声優を目指したきっかけは
小5で観た『進撃の巨人』
私は声優として、アニメーション作品のキャラクターの声を演じたり、外画(洋画や海外ドラマなど、海外で制作された映像作品)の吹き替えをしたりしています。また、企業のプロモーション動画のナレーションを務めることもあり、仕事の内容は様々です。
2025年2月に放映されたポケモンのウェブアニメシリーズでは、主人公ヒロを演じました。役が決まった時は、誰もが知る作品の主人公を演じられるなんて夢のようで、しばらくは実感が湧きませんでした。

収録は2024年の秋に行われました。収録後に、監督やスタッフの方々から「がんばっていたね」「役に合っていたよ」と声をかけていただき、ようやく「本当に私が主役を演じたんだ」と実感がこみ上げ、「うれしい」という気持ちになりました。ヒロは少年の役でしたが、男の子の声を演じることに抵抗はなく、むしろ楽しんで演じることができました。
声優の仕事は、内容によって収録時間が30分ほどで終わる場合もあれば、丸一日かかることもあります。仕事がない日は、滑舌の練習をしたり、様々なキャラクターの心情をくみ取れるように、アニメをたくさん観て感じたことをノートに書き出したりしています。
私は本もよく読みます。本をたくさん読んでいる時のほうが、うまく話せる気がします。仕事では登場人物の心情を想像しながらセリフを読みますが、演じる中で「これはあの時に感じた心情に近いな」と思うことがあります。
これは読書によって表現の“引き出し”が増えている感覚があるからだと思います。ただ、その引き出しは、まだまだ足りないと自覚しているので、さらに増やすために、いろいろなことに取り組んでいます。
私が声優になりたいと思うようになったのは、小学5年生の時でした。姉から「面白いよ」と勧められて観たアニメ『進撃の巨人』がきっかけです。ダーク・ファンタジーやバトル・アクションと呼ばれるジャンルの作品で、登場人物たちの断末魔の声などに強い衝撃を受けました。「声だけでこんなにも豊かに表現できるなんて、すごい!」と感動し、声優という仕事に憧れるようになったのです。
私が物語に強く引き込まれたのは、まさに声優の演技力によるものでした。それまでは「かっこいい」という理由だけで医者や警察官に憧れていましたが、次第に演技力のある声優になりたいと思うようになりました。
母に絵本を「読み聞かせ」
教材の『車輪の下』に衝撃
声優の仕事に大きな影響を与えていると感じるのは、子どもの頃から本をよく読んできたことです。マネジャーから「ここはどういう感情で言っていると思う?」と聞かれた時、前後のシチュエーションを把握しながらキャラクターの心情を読み取り、論理的に考えられるのは、読書を通して培った「物語を想像する力」が身についているからだと思います。
「ただ面白い」と感じるだけの読書もよいかもしれませんが、文章に書かれていること以外にも想像力を膨らませ、思いを巡らせることで、物語をより深く味わうことができ、印象も鮮明に残ります。例えば、物語の途中に結末に結びつくカギとなる重要な描写があり、「あそこであの出来事があったから、こうなるのだな」と納得することがあります。私は、そのカギとなる描写をあえて無くしてみたらどんな物語になるのかなと想像するのが好きです。中学1年生の時にKUMONの国語で最終教材※まで進むことができたのも、この「想像しながら楽しめる力」があったからなのだろうと思います。
※最終教材はO教材で高校卒業程度。O教材の後に大学教養課程相当のコンプリーターズコースが用意されています。

