時はさかのぼること60年以上前。高校の数学教師だった公文公(くもん とおる)は、妻と3人の子どもたちと大阪で暮らしていました。
初夏のある日、妻は小学校2年生の長男、毅(たけし)のポケットから、たまたま点数のよくなかった算数の答案用紙を見つけます。「小学校のうちは健康第一で体力をつけておけばよい」と考えていた公でしたが、妻に頼まれて毅の算数の勉強をみることにしました。しかし、市販のドリルなどをやらせてみるも、これが面白くないので続けることができません。
公文公が長男・毅のために作った手書きの教材 |
・毎日時間は30分程度。
・目標は小学校の成績向上ではなく、高校で数学に困らない学力をつけること。
・途中でやめると嫌になるので休まずに毎日続ける。
・問題は1日分ずつ作成、夕食前に自習する(夕食後は勉強の話を一切しない)。
具体的には、毅が夕食前にプリントを解き、それに母親が寄り添う。毅が寝ている間に公が採点し、間違えたところに必要な場合だけ注意を書いて戻し、直しをさせる。100点になったところで先に進める、という方法でプリント学習がスタートしました。
左から公文公と長男・毅 |
公は、今わが子が「何ができて、何ができないのか」を観察し、毅が無理せず自分自身の力で解き進めることができるように、学力の伸びに合わせた学習プリントを毎日作りました。
親子二人三脚で続けた1日30分のプリント学習によって、小学6年生の頃には、高校の微分積分ができるようになりました。
こうして、わが子を想う父親の愛情から産声をあげたプリント学習はのちに「公文式」と名付けられ、人から人へ、街から街へ、そして世界へと広がり続けています。