母のお腹の中から始まっていた公文式
―― まずは公文との出合いについて教えてください。
いわゆる公文式の教室に入ったのは小学3年生の時でした。
もともと小学校ではずっと成績が良かったので、自分は頭がいいと思っていたんです。ところが3年生頃からは進学塾などに通い始める子が増え、自分の知らないことを知っている人が同じクラスに現れるようになって…。自分も学校で学んでいる以上のことを知りたいと思って、近くにあった公文の教室に通うことに決めました。
ただ、実は私の公文歴は、私が産まれる前、母親のお腹の中にいた時から始まっていたそうです。母が胎教として公文式の教室に通っており、公文の先生からアドバイスされた絵本のほか、英語の教材、算数の教材、百人一首や俳句のカードなど、様々な教材を音読して読み聞かせてくれていたようです。
母の読み聞かせは3歳くらいまで続いていたのをぼんやり覚えています。そして私が幼稚園に入ってからは、妹が産まれたため、今度は私が妹に絵本の読み聞かせをしたり、公文の日本地図パズルで一緒に遊んだりしていました。
―― EICに参加したきっかけは?
3歳頃から英会話のレッスンに通っていたらしいのですが、簡単なフレーズは覚えているものの、小学生になっても自分の言いたい内容をしっかり英語で伝えられるようにはなっていなくて、今のレベルでは実際にコミュニケーションする上では全く役に立たないなと感じていました。そんな中、仲の良かった友達が家族で海外に引っ越すという話を聞き、羨ましいとも思っていました。
そのように感じていた頃、公文の教室に通い始め、小学4年生になるタイミングで教室の先生がEICへの参加を勧めてくれたんです。当時は2週間のキャンプだったので、子ども心に、「これに行けば英語を喋れるようになれるんじゃないか? せっかく今まで習ってきた英語を使えるようになったらいいな」という気持ちで、参加することに決めました。
―― EICでどのような体験をされましたか?
元々ほとんど英語を喋ることができなかったということもあって、実際のところは2週間のEICに参加したからといって英語を流暢に喋れるようになったわけではありませんでした。
でも、キャンプの間、何度も何度も”Don’t be afraid of making mistakes. Let’s try communicating in English!”という言葉を聞いたり、毎日英語で日記を書いたりしたのはとても大きな意味を持つ経験でした。
実際に、2週間にわたって、ジェスチャーを入り混ぜながらも英語のみでコミュニケーションを取る日々を送ったおかげて、「どんな状況でも、英語でコミュニケーションを取ろうとする気持ちがあれば取れるんだ」という自信もつきました。
完璧な英語じゃなかったとしても、伝われば、それは英語として機能しているということ。EICは、英語はコミュニケーションの手段でしかない、完璧じゃない状態でもしっかりコミュニケーションする意思を持ち続けよう、と思うきっかけになりました。
また、様々な国から来たキャンプリーダーと共同生活を送る中で、多くの学びがありました。シンガポール、フィンランド、西アフリカのガーナやインドネシアなど、これまで関わったことのない国の方々と生活を共にする中で、みんなでダンスをしたり音楽を演奏したりといった出し物をしながら各国の文化を紹介するイベントなども通して、これまで当たり前だと思っていた習慣は国によって全く異なるんだ、と気づくこともできました。
最初は本当に緊張していたのですが、キャンプリーダーの皆様のおかげで本当に楽しく過ごすことができ、キャンプから戻って、親にも開口一番、「とにかく楽しかった!」と報告したのを覚えています。
多様性への関心が高まったEICでの体験
―― EICでの体験がその後の人生に与えた影響はありますか?
