カナダで「多文化共生」を実感
言語と非言語のバランスは三線にも

大学は上智大学文学部教育学科(当時)に進みました。父も同大の卒業生で親しみがあったこと、そして何より海外留学生や帰国子女が多く、国際的な環境で学べる点に魅力を感じたことが進学を決めた理由です。
「教育学科」というと先生になるための学科と思われがちですが、私は教員になるつもりはなく、国際交流に関心があったので「国際化した社会で互いの文化の理解と交流を円滑にするための教育」を扱う「国際教育」を専攻しました。特に「多文化理解教育」に関心があった私は、3年次から4年次にかけて8か月間、カナダで交換留学生として学びました。
カナダは世界で初めて「多文化主義」を国の基本政策として明確にし、推進し続けています。移民を一時労働者として受け入れるのではなく、カナダ市民として「永住」させることを基本としており、その仕組みをどのように推進しているのか知りたかったんです。
実際にカナダに留学すると、「多文化共生」を実感しました。「カナダ人」と自己紹介する学生も、様々な国や宗教のバックグラウンドをもち、さらに各国から留学生が来ていて、いろんな人が一緒に学んでいる。人種差別も経験せず、あらためて「世界は広い」と実感しました。同時に、英語で自分の意見を細かく伝えられるようになることは、将来の多文化共生のカギになると悟りました。
ハウスメイトのご家族と
一方で、言葉を介さないコミュニケーションの楽しさも経験しました。私は中高とバスケットボールをしていたので、留学中も現地チームに所属したり、木彫りの船に乗り海でレースをする「ロングボード」の大会に参加したりしていました。その中で、背景や文化が違っても、喜びを分かち合えることを実感しました。そして、言語と非言語をバランス良く使えることの大切さも感じました。今生業にしている音楽でも同じことを感じています。言葉や文化が違っていても、三線の音色に魅力を感じていただける方はたくさんいらっしゃいます。
卒業後は「日本の文化を海外に伝えたい」とインバウンドを専門とする旅行会社に就職し、海外からのお客さま向けにツアーの企画や手配を担当しました。ところが東日本大震災で旅行業界は大きな打撃を受け、それを機に、いろんな引き出しをもつことの大切さを痛感し、職種を見直し転職。その頃に三線に出合いました。
異文化では相手の言動をすぐ判断せず「背景」を理解する

私は国際結婚をしていますが、夫は日本語が堪能なので、言語に関して衝突はほぼありません。行動やコミュニケーションのやり取りで違和感があるときは、本人の性格の前に文化的な背景による理由がないかどうかを、無意識に確認していると思います。
異文化コミュニケーションのポイントは、「相手の言動をすぐに判断するのを一旦保留する」――これは大学時代の異文化理解教育という授業で学んだ「エポケー」という現象学のアプローチですが、それが重要ではないかと思っています。感情的になっているときは、なかなか難しいのですが、できるだけ心がけています。
そして「なぜそんな言動をするのか」、背景を知っておくこともとても大事です。例えば夫の出身国のフランスでは、自分の意見をしっかり伝える文化があります。食事中、議論することもふつうで、最初に彼の実家に行った時にはけんかしているのかと思ったほどです。でも、「この国ではそうなんだ」と理解していれば納得できます。
私は日々、お客さまと接するときも、相手の背景を大事にするようにしています。「なぜ三線を始めたのですか」など、バックボーンを丁寧にうかがうことで、その人にはどんな三線がいいのか、よりよいものをアドバイスしたいと思っています。
人生を進めているといろいろな環境や出会いで変化が起きますが、私は、何かの「軸」をもっている人は強い、と思います。私の場合は、「日本の伝統文化が好き。それを海外に伝えていきたい」という想いがずっとありました。「職業」としては具体的に何が該当するのかはわかりませんでしたが、小学校の作文で、「アメリカのディズニーワールドで働く」と書いたことがあります。そこには「日本館」という日本の文化を体験できる建物があり、「日本館」で働くことに憧れていたんです。
その頃から、「日本の文化を海外に伝えたい」という気持ちがあったと思います。それが「三線」に出合ったことで、沖縄という独特の素晴らしい文化や芸能をもつ地域を海外に紹介したいという想いが生まれ、今はその想いが現実に近づきつつあります。そんなふうに「こういうものが好き」という自分の気持ちに耳を傾け続けていれば、目指すところにたどり着けるのではないかという希望が湧いてきます。
三線 (Sanshin)を
世界に広げていきたい

将来の目標ですが、まず三線の職人としては、三線製作の技術、修理の技術の向上です。実は私が「職人」と意識するようになったのは、数年前に、とある三線奏者の方から三線の修理を有り難くも任された頃からです。実はものすごいプレッシャーで、技術的にも大変なこともありましたが、それが楽しくもあり、改めて自分は三線が心から好きなんだなぁと感じました。ふり返ると、まだまだ未熟だった自分に修理を任せていただき、三線について真剣に向き合い勉強させていただいたことに心から感謝の気持ちでいっぱいです。
これを機に、仕事への向き合い方が大きく変わりました。うちなーんちゅ(沖縄出身の人)の方々を始め、たくさんの素敵な方達に出逢わせてくれた三線に感謝の気持ちが芽生え、恩返ししたいと思うようになりました。最終的には、三線のすべてのパーツを自分でつくれるようになるのが目標です。時間はかかると思いますが、公文式学習のように、コツコツと進めていきたいと思っています。
演奏家としての目標は、今一生懸命習っている八重山民謡を師匠から正しく伝承し、極めていくこと。石垣島に足繁く通って、大好きな師匠から八重山の歌を学び続けていきたいです。
そして最後に、大きな夢としては、三線をもっと世界に広めることです。今、その準備も少しずつしています。これまで学んできた英語やフランス語、大学での国際教育の学びなど積み上げてきたことを活かして、三線に、そして大好きな沖縄に恩返しする気持ちで、努力していきたいと思っています。世界の人々が三線 (Sanshin)という言葉を聞いて音色を、そして沖縄を想起できるようになってくれたらうれしいですね。
子どもたちに伝えたいのは、今学んでいることは、すぐにその成果が出ないかもしれないけれど、後でつながってくるので、目の前のことにコツコツ取り組んでがんばってほしいということです。公文式のプリントのように、一生懸命に目の前の小さな課題をクリアしていくと、将来ふり返った時に、その経験が大きな力になっていることに気がつきます。今やっていることは「点」ですが、たとえどんな小さな点でも線につながる日が来ると思うので、それを信じて進んでほしいですね。
保護者の方は、その子の好きなもの、その子の情熱に耳を傾けて、伸ばしてあげる懐の広さをもつといいのではないでしょうか。私の両親も、私がラジオを分解しても叱ることはありませんでした。私もおおらかでありたいと思いながら子育てをしています。息子は今のところ三線には関心がないようですが、押しつけることなく、息子の「好き」に耳を傾けていきたいと思っています。
![]() |
前編のインタビューから -三線職人としてのこだわりと沖縄民謡の魅力 |









