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Vol.370 2020.09.08

浮世絵から見える江戸時代の人々「重陽の節句」

大輪の菊に健康と長寿を願う
~人々の暮らし「重陽の節句」の関係~

KUMONでは1986年から子ども文化研究のために浮世絵を中心とした文化史料を収集・研究してきました。今回は江戸時代の人々と「重陽の節句」の関係に迫る浮世絵を紹介します。浮世絵から垣間見える江戸時代の人々の暮らしを一緒に想像してみましょう。

目次

健康を願う「菊の節句」

九月九日は「菊の節句」です。昔の中国では九のような奇数を陽数、八のような偶数を陰数と分類していました。この考え方からすると「九」は一桁の奇数の中で最も大きく、特に九月九日のように陽数が重なることから「重陽」と呼ばれました。また、旧暦の九月は今の十月にあたり、優れた薬効があり不老長寿の花とされる「菊」の時期であることから「菊月」とも呼ばれていました。
江戸時代になると、幕府は一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日の季節の節目を「五節句」として制定しましたが、中でも九月九日は「重陽の節句」または「菊の節句」と呼ばれ、盛大に行われていたようです。また、江戸中期になるとこの日を大人の女性の「後(のち)の雛」として雛人形と秋の菊の花を飾り、厄除けや健康祈願をする「大人の雛祭り」の風習も庶民の間で広がりをみせたといいます。

さて、今回の浮世絵は武者絵を得意とする歌川国芳の描いた「雅遊五節句之内 菊月」です。国芳は二人の男の子に相撲を取らせて「菊の節句」を表現しました。しかし筋骨隆々の武者絵と違い、二人の男の子はあどけなく、まわし(ふうどし)に巾着を付けて一戦を交えています。腰の巾着はおそらくお守りや迷子札入れとして母親が手作りしたものでしょう。まわし姿になっても巾着をつけて勝負している様子がなんとも可愛らしいですね。周りでは菊文様の着物の子どもが声援しています。周囲には長寿のシンボルである大輪の菊が多数描かれていて、子どもの健康、長寿の願いを込めたことがわかります。

公文の浮世絵:重陽の節句『雅遊五節句之内 菊月』 国芳 天保10(1839)年頃

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