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Vol.024 2015.09.25

早稲田大学商学学術院教授 井上達彦先生

<後編>

学びは本来わくわくする楽しいもの
「知りたい!」という欲求
「食べたい!」と同じ
人間の根源的欲求

早稲田大学商学学術院教授

井上 達彦 (いのうえ たつひこ)

1968年兵庫県生まれ。1997年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了、経営学博士。広島大学社会人大学院マネジメント専攻助教、早稲田大学商学部助教授などを経て、2008年より現職。独立行政法人経済産業研究所(RIETI)ファカルティフェロー、ペンシルベニア大学ウォートンスクール・シニアフェローなどを歴任。おもな著書に『模倣の経営学』『ブラックスワンの経営学』(いずれも日経BP社)など。

アメリカのように、日本でも「起業」を目指す若者がもっと増えてほしい――そんな思いで大学生に「実践の経営学」を教える井上達彦先生。さまざまな企業の事例研究を通じて、「模倣」がイノベーションを生み出すことを論じ、関連書籍も多数出されています。その着眼点や、アメリカで身につけた体系的なまとめ方は、研究者だけでなく実業界の方々からも注目されています。理論ではなく「実践の経営学」に興味をもったきっかけなどを、生い立ちを振り返っていただきつつ、うかがいました。

目次

米国流の学びを日本でも実現したい留学先のアメリカで研究者になろうと決意

早稲田大学商学学術院教授 井上達彦先生

ぼくが横浜国立大学2年のとき1年間の留学を決めたのは、入学後に遊びすぎたことへの反省からです。テニスサークルをつくり、100人くらいのメンバーを抱えていました。リーダーシップの必要性を感じたりなど、もちろん学びもありましたが、サークルと遊びの日々で、さすがに「このままではまずい」と気づいて。

じつを言うと、当時は留学するのはまだ珍しく、「カッコいいかな」という下心も少しはありました(笑)。「お前が留学?できるわけがない」と仲間には散々言われましたが、下見にも行き、オレゴンのルイス&クラーク・カレッジに決めました。大人数で学ぶユニバーシティより、少人数で「考え抜く教育」のカレッジのほうが魅力的だったからです。

そこでビジネスやエコノミクスを学びましたが、役に立ったのは、図書館の使い方や、段落を組み合わせて論理展開していく「パラグラフライティング」の作成の仕方です。情報の収集、整理、加工、アウトプットの仕方、それも紙とプレゼンテーションという一連の流れを、毎日のように集中的にやっていました。いまでこそ早稲田大学でも取り入れていますが、25年くらい前に、すでにプレゼンテーションの基本やロジカルシンキングのようなことを、アメリカではやっていたのです。

「これは素晴らしい、日本でもこういう学びを実現したい!」と思ったことが、いまの自分の仕事につながっています。この留学の時点で研究者を志し、大学院に進むことを決めました。そして経営組織論で知られる経営学者の加護野忠男先生のもとで学びたいという理由もあって、神戸大学大学院に進みました。

大学院時代に目覚めた「実践の経営学」のおもしろさとは?

大学院で実務家との議論に熱中学者と実務家が場をともにするおもしろさに目覚める

早稲田大学商学学術院教授 井上達彦先生

ぼくは大学時代は、リーダーシップなどのミクロな視点に興味があったのですが、師事した加護野先生の経営組織論はマクロな視点の経営です。大学時代の専門とは異なることになったのですが、先生のもとにきて、あまりにも実践的な内容にびっくりしました。神戸大大学院にはビジネススクールがあって、社会人の方も学びにきている。その授業に混ぜてもらったら、GEやベネトンなど、世界有数の企業を研究した分厚い事例集が配られて、グループディスカッションをするのです。

社会人の方からすれば、ぼくは経営学の修士の院生だから経営を知っていると思われ、いろいろ聞かれるのですが、じつはよく知らない……。なんとか話を合わせていましたが、こうした議論に参加するようになって、完全に考えが変わりました。理論にとどまらない「実践の経営学」はおもしろい、と。実務家と互いに刺激しあうことのおもしろさに目覚めたのです。大学では統計的な経営研究もしていたのですが、加護野先生の「いい研究はビジネスマンに聞け」との言葉に、なるほどと思い、実践の経営学に没入するようになります。

ビジネスマンの方からもたくさん学びました。企業の現場に一緒に行こうと誘われたり、インタビューに同席させてもらったり。アカデミックな雰囲気ではなくて、柔らかく入って、欲しい情報をぐっと掴むインタビューに、「われわれ研究者のスタイルとは違う方法もあるんだな」と感心しました。

インタビューなどで得られた学びが、次の授業展開にどう活きるかもわかっておもしろかった。「あ、あそこで聞いた話がここに反映されているんだ」という気づきがあり、その過程を一緒に追跡して博士論文にもしました。

アカデミアとプラクティスをする人が一緒にいることが、どれだけ価値があるかを、そのときにすごく感じましたね。ぼくがいま事例研究をしているのも、ここでの学びが源流にあります。ゼミのモットーを「行動する知識人」としているのも、仕事というのは「実践しないと価値が出ない」と思っているからです。

井上先生が考える「学び」とは?

ラクじゃなくても熱中していれば楽しい熱中すること、わくわくすることを見つけよう

早稲田大学商学学術院教授 井上達彦先生

こんなふうに大学院で、実践の経営学に没入したことが、いまの自分につながっているわけですが、振り返ってみれば、小さいころからいろんなことに熱中していますね。熱中しているかどうかで、「自分が生きているか」をはかっていたのは、子どものころから変わりません。

人が「楽しい」と思うのは、何かに没入しているときであって、けっしてラクが楽しいのではないと思います。負担のかかることであっても、熱中していれば充実している。自分の経験からそう言えますし、学生を見ていてもそう思います。そして、人は没入すると、自分から動きます。ぼくが指示しなくても、自ら企業にインタビューに行って、「ゼミの研究内容を説明したら、企業側も興味をもってくださり、先生に会いたいそうです」とか、企業との橋渡しをしてくれた学生もいます。たくましいですよ。

学びは本来、楽しいものだと思います。でも、そこに気づくまでにものすごく時間がかかる。「勉強しなきゃ」「ゼミだから」という「べき論」になってしまっているからです。それが、熱中するようになれば、強いられる「勉強」ではなくなり、単位も何も関係なくなる。そもそも、それを「学び」と表現するのも教育的で違和感があるのですが……。ぼくの感覚でいえば、学びは「わくわくするもの」であり、「それ、食べたい!」と同じ状態になることかな。そう、「これを知りたい!」という知の欲求は、「これを食べたい!」という人間の根源的な欲求に似ていると思います。

あまりおいしくないものを「栄養があるから」と、強制的に食べさせられてきたのが、これまでの日本の教育かもしれません。ただ、栄養が必要なように、ときに勉強もしないと、次への関心が湧かないことがあります。自分にとって「おいしいもの」「食べたいもの」を見つけられるよう、「味覚神経」を鍛えなくてはなりませんね。本来楽しいもの、おいしいものを、みんながニコニコと、おいしく食べられるようになる――教育や研究を通じて、そういう社会にしていきたいと思います。

早稲田大学商学学術院教授 井上達彦先生  

前編のインタビューから

– 「商い」は問題解決の手段。起業を目指す若者を育てたい
– いたずらっ子だった子ども時代
– いろいろと考えてたどりついた進路は「環境会計」だったが…

 

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