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Vol.014 2014.10.24

脳科学者 中村克樹先生

<前編>

できたらすぐにほめる”の
くり返しで子ども伸びていく

京都大学 霊長類研究所 人類進化モデル研究センター長・教授

中村 克樹 (なかむら かつき)

1963年生まれ。京都大学大学院理学研究科修士課程修了後、同大霊長類研究所の助手に。国立精神・神経センター神経研究所モデル動物開発部部長などを経て、現在は高次脳機能分野の教授として、京都大学霊長類研究所内・人類進化モデル研究センター長を務める。

たったひとつの受精卵から、どうやって意識や感情が芽生えるまでになるのか――そんな疑問をきっかけに、研究の道を邁進されている京都大学霊長類研究所の中村克樹先生。脳の働きの特性において、いかに学習することが重要か、さらには言葉を使わないコミュニケーションの大切さについてもうかがいました。

目次

「生命の神秘に関わることができれば」と、理学部の生物専攻へ

脳科学者 中村克樹先生

喜んだり、悲しんだり、怒ったり……、みなさんは日常でいろいろな感情とともに生活していると思います。なかでも一時的にパッと出る感情を「情動」と言いますが、これは、人間特有のものではなく、サルをはじめ動物にもあるのです。私は、そうした情動、記憶や知覚、コミュニケーションなどの脳機能の仕組みを解明しようと、サルとヒトをテーマに研究を続けています。

では、小さいころから生き物に関心があったかというと、とくにそうでもありませんでした。ただ、育った地域は自然に囲まれ、ザリガニやフナを釣ったり蛇を捕まえたりと、生き物が身近にたくさんいたことはたしかですね。ある年の夏は、クワガタを200匹ほど捕まえてきたことがあり、家族がびっくりしたり、あきれられたりしたこともありました。

小中高と、勉強は好きではなかったですね。親から「勉強しなさい」と言われたこともありませんでした。いまの道に進むきかっけになったのは、高校で数学と物理が好きだったからでしょうか。物理もはじめはきらいだったのですが、理論的なことがわかるようになるとおもしろくなりました。でも、ほかの教科はできなかったですね。地理や世界史は定期試験で学年最低点をとってしまい、先生をおこらせてしまったこともありましたね。そんなですから、浪人生となるのですが、予備校ではまじめに学んだせいか、模試でもそこそこ点がとれるようになりました。

高校や予備校で物理がいちばん好きな科目だったこともあり、理学部に進むことにしました。多くの大学の理学部では物理・数学・化学・生物など、専攻を分けて受験させるのですが、私が進学した京都大学理学部では分けずに受験させ、大学3年になる前に専門を選択します。大学1・2年のときは遊んでばかりいたので、気づいたら、行けるところは「生物専攻」しか空いていなかった、というのが本当のところです。生物は性に合わないとも思いましたが、冷静に考えてみると、命のことは未知にあふれている。生命の神秘に関わるようなことができるといいかな、と前向きにとらえ、3年生4年生と学び、大学院にも進みました。

「ヒトの人生がすべて遺伝子で説明できる」に疑問をもった大学生時代とは?

たったひとつの受精卵が、どうやって意識や感情が生まれてくるまでになるのか

脳科学者 中村克樹先生

私が大学の学部生だったころは、分子遺伝学が社会的にも話題になっていた時代でした。分子遺伝学というのは、遺伝の仕組みをDNA分子レベルで解明しようとする遺伝学のなかの一学問分野で、それにより、「いろいろなことは遺伝子ですべて説明できるだろう」と言われるようになりました。

たしかにそうなのかもしれませんが、そうなると、人の将来は生まれた時点で決まってしまうことになる……。でも私は、すべて遺伝子で説明できるのはつまらないし、遺伝子で説明できないこともあるのではないか、と考えました。

たとえば一卵性双生児は、もともと1個の細胞がふたつに分かれたので、遺伝子的には100%同じと考えられますが、成長後は性格や趣味が違ったりもします。ということは、遺伝子だけでヒトのすべてが説明できるわけではないということです。そう考えると、ヒトの心や行動の仕組みを知ることが、自分が追い求めているものだろうと思い至りました。そして、それには脳の働きを知ることがカギだと思ったのです。

