米国流の学びを日本でも実現したい留学先のアメリカで研究者になろうと決意

ぼくが横浜国立大学2年のとき1年間の留学を決めたのは、入学後に遊びすぎたことへの反省からです。テニスサークルをつくり、100人くらいのメンバーを抱えていました。リーダーシップの必要性を感じたりなど、もちろん学びもありましたが、サークルと遊びの日々で、さすがに「このままではまずい」と気づいて。
じつを言うと、当時は留学するのはまだ珍しく、「カッコいいかな」という下心も少しはありました(笑)。「お前が留学?できるわけがない」と仲間には散々言われましたが、下見にも行き、オレゴンのルイス&クラーク・カレッジに決めました。大人数で学ぶユニバーシティより、少人数で「考え抜く教育」のカレッジのほうが魅力的だったからです。
そこでビジネスやエコノミクスを学びましたが、役に立ったのは、図書館の使い方や、段落を組み合わせて論理展開していく「パラグラフライティング」の作成の仕方です。情報の収集、整理、加工、アウトプットの仕方、それも紙とプレゼンテーションという一連の流れを、毎日のように集中的にやっていました。いまでこそ早稲田大学でも取り入れていますが、25年くらい前に、すでにプレゼンテーションの基本やロジカルシンキングのようなことを、アメリカではやっていたのです。
「これは素晴らしい、日本でもこういう学びを実現したい!」と思ったことが、いまの自分の仕事につながっています。この留学の時点で研究者を志し、大学院に進むことを決めました。そして経営組織論で知られる経営学者の加護野忠男先生のもとで学びたいという理由もあって、神戸大学大学院に進みました。