肩書きはハッピークリエイター
「楽しくなければ仕事じゃない」
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いま僕の名刺には、「ハッピークリエイター」と書いてありますが、この会社に入った当時は「イラストレーター」でした。いや、「いなせなイラストレーター」でした(笑)。そういう肩書きにしていたんです。でもね、あるとき“自分はこれからイラストの域を超えて、もっといろんな仕事をしていきたいな”と思うようになったんです。だとすると、この「イラストレーター」という肩書きはちょっと違ってくるよな、と思ったんです。
たとえば、今だと「くろくまくん」のお仕事ではお話も書いています。僕は兵庫県西宮市に住んでいるのですが、西宮市のキャラクター「みやたん」は、デザインだけじゃなくて『みやたんマーチ』『みやたん音頭』『みやたんえかきうた』っていう歌も作詞作曲してるんですよ。とりあえずできることは何でもやってみたいと思う。やりたいと思ったことはやってみる。そういう感じですね。
一方では、クリエイター集団の会社の代表取締役でもあります。ただ、社長とはいえ一人のクリエイターですし、僕は絵を描くためにこの会社にいると思っているので、一番大事なのは絵を描くための時間をとりたいということです。極端な話、「絵を描く」以外のことなら、それが得意な他のスタッフさんにやってもらおうと。そうはいっても、会社のこれからの方向性を決めたり、何かしらミスがあったときに「ごめんなさい」と謝りに行くとか、そういうのは社長の仕事ですね。あとはまわりのスタッフにほんと助けてもらってます。僕は「楽しくなければ仕事じゃない」と思ってるんですよ。社員にも「みんな楽しくやろうや~」って。
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たかいよしかずさん(さく・え)の「くろくまくんのかたりかけえほん」シリーズ 全3巻(各540円税別)
くもん出版より1月30日に刊行
好きなことをやめずにやってきた
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幼稚園の頃から絵を描くのがとても好きな子どもでした。ある日クラスの友だちに、「怪獣の絵を描いて」って頼んだんです。そしたらその子はゴジラの絵を描いてくれた。もちろん幼稚園の子が描く絵なんで、とくにリアルとかいうわけではない。でも、ゴジラだってわかったんです。二本足で立っていて、背中にトゲトゲがあって、口から火を噴いてる。特徴をよく捉えていて、見た瞬間「あっ、ゴジラ描いてくれたんや!」ってわかるようなね。ただそのとき僕は、「あーこの子には勝てない、この子のほうが絵が上手い!」と思いました。もう、スタートから挫折でした。
じゃあなんでいま絵を描く仕事ができているかっていうと、やっぱり絵を描くのが好きで、やめずにこれまでやってきたから。それに尽きます。「好きなことをやめずにやってきた」ってすごく単純ですけど、そこしかないですね。
幼稚園のときから自分より上手い子がいて、当然、大人になっても僕より上手い人なんて山のようにいる。下からは実力のある若手がどんどん出てくるし。じゃあなんでこの仕事を続けられるのか。
これはよく言ってることなんですけど、仕事に関しては「好き/嫌い」「合う/合わない」「やる/やらない」の3つしかないと思っています。たとえば「好き/嫌い」。エラい巨匠の絵があるとして、その絵を見ておっちゃんが「ようわからんわー」なんて言ってたりする。それでいいんです。わかる・わからないではなく、自分が好きか嫌いかで判断することも大事なことだと思うんです。
あと「合う/合わない」。これは上手い・下手ではなくて、その絵がその人に合っているかどうか。僕は人間を描くことが実はとても苦手で、『怪談レストラン』ではそれに苦しめられました。「合う/合わない」だと、たぶん「合わない」だったのかもしれないけど、その時は「やる」と決めたから、とことん人物の絵を描く練習をしました。そこからまた新しい道が開けたと思っています。
絵に描いたような「おバカ男子」だった幼少期
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将来の夢は、漫画家になるか、昆虫博士になるか、怪獣博士になるか、でした。小さい頃はよく虫取りに行っていました。家の近くにお墓があって、そこに大きなクヌギの木があったんですね。カブトムシとかクワガタとかがとれるような。夢中になって虫を取って、泥だらけで帰ると親に怒られるんですよ。「また、あんたは!」って。
うちは団地だったんですけど、団地の廊下は広いから、雨の日は段ボールなんかをバーッと広げて、そこで秘密基地を作ったりもしていました。親は勉強させたかったみたいですけど、押し付けられるのが嫌で、ずっと逃げ回っていましたね。
こんなこともありました。母親と出かけて難波まで買い物にいって、理由は忘れたのですが、母親と揉めたんです。「もう帰ったる!」と思って、プイっとね。ただ電車賃はないから、ひたすら歩いた。結局たどり着けなくて「すんません、迷子になりました!」って交番にかけ込んだわけですけど……。絵に描いたような「おバカ男子」でしたね。電車に乗っても45分から1時間くらいかかるような距離。たしか小学3~4年生くらいでしたが、今思えばよう歩いて帰ろうと思いましたよ、ほんまに(笑)。
そんな感じで育って、いよいよ大学進学のときに改めて、「絵を仕事にしたい!」と思って、その時ですね。自分から「勉強しなければ」と痛感したのは。ただ現実は残酷でした。大阪芸大志望者の夏期講習を受けたら、200人中198番。慌てた母親が受験生のための絵画教室を見つけてきて、それから毎日終電までずっとそこで絵を描いていました。たぶん今より描いていたんじゃないかなぁ。
関連リンク 京田クリエーション
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後編のインタビューから -絵本作家に至るまでの道のり |