様々な国のキャンプリーダーと生活を共にする中で、仲良くなる上では、出身地域や生まれ育った環境は一切関係ないんだと実感することができたのですが、一方で、キャンプ後にキャンプリーダーの出身国について調べていく中で、いろんな国の実態を知ることにもなりました。
個人同士だと仲良くできるのに、それが国同士になると、歴史的な遺恨があったり、紛争があったりするという問題に気づいたのです。
EICに参加したことがきっかけで、小学生ながらに世界平和や世界中の人々が仲良くなるためにはどうしたらいいかと考えるようになりました。多様性への関心も高まりましたね。
これがきっかけで、高校生になってからは日本ユネスコ協会連盟の地域支部で活動するようになりました。ボランティアとして、地元の千葉県市川市の小学校で月に2回の特別授業を定期的に実施したり、終戦記念日には毎年募金活動をしていた他、平和についてディスカッションするイベントや、150人規模のキャンプなどの企画・運営を経験しました。
―― 大学進学やキャリア構築の背景は?
これらの活動を通じて、平和について考えたり、世界の文化や国同士の関係性について勉強したりする機会に恵まれた一方で、「ボランティアの限界」を感じるようになりました。例えば、募金活動をしてカンボジアに寺子屋を造っても、サスティナブルでないと感じるようになったんです。ボランティアはあくまで支援者がいてこそ成り立つもので、一時的なもの。経済格差や教育格差といった社会課題を根本的に解決するためには経済活動を通してアクションを起こす必要があると思い、大学では経済学を学ぶことにしました。
大学では中小企業論を専攻して、日系企業の発展途上国への進出などについて研究していました。日本企業が発展途上国に進出すると、進出先のインフラが整い、雇用が創出され、教育水準など国全体の底上げにもつながる。もっと日本企業が発展途上国に進出するようになったらいいのではないか、という思いがあったからです。これを継続的なものとするためには、先進国から発展途上国に対して、ODAのような支援のみではなく、ビジネスとして直接投資が行われ、利益が創出される必要があります。
当時、経済成長が目覚ましい新興国の中でも、インドは最も日本企業の進出が難しい先だと言われていたので、それはなぜなのか? 実際にインドでフィールドワークを通じて研究しようと思い、大学2年生の時に1か月間インドに滞在したこともありました。
その後、2014年には、公文も協賛している「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」の1期生として、改めてインドのムンバイに半年間滞在し、現地のベンチャー企業のマーケティング担当として働きながら研究を進めました。
実際にインドの会社で働いてみると、日本とインドでは、社員のモチベーションや優先順位の付け方が全く違うことや、コミュニケーションの方法の違い、州ごとの文化の違い、カースト制度の影響などを身をもって体験することになり、カルチャーショックを受けることが多かったですね。
大学卒業後のキャリアについては、実は中学時代からいくつか起業をしていたので、卒業後には本格的にスタートアップを立ち上げて自分の事業にコミットすることも考えたのですが、学生時代の体験から、実際に社会に大きな価値を生み出すためには、自分で会社を起業することに固執するのではなく、既にある企業をCFOやCOOとして成長させることも選択肢に入れると可能性は広がるのではないか、そのために金融知識、とりわけコーポレートファイナンスに関する知見を深めたいという思いがあり、投資銀行への就職を決めました。
M&Aやファイナンスのアドバイザリーを通じて、新興国への直接投資を促進したり、日本企業の企業価値向上やさらなるグローバル化に貢献したいと考えていたというのも背景にあります。また、社会貢献性に関しても引き続き関心が高かったため、投資銀行の中でもそのような活動に積極的な欧州系の会社に入社しました。
ビジネスや金融を通じて社会課題を解決したい
―― 現在のお仕事に至るまでについて教えてください。
今までお話ししてきた経緯から、新卒で外資系の投資銀行に入社して3年強は、M&Aを含む企業の成長戦略に関するアドバイザリーや、IPOのコーディネートのほか、株主とのコミュニケーションに関する提案など、コーポレートファイナンスやIR周りの仕事をしていました。
