ほかの人がやらないことをやるのが楽しくて
日本の浮世絵を研究
![]() 「浮世二十四好 楊香」渓斎英泉 公文教育研究会所蔵 |
わたしは「フランス人の日本美術研究家」と紹介されることもありますが、大学ではヨーロッパ比較文化や比較芸術、フランス語などを教えています。文学・文化・芸術は、結局全部つながっています。わたしは文学なしで美術は学べませんし、逆に美術なしで文学は学べないと思っております。とくに、研究分野である19世紀のフランス文学と日本文学に関しては、日本美術がジャポニスムという芸術運動を西洋にもたらし、文学にも影響を与えています。
もともとわたしはフランス文学とロシア文学を学んでいました。それに日本文学を学ぶようになったのですが、当時、ロシア文学と日本文学を専門的にやっている人はほとんどいませんでした。わたしはほかの人がやらないことをやるのが楽しかったのです。いまでもそうですが、何かを調べているときにそれに関連する書籍がないと、「どうしてないのだろう。ないのならわたしがやって、世の中の役に立たなきゃ」と奮い立ちます。
浮世絵にしても、フランスでは葛飾北斎、安藤広重、喜多川歌麿についての本はたくさんありますが、ほかの絵師についてや、摺師(すりし)など作り手の仕事や作り方については、ほとんど知られていません。素晴らしい文化でありながら知られていない。それを西洋人に知らせたくて、研究を続け、フランス語で本にまとめたりしています。
浮世絵は色彩だけでなく、遠近法を取り入れた構図もおもしろい。描かれているのがどんなことなのかと調べていくと、いろいろなことがわかり、つねに新しい発見があります。公文教育研究会は、子どもが描かれた浮世絵を収集されていますが、それらはとくにユニークです。浮世絵の中の子どもたちは、いたずらしていたり、ふざけていたりと子どもらしい自然な姿が描かれています。一方、西洋画の中の子どもはきちんとポーズをとっていて動きはありません。それはなぜなのか比較するのもおもしろい。
まだまだほかにも調べてまとめたいことがたくさんあって、150歳まで生きないとすべて実現できそうにありません(笑)。
学校が苦手だった子ども時代
「女の子だからできる」と自信を与えてくれた母

いまは日本の大学で教えているわたしですが、小さいころは将来自分が大学の先生になるなんて思ってもいませんでした。大きな声ではいえませんが、じつは学校、苦手だったんです。友だちがたくさんいたのは楽しかったのですが、小学校や中学校では自分が興味のないことも勉強しなくてはいけないでしょう?文学や歴史、外国語の授業は好きでしたが、関心のない科目は退屈で……。大学では好きな科目が学べると思い、早く大学に入りたいと思っていました。
小さいころから、絵を見るのは大好きでした。それはパリという、美術館がたくさんある環境に生まれ育ったからかもしれません。小学校入学前から親に美術館に連れていってもらい、中学・高校時代には友人と美術館や劇場へよく通っていました。
そうして芸術に触れるなかで、映画かお芝居かでロシア語を聞き、美しい言語だなと感じて、中学ではロシア語を学ぶようになります。読書も好きで、ロシア生まれのフランスの作家、アンリ・トロワイヤに夢中になりました。
サラリーマン家庭の三姉妹の次女として育ちましたが、母はわたしに、「自分の人生は自分で決めるべき。結婚はいつでもできる。好きな仕事を選べるように」と言い続け、「女の子だからといって負けるんじゃないよ」「女の子だからできる」と、自信を与えてくれました。信頼され、自由に育てられましたね。日本に行きたいと言ったときも、反対されませんでした。両親はわたしの来日後、何度も日本に来て、日本が大好きになっています。
研究員の道をあきらめ、家庭を選択したが……

ロシア語とともに興味をもったのが日本語です。漢字に加え、ひらがなとカタカナがあり、文法がはっきりしているフランス語やロシア語と違って、曖昧な面もある。おもしろい言語だなあと思いましたね。それで大学では、昼間はロシア文学とフランス文学を学び、夕方には別の大学で日本語を勉強するようになりました。最初は旅行くらいできれば、という軽い気持ちで学び始めたのに、学んでいるうちに夢中になっていきました。
大学院2年生だった1978年に、国費留学生として初めて来日しました。結果的に6年間留学することになり、その間、年に1~2度パリに戻り、指導教授に論文を見せてまた日本に戻る、という生活をしていました。留学生の身分でしたが、「ある大学院で非常勤講師を探しているので、1~2年やってみないか」と誘われました。わたしに務まるのか不安でしたが、短期間ならと引き受けました。そしたら楽しくて、楽しくて。
博士号取得後は、夢だったフランスの国立研究所に就職する予定でしたが、その研究所の規則が変わり、その道をあきらめました。学生結婚だったわたしは、当時すでに長男が生まれていて、日本を離れることができず、家庭を選んだんです。すると、今在籍している武蔵大学から声がかかりました。
武蔵大学にはわたしが専門とするロシア文学はなかったので、「19世紀のフランス文学」を教えることに。ゴンクール兄弟などの時代ですが、ジャポニスムの時代でもあり、浮世絵から受けた影響なども研究しはじめたら、おもしろくて夢中になりました。美術好きでしたから日本の美術館にもよく足を運び、浮世絵にも親しんでいましたからね。もっと知りたくて、歴史や作り方を学ぶようにもなり、比較文学と同時に浮世絵も研究するようになったわけです。
![]() | 後編のインタビューから -日本とフランス、子育ての違いとは? |