「高次脳機能障害の患者さんを受け入れる」「公文式もする」という突然の院長の言葉にみなビックリ
![]() どんぐりの杜クリニック |
ここ諏訪の杜病院では、作業・理学・言語聴覚療法などのリハにプラスアルファとして、希望される患者さんは公文式学習ができます。どんなふうに学習しているのか、ちょっとご紹介しましょう。
病院1階の広いリハ室隣にある言語聴覚室が、毎週火・水・木・金の10時30分から12時まで学びの場に様変わりします。10時30分少し前になると、リハを終えた入院・通院の方たちが入室。ウォーミングアップの音読のあとすぐに、公文式国語、算数・数学の順に、見事な集中ぶりで12時まで学習が続きます(途中休憩あり)。隣のリハ室からは、それぞれのリハに取り組む患者さんたちと療法士さんたちの笑い声や元気なかけ声が聞こえてきます。しかしこの部屋のなかでは、鉛筆の走る音しか聞こえません。その凛としたたたずまいは、学びの場というより修業の場のようにも感じられます。
時期によっても異なりますが、いつも5~6人の方たちが学習されていて、年齢も20代から70代と幅広いです。みなさん高次脳ですが、その原因も症状も千差万別で、学習する教材もそれぞれ違います。身体のマヒがある方もいれば、視野や発語に課題がある方もいます。しかし学習中は障害があることはほとんどわかりません。高次脳の子どもたちも10人ほど学習していて、道路を隔てた別の棟(どんぐりの杜クリニック)で、毎週土曜日にリハとともに公文を学習しています(後述)。
公文式導入までの経緯を浅倉部長にたずねてみると、意外な答えが返ってきました。
![]() 諏訪の杜病院 武居院長 |
「いま当院は高次脳の拠点病院ですが、その受け入れをはじめたのは2005年からで、まだ12年という歴史です。受け入れをはじめたのも、院長の武居から2005年のある日、“高次脳の患者さんを当院で受け入れて支援をするから、いろいろ調べて準備してほしい”と突然言われたことがきっかけでした。病院のドクターを含むスタッフ全員が唖然というか、すごくビックリしたのを昨日のことのように覚えています。2005年といえば、高次脳の支援体制を整えるべく全国でモデル事業が展開されている時期で、医療関係者のあいだでも、その認知度は低いころだったと記憶しています。そんなころですから、そのときは武居院長が何を話しているのか理解できないスタッフがいたかもしれませんね(笑)。」
「しかし、武居の話をよく聞いてみて納得できました。ある日の地元紙に、『脳外傷友の会おおいた』の会長さんの“高次脳は社会的な理解度が低く、支援のはざまにある”というコメントが載ったそうです。それを読んだ武居が居てもたってもいられず、その会長さんに会いに行き、“これはなんとかしなくては!”と思い立ち、先の“…受け入れて支援をする”という発言につながったということがわかりました。」
ちなみに、武居院長の口癖は「陽の当たらない場所に陽を当てる」とのこと。まさに有言実行。
「それで、あわただしく準備し高次脳の患者さんの受け入れをはじめたのです。しばらくして、武居がこんなことを言いはじめました。“高次脳の患者さんには公文がいいらしい。神奈川県の病院(神奈川リハビリテーション病院)では、高次脳の患者さんの家族会が中心になって学習の場を作っていて、公文の会社もサポートしている。だから、うちでも公文をやってみよう”。高次脳の話も突然だったのですが、公文の話もあまりに唐突でしたね(笑)。」
「公文の話を武居から聞いてすぐは、医療の現場に教育を…?と疑問ばかりでしたが、高次脳の認知リハのなかには百ます計算や文章を読むような課題もあると気づき、疑問や違和感はなくなっていきました。反対に、体系だった教材と指導法があると聞いて、心強いとも感じました。ただ、これまでずっと医療として患者さんにリハをしてきたわたしたちが、教育という面でも患者さんに対応する。リハにプラスアルファでの学習とはいえ、それなりの責任の重さを感じ、不安な面があったことはたしかです。」
「公文式学習をすることには、不思議と院内には反対意見はなかったですね。それは、院長の武居自身が“患者さんが良くなるのなら、なんだっていいんだよ。終わり良ければ全てよし!”という考えなので、スタッフたちも“それもありかな”という意識だったのかなと思います。」
「そして、実際に2006年から公文式学習をはじめてみて、その大切さが実感できました。先ほども申し上げた通り、当院に来られる患者さんの多くは復職や復学、つまりふつうの生活にもどることが目標です。けれど、ふつうの生活にもどるためには、病院での医療としての作業・理学・言語聴覚療法などのリハだけでは足りないのです。いい意味での負荷やトレーニングがもっとあれば、復職や復学の可能性がさらに高くなるといつも考えていました。まさしく公文の学習がその負荷やトレーニングになると感じられるようになってきたのです。」