改革も、広く推進していきたいと思っています。
※左の書は本記事のために宮澤先生がお書きくださったものです。一つの方向に正直に進む意がこめられています。
関連リンク 山梨大学教育学部・大学院教育学研究科