研究員の道をあきらめ、家庭を選択したが……
ロシア語とともに興味をもったのが日本語です。漢字に加え、ひらがなとカタカナがあり、文法がはっきりしているフランス語やロシア語と違って、曖昧な面もある。おもしろい言語だなあと思いましたね。それで大学では、昼間はロシア文学とフランス文学を学び、夕方には別の大学で日本語を勉強するようになりました。最初は旅行くらいできれば、という軽い気持ちで学び始めたのに、学んでいるうちに夢中になっていきました。
大学院2年生だった1978年に、国費留学生として初めて来日しました。結果的に6年間留学することになり、その間、年に1~2度パリに戻り、指導教授に論文を見せてまた日本に戻る、という生活をしていました。留学生の身分でしたが、「ある大学院で非常勤講師を探しているので、1~2年やってみないか」と誘われました。わたしに務まるのか不安でしたが、短期間ならと引き受けました。そしたら楽しくて、楽しくて。
博士号取得後は、夢だったフランスの国立研究所に就職する予定でしたが、その研究所の規則が変わり、その道をあきらめました。学生結婚だったわたしは、当時すでに長男が生まれていて、日本を離れることができず、家庭を選んだんです。すると、今在籍している武蔵大学から声がかかりました。
武蔵大学にはわたしが専門とするロシア文学はなかったので、「19世紀のフランス文学」を教えることに。ゴンクール兄弟などの時代ですが、ジャポニスムの時代でもあり、浮世絵から受けた影響なども研究しはじめたら、おもしろくて夢中になりました。美術好きでしたから日本の美術館にもよく足を運び、浮世絵にも親しんでいましたからね。もっと知りたくて、歴史や作り方を学ぶようにもなり、比較文学と同時に浮世絵も研究するようになったわけです。