投資銀行業務については非常にやりがいがあり、かつ刺激的で充実していたのですが、社内のボランティア活動などにも携わる中で、次第に「もう少し金融と社会課題解決を融合させたい」という思いが強くなっていました。また、投資銀行ではあくまでアドバイザリーという立場なので、「会社としての意思決定により深く携わりたい」という気持ちも強くなり、これらをきっかけに、ESGファンドに転職しました。
事業を通じて社会的価値と経済的価値の両方を生み出している会社を選定して投資し、株主として投資先とディスカッションするという仕事です。
その他、気候変動に関する活動をしているNPO法人と共同で投資先に向けたセミナーを実施したり、ESGに関する広報活動をしたりと、幅広い業務を担わせていただきました。
ただ、毎日のように上場企業の経営陣と会話をする中で「会社の意思決定は、株主やアドバイザーではなく、会社の中にいる経営陣こそが行うものだ」ということを強く実感し、将来的にはスタートアップの経営陣として経営に携わりたいと改めて意識するようになりました。
また、ちょうどそのころ、心タンポナーデという心臓の病気が発症し、その原因はキャッスルマン病という血液疾患であることがわかりました。2週間に一度、点滴治療が必要な、国の指定難病です。
もともとは、投資家としての経験を長年積んだ上でスタートアップに再挑戦しようと考えていたのですが、突然難病が発症したことで「人間いつ死ぬかわからないんだな」と思うようになり、早い段階でスタートアップに挑戦したいという思いが強まっていました。
そのため、一通りの業務を経験させていただき、自分が選定した投資先の株価が10倍近くまで上がったことで成果を実感したところで、学生時代ぶりにスタートアップに身を置くことに決めました。
スタートアップの中でも、EICでの経験や、自身が難病患者になったこともきっかけとして「ダイバーシティー」というキーワードを強く意識し続けています。
現在は、自分の妊娠・出産をきっかけに、多様な価値観の共存する社会の実現のためには、家族のあり方も多様化していくべきだ、という想いをもつようになり、家族向けのアプリを提供するファミリーテック株式会社にてCFOを務めています。
弊社のアプリを通じて「家族」という単位でお金の管理や消費をしやすくすることで、家族としての生活の効率化や家族仲の良さにつながると考えています。
―― 今後の夢や目標について聞かせてください
ダイバーシティー経営の実現の一言に尽きます。難病患者や障害を持っている人、子育て・介護に奮闘する人たちが当たり前に活躍でき、暮らしやすい社会にしたい、世界中の人が人種や出身国に関わらず、対等な立場でコミュニケーションの取れる世界にしたい。すべての人が、やりたいと思っている仕事に就いて、生きたいと思っている人生を生きられる世界にしたいという思いを根底に持ち続けています。
今、1歳の子どもを育てているのですが、最近は子育てによる時間的制約が大きくなってきたと感じているので、仕事のみでなく、家族のあり方ももっと多様化していくといいなと。
まずは自社の中で、自分がこういう制度、サービスがあると働きやすいなと思えるものを導入し、働きやすい会社にしていきたいと考えています。
また、弊社のサービスを通じて、家族の生活を良くしていくことができると考えているので、それも仕事のモチベーションにつながっています。事業を大きく拡大させ、「家族」という単位での経済活動を根付かせていきたいですね。
―― 公文式学習中の子どもたちへのメッセージをお願いします
コツコツとやり続けることは必ず力になります。習慣にすること自体が偉大なので、ぜひ公文式で学習習慣を継続してほしいですね。
私自身も、仕事で事業計画や財務モデルをエクセルで作成することがあるのですが、公文で培った集中力が役立っていると感じます。また、キャリアを積み重ねていく中で、社会人になってからも勉強することが大事です。例えば私の場合は会計や財務、労務、法律などの勉強を継続しているのですが、毎日公文をやっていた習慣のおかげで、仕事で疲れていても学びを継続することができているのかもしれないな、と思います。
―― 息子さんにはどんな子に育ってほしいですか
今、私の母が30年前に私に使っていた公文のカードや知育玩具を、私の息子も使ってるんです。公文の絵本も大好きで、一日10冊くらい読み聞かせをしているのですが、ずっと集中して楽しんでいます。公文の国旗カードも大好きですよ。
息子には、自分のやりたいことを叶えられるよう努力できる人、自分の意思を持てる人になってもらいたいですね。その上で、世界中に視野を広げて関心を持ってくれたらうれしいです。EICにも参加できる日がくるといいなと思っています!