※児童養護施設以外にも、社会的養護を必要とする子どもたちが多数います。詳細は記事末尾の関連リンク(社会的養護の現状について・厚生労働省)をご参照ください。
子どもたちは、いずれ園を巣立ち、社会で生きていかなくてはいけない。
「だからこそ、生きていく力を育むことがもっとも大切だと考えています」
JR新山口駅から車で20分ほど、住宅街からちょっと離れた山あいに吉敷愛児園(同名の社会福祉法人が運営母体)はあります。木々に囲まれ、敷地内を流れる小川のせせらぎの音が心地よく耳に響く閑静な場所。近くには「ぐち聞き地蔵」で知られる龍蔵寺があります。もともと吉敷愛児園(以下「愛児園」)は、第2次世界大戦後、龍蔵寺の住職だった宮原美妙さんが寺の庫裡(くり)で戦災孤児たちをあずかって育てたのがはじまりだったといいます。
ただ、当時は戦後の混乱が大きく、食べるものは極度に少なく、近隣の病院は傷病者であふれ、あずかった子どもたちが健やかに育つのにはほど遠い日々。そうして終戦から3~4年がすぎたころ、少なくない数の子どもたちが相次いで他界するという事態に……。このころは、日本全体が栄養状態がよくなく、薬も医療設備も不足していたため、ちょっとした傷病で命を落とす子どもたちがめずらしくない時代でした。宮原美妙さんは深く心を痛め、子どもたちのせめてもの慰霊にと塔をつくり、「愛児の塔」と名付けました。龍蔵寺の境内の一角に、この塔はあります。
![]() 井原園長 多忙な園の仕事のかたわら、地元の短期大学の 保育科の非常勤講師も勤める |
それから約70年。時代も社会も大きく変わりました。愛児園に入ってくる子どもたちも変わってきたといいます。そのあたりのことから、愛児園の園長、井原先生にうかがってみました。井原園長は「入園する子どもたちの変化」「児童養護施設の現状と役割」「新しく入園する子どもたちにまずすること」などを一気に語ってくださいました。
「そうですね、これは全国どの児童養護施設でも同じような状況だと聞いていますが、ネグレクトを含めれば、園に入ってくる子どもたちの6割あるいは7割くらいが虐待を受けてきています。とても悲しくて深刻なことだと受けとめています。ただ、親御さんを責めるのは何か違うのかなと思うのです。社会全体、あちこちに何かしらの歪みが生じていて、それがいちばん弱い立場の子どもたちにおおいかぶさっているような気がしています」。
「ここ数年は発達障害のある子たちが入園することも増えてきました。以前から一定の割合でいたのですが、最近増えてきたな…というのが実感です。障害の診断が精緻になったことも影響しているのでしょうが、それ以外の要因もあるような気がします。いずれにしても、被虐待児の心のケア、障害のケアをしながら、子どもたちに社会で生きていく力を育んでいくのが、私たちの大きな役割だと考えています。いずれ、子どもたちはこの園を巣立っていかなくてはなりませんから」。
「生きていく力を育む。この言葉に、重い責任を感じる方もいらっしゃるかもしれません。でも、いろんな力がいっしょになっての“生きる力”だと思っています。自己肯定感、自分の気持ちをコントロールする、基礎的な学力や学ぶ姿勢。きちんとした生活のリズムも入りますね。ご家庭であれば、お父さんお母さんといっしょに育んでいくのでしょうが、わたしたちは、子どもたちをおあずかりしたその日から巣立ちの日、多くは高校3年の3月までに、そういった力を子どもたちが育んでいけるよう、迷い、悩み、ときには試行錯誤しながら、子どもたちと向き合っています」。
「もっと身近な、生きていく力もあると思います。たとえば、ご飯が炊ける、お風呂が沸かせる、お掃除ができる。子どもたちのなかには、もとのご家庭へもどる子、里親制度で新しいご家庭に入る子もいます。シングルマザー、ご両親共働きということもめずらしくないので、親御さんが仕事から帰ってきたとき、“ご飯炊けてるよ!”“お風呂沸いてるよ!”と子どもたちが笑顔で言えたら、親御さんはうれしいでしょうし、何より家のなかが和みますよね」。
「園に入ってくる子どもたちに、まず心とからだで感じてほしいのは、ここが安心して生活できる場所だということ。園に入る前は、学校に行っていない、昼夜逆転に近い生活、いつも空腹を感じている、といった子も少なくありません。そういう環境では、集中力が極端に低かったり、気分の上下が激しかったりというのは当然だとも思います。ここで、きちんと眠って、朝起きて、朝食をとって、学校に行く。そんな、ふつうの生活を送っていくと、子どもたちの気持ちはしだいに落ち着いてきますし、笑顔がもどってきます。その笑顔が、わたしたちはうれしいですし、癒されます」。