私が読書好きになったのは、自宅に絵本や本がたくさんあったからです。母は特別本好きというわけではありませんでしたが、読書の大切さを認識しており、姉と私に本好きになって欲しいと、様々な本を集めてくれていました。そのおかげで私たちは本好きに育ちました。「読み聞かせ」は多くの家庭で行われていると思いますが、我が家では、母に読み聞かせをお願いすると、逆に「私に読み聞かせて」と言われることがありました。そこで声に出して読んでいると、読むうちにだんだんと自分のほうが楽しくなり、ますます読書に夢中になっていきました。もしかすると、これも母のねらいだったかもしれません。
中でも印象に残っている本は、小学5年生の頃、KUMONの国語教材で出会ったヘルマン・ヘッセの『車輪の下』です。教材では一部しか読めなかったため、教室の本棚にあった本を手に取り、最後まで読みました。それまで読んでいた絵本や小説は、たいてい幸せな結末を迎えるものばかりでしたが、『車輪の下』はそうではありませんでした。それが印象に残った理由だと思います。「ハッピーエンドではない終わり方の物語もあるんだな」「むくわれない話も、これはこれで面白いものだな」と感じ、それ以来、結末で意外な展開を迎える物語を求めるようになりました。
その嗜好は今でも続いていて、読後にイヤな余韻が残るミステリー、いわゆる「イヤミスの女王」として知られる湊かなえさんの作品が好きです。また最近は芦沢央さんの作品にもはまっています。もともとは紙の本が好きなのですが、どうしてもかさばってしまうため、現在は電子書籍で、電車の中などの隙間時間に読んでいます。
人生の「お守り」になった
くもんの先生の言葉
私は広島県生まれですが、父の転勤にともない、小学校は山口県、三重県、鳥取県と3回転校し、引っ越しする先々で公文式教室に通っていました。私がKUMONに通い始めたのは小学2年生の時ですが、それ以前にも、6歳上の姉が通っていた教室に一緒について行き、教室の隅で待たせてもらっていました。おそらくその頃は、教室にある本を読んで待っていたのだと思います。
KUMONは、国語は中学1年生で最終教材を修了するまで、英語と算数は中学3年生まで続けました。もともと私は飽きっぽい性格で、ピアノや水泳などの習い事はどれも1年以内にやめてしまったのですが、KUMONだけは続けることができました。その理由はいくつかあります。
まず、KUMONを学習をしていたおかげで学校の勉強がとてもラクだったことです。また、どの教室でも先生が親身になってくれたことも大きな理由でした。そのおかげで、転校先でも勉強に困ることはなく、クラスにもすぐになじむことができ、常に「勉強ができる子」「勉強を教えてくれる頼りになる子」というポジションにいることができました。「勉強ができるということは、こんなにも大きなアドバンテージになるんだ。KUMONをやっていてよかった」と心から思いました。
また公文式の教材は飽きずに取り組める工夫がなされていて、「1日何枚」というノルマがあったことも、ある程度のルールが決まっている方が勉強しやすいタイプの私には合っていたと思います。学年を超えてチャレンジできるのも私には合っていました。学校のテストでは、「できる子」は大体90~100点を取れるので、大きな差はつきませんが、KUMONでは学年を超えてどんどん上の教材に挑戦することができます。別の教室の子が先の教材まで進んでいると聞けば、「かっこいいな」「自分もそうなりたいな」と思ってがんばることができました。KUMONには常に刺激を受け、目指す目標があったことも続けられた理由の一つです。
また、親にほめてもらえるのもうれしくて、それも大きなモチベーションになっていました。高進度学習者に贈られるオブジェもいくつかいただき、それらを並べて「きれいだな」と眺めるのも好きでした。
一方で、教材が高進度になってからは学習に時間がかかることも多く、「もうやめたい」と思うことが何度もありました。宿題ができていなくて親に叱られ、白紙のまま宿題を教室に持って行ったこともありました。しかしそんな時でも、先生は決して叱らず接してくれたので、続けられたのだと思います。

先生のことで思い出に残っているのは、中学1年生の頃、鳥取の教室で国語の最終教材に取り組んでいた時のことです。教材の内容が難しく、すぐに解けないことが多かったのですが、教室の先生方は親身になって「もう少しここを読み込んでみたらどうかな」などとヒントをくれたり、常に「大丈夫だよ」「できるよ」と声をかけてくれたりして、時間を惜しまず私と向き合ってくれました。
最終教材を最後までやり遂げることができたのは、そのおかげです。このような先生方のサポートがなかったら、私は途中で諦めていたかもしれません。そして、そんな体験があったからこそ、私は「諦めない力」を身につけ、自分の実力以上のことにも食らいついていく気持ちが育ったのだと思います。
また、教室で2~3時間残って学習していた時に「集中力がすごいね」と言われたことも、強く心に残っています。それまで自分では意識していなかったことなので、「私には集中力があるんだ」という大きな自信につながりました。このことをきっかけに、「私は集中力もあるし、本気を出せばできるんだ」と自分に言い聞かせながら、前向きにがんばれるようになりました。あの時の先生の言葉は私にとって、今でも「お守り」のような存在です。
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後編のインタビューから -声優を目指したきっかけは 小5で観た『進撃の巨人』 後編へ続く(近日公開) |











