忘れられないお釈迦様のポーズ
「天上天下唯我独尊」が常に心の中に

私が2008年からお世話になり、2010年1月から学長をしている立命館アジア太平洋大学(以下、APU)は、2000年に開学した新しい大学です。学生は現在約6,000名で、そのうち2,900名が「国際学生」、つまり留学生です。彼らの国籍は世界83ヵ国・地域に及びます。教員も専任教員173名のうち86名が外国籍で、23ヵ国にわたっています(2015年11月現在)。そういう意味で、APUは地球上でもっとも多様性に富んでいる大学といえるでしょう。大学の運営にあたっては、いろいろな人とよく話し合い、齟齬がないよう日々心がけています。
私は、父は新聞記者、母は専業主婦というごく普通の家庭で、4人兄弟の長男として育ちました。両親とも「ああしろ、こうしろ」と言わず、わりと放任でしたね。子どものころは絵が好きで、小・中学時代は絵画クラブに所属していました。中学生の頃、「将来の家の見取り図を描きなさい」という宿題で、一部屋をアトリエにした見取り図を描いた記憶があります。
そんなふうに、いたって普通の子ども時代でしたが、忘れられない原風景があります。それは5、6歳のころだったでしょうか、姉と一緒にお釈迦様の誕生日を祝う灌仏会(かんぶつえ)花まつりで、お釈迦様に甘茶をかけに行ったときのことです。そのお釈迦様は天上に向かって指を1本差し出していました。お釈迦様が生まれてすぐに、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられている、あのポーズです。幼なごころにその姿がとても鮮明に心に残りました。
もちろん、当時は「天上天下」なんて知らず、「甘茶がおいしかった」としか感じませんでした(笑)。中学生になってようやく「天上天下唯我独尊」の言葉と意味を知り、あのときの原風景とともに、それ以来「自分の存在がいかに尊いものか。まずは自分を大事にしなければ」ということをずっと心に置いています。
高校時代に魯迅を読み
中国文学に目覚めるが受験に失敗

そんな読書三昧の高校時代でしたが、魯迅の作品を読んだことが中国文学に目覚めるきっかけでした。魯迅というと、『阿Q正伝』など、中編・短編小説が知られていますが、詩についても素晴らしい作品を残しています。私は散文詩集『野草』を読んで、言葉を連ねてイメージ化している文章をとても新鮮に感じ、興味を持ちました。
それで、大学では中国文学を専門にしようと思い、京都大学に受かったら中国古典を、大阪外国語大学に受かったら中国現代文学を学ぼうと考えました。しかし結局、京都大学には落ちてしまった。これは私にとっては一種の挫折でした。こうした挫折のときは、気持ちを切り替え、実力を鍛え上げるしかありません。そのため私は、大阪外国語大学で中国現代文学と中国語を究めようと、気持ちを切り替えたのです。
大学では魯迅と並び称される作家、茅盾(ぼうじゅん)の研究をしました。私が大学に入学した1962年は、まだ中国とは国交がない時代。「中国語をやっています」というと、周囲から「かわいそうに」と同情されましたよ。当時は中国のことを学んでも、就職先など将来に何の見通しもなかったものですから。
自分の中から湧き出るものがわかれば
その道を究めたくなる

ちょうどその頃、母校の大阪外国語大学に大学院ができたので、そこに進んで研究を続けようと考えました。
大阪外国語大学では、博士課程はその後20年くらい経ってからできたため、私はずっと博士号をもっておらず、ついこの前、2012年に大阪外国語大学が統合された大阪大学に論文を提出して取得しました。つまり、学長をやりながら博士号を取得したわけです。最終面接では、自分より若い教授がずらっと並んでいて、彼らからの質問に答えてちゃんと通りましたよ(笑)。
私が研究に進んだ背景には、出版社に就職してもその生活になじめなくて、「研究の道しかない」と思ったこともありますが、やはり、中国文学をやりたいという思いが強くあったからでしょう。何かに突き進むには、まずは自分がやりたい目標を定める必要があります。「これが自分のやりたいことだ」ということがわかれば、成し遂げようとする気持ちが湧いてくる。あとはそこに突き進めばいいのです。難しいのは目標を見つけることですね。
私の場合は、大学での指導教授との出会いが、中国現代文学を究めようとする気持ちを醸成してくれたと思います。教授から、「現代文学をやるなら、古典文学の主だった作品を読んでおきなさい」と勧められました。古典文学を読んで、そのコード(規範)が現代作家に古典から現代へどのように伝わっているか、どう彼らの知的発想につながっているのか、と複眼的な目で作品を見られるようになりました。そうした複眼的な視点で現代文学を究めたいという気持ちが湧いてきたのです。
関連リンク
立命館アジア太平洋大学
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