学校教育が唯一の手段ではない。支援の選択肢はいろいろあってよい
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徳永:学校閉鎖を受けた子どもが1億人、読み書きできなくなった子どもが10%も増えています。先生が尽力しているEFA(エデュケーション フォー オール)から改善した部分もあったはずなのに、重層的に問題が重なって、保護者も子どもも苦しんでいるという状況です。この課題解決においてどのようなアプローチがあるとお考えですか?
吉田:コロナ禍対策の中心に「学校教育がすべて」という考えがあることがそもそもの問題だと思います。ひとつの価値観で社会を束ねるような教育がかつての特徴だったとすれば、恐らく、見たくないものは見ていなかったのでしょう。だから、いじめや不登校、ひきこもりの統計が取れなかったのだと思います。私たちの世代は、そこに息苦しさを感じた人が学生運動を起こしたり、やんちゃな振舞いをしましたが、社会は迷惑がりながらもそれなりに許容力があったと思います。でも今の時代、型にはまりきれない人たちは仕組みや制度の中に居場所がなくなってしまうんですね。いろんなところで問題が生じている事実を認識してくれないと、原因究明もできないし、次のステップに進む解決策も見つかりません。文科省が決めるのはカリキュラムと到達点であって、支援の選択肢はいろいろあっていいのではないかと思います。
徳永:KUMONもまさにそういう存在であればと思っています。
吉田:公文公さんが何十年も前におっしゃったメッセージは今も輝いています。国連憲章のように70数年前に作られたものも、全然さびついてないけど実現もしていないという部分もあります。社会が変われば解釈や実現の仕方も、変わっていくはずですよね。
徳永:時代は変化しているのに、教育や育て方は変わっていないことには私も非常に違和感があります。いろんな育て方があるというのは、先生のご示唆の通りですね。