そもそも、受精卵というたった1個の細胞が増殖して、あるものは皮膚に、あるものは骨に、あるものは血に、あるものは脳にと、身体全体の組織をつくりあげていく。では、意識はどう芽生えて、どこからうれしいとか悲しいという感情が生まれるのでしょうか。とても不思議なことであり、神秘的です。

さらに学んでいくと、脳の奥にある扁桃核という部分が情動に関係していると知りました。当時は人の脳の機能を調べる研究が確立されていなかったこともあり、サルの扁桃核を研究するようになりました。大学院の修士のころのことです。

研究者の道へ進む事になった尊敬する教授の一言とは?

「しゃあない、喧嘩するか」との教授の言葉が、研究者となるきっかけに

脳科学者 中村克樹先生

話は前後しますが、「研究者もいいな」と思うようになったのは、私の学部生時代の担当教授が大変尊敬できる方で、その教授の一言が影響しています。それは、卒業研究の一環で、あるテーマを与えられて実験をくり返ししていたときのことです。

私は教授が期待する結果を出せませんでした。「これはおかしい。お前はいままでまともに実験したことがないからうまくいかないんだ。もう1回やり直し」と言われ、もう1回やると、また同じ結果が出る。教授は「これが本当だったらアメリカの高名な先生が発表している論文のデータが違っていることになる。もう1回、確かめる必要がある」と表情が変わりました。今度は助手の先生にも手伝っていただいて実験すると、やっぱり同じ結果に。すると教授が、「しゃあない、喧嘩するか」と言うのです。

どう考えても、アメリカの高名な先生と実績もない大学4年生とだったら、アメリカの先生のほうを信じますよね。ところがその教授は、「実験の結果は研究者にとって一番大切にすべきもので、ネームバリューは関係ない。事実は事実として発表しよう」と言ってくれたのです。それがとてもうれしくて、「研究者の世界って、そういう世界なんだ」と憧れるようになりました。もし、あのときに「このデータはなかったことにしよう」なんて言われていたら、研究者にはなっていなかったでしょうね。

そんな貴重な体験もあり、脳の研究を究めたいと思った私は、大学院を経て、京大の霊長類研究所に進みます。ここは「ヒトとは何か」を明らかにしようと、霊長類を総合的に研究している機関です。この研究所で12年ほど、サルをテーマに脳の基礎研究をしました。脳のなかで映像の記憶がどのように保存されているか、表情などの情報を脳のどの場所で処理しているのかなどについて調べました。私は自分自身がおもしろいと思うことを研究していれば満足なタイプなのですが、あるとき製薬会社の人から「サルを使って研究をしたい。相談に乗ってほしい」と連絡をもらいました。自分の研究が少しでも病気で困っている人の役に立つ可能性があることを知りました。もしそうなら、自分もうれしいし、すごく充実感があると考えるようになりました。そう考えるようになって数年経ったときに、厚生労働省の研究所で、脳の病気を理解して治療法を開発する研究のために新しくサルの施設を作るという話を聞きました。自分がこれまでに得た知識が役に立つならと考え、東京にある国立精神・神経センターに移ることに決めました。

このセンターは、純粋な基礎研究だけでも認められる大学とは異なり、病気を理解してどう治すかを目標に掲げた研究を行うところです。同センターでは初となるサルの研究を担うことになり、研究用の建物の設計からスタートしました。「空気の入れ替えはどのようにせっていしますか」などと尋ねられ、なんのことだか分からず「普通はどのくらいなんですか」と尋ねながらの悪戦苦闘でしたが、誰もが経験できることではない仕事で、ふり返ると貴重な経験をしたと笑えます。


脳科学者 中村克樹先生  

後編のインタビューから

– サルの脳機能を研究することで、ヒトの愛着障害や幼児虐待などの解明につなげる
– ヒトだけにある「微笑み合う」ことの大切さ。そして、それはなぜあるか?
– 中村先生が考える「良い脳」を育むカギとは?

 
 

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