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Vol.129 2016.01.12

東京中華学校での公文式日本語導入

もう日本語はこわくない
これなら「わかる」、
これなら「できる」学ぶ自信に!

東京・四谷にある東京中華学校では、週に2回、放課後に中国や台湾からの転入生のための日本語補習授業が行われています。このクラスに、昨年1月から公文式日本語が導入されました。今回は、日本語補習クラス担当の高橋先生と国語担当の伊藤先生のお二人に、クラスの様子をうかがいました。

目次

日本語のレベルがばらばらでもOK
だから取り入れた公文式

東京中華学校の日本語補習授業は、週に2回、放課後に1時間行われています。しかし、生徒は小学生から高校生までと年齢層も幅広く、日本語レベルもばらばら。クラスを受け持つ高橋先生は、まさに「てんてこまい」。レベルの異なる生徒に教える難しさを感じていたそうです。昨年の1月から公文式日本語を導入した結果、子どもたちの表情も意欲も、それまでとは見違えるほど変わったそうです。


―― これまでの日本語補習クラスの様子を教えてください。


日本語補習クラス担当 高橋先生

伊藤: 私がこの学校に赴任したのが13年前です。その頃、転入生は中学生と高校生を合わせて20人弱でしたが、全員、午後の授業は日本語教師が行う日本語のクラスに出ていたんですね。しかも専門の日本語教師が数人いましたので、クラスを初級と中級に分けることができて、かなり手厚い日本語教育ができていたんです。当時は、市販の日本語学習書を使って授業をしていました。
 
高橋: 私がクラスを受け持つようになった6、7年前からは7時限目の取り出し(補習が必要な生徒だけを選んで、別の教室で日本語を教えること)と放課後の2時間、週2回の補習授業という形になりました。そのころ、転入生は減ってきていて、しかも親御さんの転勤などの一時滞在がほとんどでした。ですから、不十分ながらも私一人で対応していたのですが、その後、クラス授業を重視するという学校の方針で取り出しは無しになり、週2回放課後1時間のみに減りました。ここ3、4年は中学・高校の転入生が増えてきて、さすがに一人では見きれなくなってきました。他の先生の応援を得て、初級と中級に分けて対応した年もありました。しかし、2年前に20人ほどの転入生を一度に任されたときは本当に困りました。その頃、学校の中高部では日本語での授業が増えてきていましたし、レベルも進むスピードも全く異なる生徒に対して週2時間の補習では正直対応しきれず悩んでおりました。


―― そのころ、教材はどうされていたのでしょうか?


国語担当 伊藤先生

高橋: 私は、長く日本語教師をやってきていましたので、それまで日本語学校の授業で使用してきた教材を活用して、自分でも作ったりしていたんです。ところが、小学生から高校生までどの子に合わせても、簡単になりすぎたり、難しくなりすぎたりして、週2時間のクラスとしてうまくいきませんでした。

―― 公文式日本語を取り入れようと思った理由は何だったのでしょうか?

高橋: 私自身が最も悩んでいたのは、それぞれの子どもたちに合わせた授業ができないということでした。その点、公文式は、その子のレベルに合わせて、しかも進み具合もそれぞれの子どもの能力に合わせて学習することができます。そうした公文式のやり方は知っていましたし、公文式には中国語で学べる日本語の教材もあるということも知っていました。そこで、公文式を取り入れてみようと思ったんです。

公文式を導入して起こった変化とは?

日本語を話す勇気と自信がついた子どもたち
クラスも明るく、楽しい雰囲気に

―― 実際、公文式を取り入れてみて、いかがでしょうか?

高橋: 一番よかったことは、どの子どもたちも自分に合ったレベルの学習をすることができるようになり、「これならわかる」「これならできる」というふうに取り組めるようになったことです。やはり、子どもたちにとって「わかる」「できる」というのはうれしいことなんですね。それまでは「日本語なんてわからないし、できないよ」と拒否してしまう子もいたのですが、今では自分がやれるところからやっていけば、ちゃんと進んでいけるということがわかっているので、みんな安心して意欲的に学習するようになりました。

伊藤: 私が以前、補習クラスを受け持っていた時には、私が何か言う前から、顔を見ただけで「聴不憧(チンプトン)」って言う子もいたんです。「聴不憧」とは、中国語で「わからない」という意味で、「先生が何を言っても、自分はわからないから」と、厚い壁を作ってしまうんですね。「大丈夫、わかるところからやろう」と言おうとしても、私が口を開こうとしただけで「聴不憧、聴不憧」と……。以前は、そういう生徒がいて大変だったのですが、公文式を取り入れたことで変化が起こりました。

 自分のできるものが目の前にある。「とりあえずやってみようか」という気持ちになってきた。生徒の気持ちの壁がなくなったんですね。日本語へのハードルが下がったことで「聴不憧、わからない」という言葉が出なくなりました。そんな、生徒たちの変化が、クラスの雰囲気も変えたんです。とても明るくなったと感じています。決していい加減にやっているわけではなくて、いい意味でリラックスしているなと。みんなの表情がすごく明るいんです。私が授業を受け持っていない生徒の中には、廊下で私の顔を見ただけで逃げていた子もいたのですが、公文式を取り入れてからは、自信と勇気がわいてきたんでしょうね、廊下で会うと、「あ、先生!」と呼びかけて、知っている日本語を一生懸命使って話してくれるようになったんです。

高橋: ほかの先生方からも「みんな楽しそうに、喜んで日本語を勉強していますね」と言われるようになりました。私自身、公文式を取り入れてから、子どもたちをほめることが多くなってきたなと感じています。それまでは「もっと頑張らなくちゃダメよ」と注意することも少なくなかったのですが、今は「おぉ、すごい。できたねぇ。よかったね」というような言葉が増えてきました。注意するよりも、ほめる方が、教える側としてもやっぱりうれしいですよね。公文式の指導を通じて、以前よりほめることが増えたと感じています。


―― 公文式の効果についてはいかがでしょうか?

高橋: 公文式のシステムというのは、子どもたちがそれぞれの目標をきちんととらえて、着実に進んでいくことができます。また、子どもたちにとっては目に見えて、自分が進んでいることがわかるので、楽しく感じているようです。

伊藤: 子どもは力がついてきていることがわかると、もっとやりたくなるものです。ですから、「このやり方で大丈夫なんだ」という確信、自信が出てきて、さらに意欲がわいてきているのだと思います。


―― 今後についてはいかがでしょうか?

高橋: 転入生をめぐる状況の変化も激しいと感じています。今いる転入生の多くが“ゆくゆくは日本で大学受験をする”という状況で、高い日本語能力が必要とされ始めてきています。転入生は、まずは学校の教科の日本語の授業をできるだけ早く理解できるようになることが第一義です。公文式を使った補習クラスは日本語の入り口ですから、この後も継続して日本語を学べるようなことも考えていかなければいけないと思っています。子どもたちが大学受験や、その先の将来、日本の社会で生きていくための日本語力を身につけていくために、よりよい方法を考えていけたらと思っています。

<東京中華学校>
1929年「東京華僑學校」として開校。「東京華僑小學校」に校名を変更した36年、日中戦争により閉鎖となる。46年「東京中華学校」として復校。現在は小学部、中学部、高等部からなり、2008年には学校法人としての認可を受ける。

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