ひとりの父親の“わが子への愛情”から
はじまった公文式教育法
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公文公記念館は、公文式の心を伝え、教育のあり方を見つめるため、1998年より公開されています。公文式は、高校教師だった公文公がわが子に行った算数・数学教育の実践から生まれた教育法です。ここには、公文公の生い立ちから、公文式の誕生、そしてこれまでのあゆみに関する資料が展示されています。
片平秀貴氏は以前、KUMON now!のインタビューでブランドについてこのようにお話しされていました。
「実はブランドとは『組織の存在理由そのもの』であり、消費者にかけがえのない感動や喜びを与えてくれるもの。私は欧米企業を中心に、ブランド力があると評価されている企業の経営者にインタビューした結果、そのことに気がつきました。それらの企業に共通しているのは、自分たちの夢をものすごく大切にしているということ。ビジョンや哲学と言ってもいいでしょう」
※片平秀貴氏のインタビューは記事末尾の関連リンクからご覧ください。
![]() 公文公が長男・毅のために手作りした原典教材 (公文式教材の原型) |
今回、片平氏は「公文式を知るには、創始者の公文公さんを知ることが大事」であると考え、この記念館を訪問しました。片平氏が特に時間をかけて見られたのは、一番初めに作られた原典教材(公文式教材の原型)が置いてある部屋。この部屋には、公文公が長男・毅(たけし)のために一枚一枚手作りした教材のレプリカが展示されています。 公文公は、長男・毅が小学2年生の時、自学自習で算数・数学を学んでいけるよう、計算問題をルーズリーフに手書きで作り始めました。毎日30分、毅はそれに取り組み、公は毅の解いた問題を確認し、時にはヒントやコメントを添えて採点することをくり返しました。その結果、毅は小学6年の頃には、微分・積分を学習できるまでにいたったのです。記念館では、一人の父親のわが子への愛情が詰まったやりとりを、原典教材を通じて感じることができます。
公文公が大切にしていたもの
![]() 片平氏(右端)とKUMONの社員 |
片平氏の記念館訪問の感想をご紹介します。
「わが子のために一枚一枚手作りした教材を見て、公文式が父親の深い愛情から始まっていることが感じられました」
「また、公文公さんの書斎にある電話と、そばに置いてあるノートが印象的でした。公さんは、時間を見つけては全国の先生方に電話をして、生徒の指導情報を集めていらっしゃったとのこと。報告される数字ではなく、“生の生徒一人ひとりの姿を感じること”を大切に考えていたことの表れでしょう」
「もう一つ、公文公さんの言う“ちょうど”という言葉も心に残りました。一般的に“ちょうどいい”とは、“心地よい”ことばかりを指しますが、公文公さんは、“自分の力だけで解けるぎりぎりの厳しいところ”“これ以上厳しいと辞めてしまう、一歩手前のところ”を指していました。教室の指導者の方々にも、この“ちょうど”の指導を求めていて、常に子どもたちの“可能性の追求”を考えていらっしゃった方だと感じました」
「このようなKUMONの源泉が見られて、振り返る場所があるのは、ブランド構築の観点から見てもとても大事なことですね。世界の名だたるブランドをもつ多くの企業にも、原点を確認できるこのような場所があります」
これまで、世界中からKUMONの社員や指導者を中心にのべ20,000人以上がこの公文公記念館を訪問しています。