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Vol.116 2025.12.26

プロバレーボールプレーヤー
石川 祐希さん・石川 真佑さん

<後編>

支えてくれたまわりの人たちへの
感謝の気持ちが原動力

プロバレーボールプレーヤー

石川 祐希・石川 真佑 (いしかわ ゆうき・いしかわ まゆ)

石川 祐希
1995年生まれ、愛知県出身。愛知・星城高校ではエースとして高校総体、国体、全日本高校選手権の高校6冠を達成。中央大学に進学し、在学中からイタリア・セリエAでプレーする。現在は同リーグのペルージャに所属。攻守のバランスに優れ、日本代表ではキャプテンとして世界を舞台に戦う。海外での経験を通じて「学び続ける力」を磨き、次世代へその姿勢を伝えている。

石川 真佑
2000年生まれ、愛知県出身。幼少期に公文式で学び、「自分のペースで積み重ねる力」を身につけた。小学3年生からバレーボールを始め、進学した強豪・下北沢成徳高校では全国制覇を達成。東レアローズで活躍後、2023年にイタリア・セリエAのフィレンツェに移籍、現在はノヴァーラに所属。日本代表として世界各国を舞台に挑戦を続け、2025年からはキャプテンを務める。攻守に優れたオールラウンダー。

ともにバレーボール日本代表としてキャプテンを務め、海外リーグで活躍する兄の祐希さんと妹の真佑さん。幼い頃に通った公文式教室やバレーボールとの「出会い」から、ふたりを支えてくれたまわりの人たちへの感謝の気持ちが、世界の舞台で挑戦を続けるふたりの原動力になっています。
おふたりへの取材は別々のタイミングで行いましたが、それぞれの道を歩み、未来に目を向ける祐希さんと真佑さんに、これまでの歩みをふり返っていただきました。

目次

    まわりの人たちに支えられた公文式学習

    石川祐希 × 石川真佑

    石川祐希さん(以下、祐希):
    学校の勉強では、たまに母親から、妹に勉強を教えてあげてと言われたことはありましたが、勉強はお互い自分でやっていくタイプでした。それぞれが自分のペースで学習していた感じです。

    5歳離れているので、教室に一緒に通うことは少なかったかもしれないです。僕は小学校の部活動をしていたのですが、妹は部活動ではなくクラブチームに入っていて、その練習が19時からと夜の時間帯でした。妹は学校から帰ってきて公文式教室(以下、教室)に行き、その後、練習に行っていたと記憶しています。僕は部活動が終わってから教室に行っていました。

    石川真佑さん(以下、真佑):
    私が早く帰ってきて教室に行っているときは、兄は小学校の部活動に行っていたので、教室に一緒に通うことは少なかったですね。

    祐希:
    公文式を始めたきっかけは、教室の先生と祖母が仲良しだったことです。先生は僕のことを息子のように接してくれていました。先生は、優しいときもあるし、しっかりと指導してくれることもありました。わからないところを質問すると、先生はすぐに答えを言うのではなく、「どう考えたの?」とやり方を聞いてくれて、上手に導いてくれたことを覚えています。

    先生は僕の表情や鉛筆の止まり方を見て、声のかけ方を変えてくれました。「今はここで止めよう」「今日はもう一枚いける?」そんな微妙なさじ加減が、継続へのハードルを下げてくれたのです。自分のペースで勉強できる環境で、強制され過ぎずにできたことが、続けられた理由かなと思います。

    家では、進み具合を祖母に報告するのが習慣でした。四字熟語を声に出して覚えるうちに言葉への興味も広がり、国語の読解が少しずつらくになっていきました。

    真佑:
    教室には祖母と一緒に行ったり、迎えに来てもらったりしていました。先生も私のスケジュールを理解してくれて、教室ではいつも温かく優しく接してくれたので、すごく恵まれていたなと思います。

    バレーボールでは目標に向かって厳しく言われることもありますが、公文式の先生から「できているね」という言葉をかけてもらうと素直にうれしかったですし、達成感もありました。

    環境をつくってくれた、家族への感謝

    石川祐希 × 石川真佑

    祐希:
    小さい頃は、きょうだい3人で、スイミングや体操教室、公文式などの習い事をしていました。両親が元々アスリートだったこともあり、スポーツをするのが好きでした。今思えばそれがよかったです。バレーボールを始めてからも、父親は陸上で母親はバスケットボールをやっていましたので、走らされることが多かったですね。

    走り方も指導されることが多かったです。家の前できょうだいでかけっこしたりしていました。走るのは速い方ではありましたが、野球を1年やり、その後バレーボールに「出会って」からはバレーボール1本になりました。

    真佑:
    小さい頃からバレーボールや公文式など、いろいろなことに取り組めたのは、自分がやりたいことができている環境をつくってくれた家族がいるからだと思います。

    出会いに恵まれて、支えてくれた人たちのためにも

    祐希:
    バレーボールには小学4年生で「出会い」ました。最初は姉の練習について行った時、姉の小学校のクラブチームと僕が始める部活が練習試合をしていて、そこでその部活の先生から「ちょっとやってみなよ」と声をかけられました。

    石川祐希 × 石川真佑

    アタックのステップを教えてもらい、それができて試合に出場させてもらったらアタックがちょっとだけできたというところが成功体験になり、面白さを感じたのがきっかけです。

    たまたま始めた小学校の部活が全国大会に行くような非常に強いチームだったので、そこで勝つことのうれしさを知りました。

    小学校で強いチームから始めて、中学校の部活も同じメンバーで、強い先輩にも恵まれて全国大会を経験し、本当に恵まれた環境だったと思います。高校からも声がかかって優勝したりして、結果がどんどんついていったことで、勝つことの楽しさやバレーボールの楽しさをしっかりと段階的に踏めていったところは大きかったなと思います。

    大学に入学後は、イタリアに行けるチャンスをつかむことができました。それも、僕だけの力では行けなかったですし、まわりの人たちのサポートに恵まれて行かせていただき、今があると思っています。これまで出会った方々に感謝しています。

    石川祐希 × 石川真佑

    真佑:
    バレーボールは、自分の素直な気持ちでやりたいと思ってできています。中学から親元を離れましたが、両親も私のやりたいことを尊重してくれているので、自分でしっかり決めて自分のやりたいように取り組めていると思います。

    逆境でも自分を奮い立たせるものは、一番は自分がバレーボールを大好きで続けているということ。そして、いろいろな人が支えてくれていて、とても感謝しているので、そういう人たちのためにという思いもあります。初心に立ち返って、自分がなぜバレーボールを続けているのかという原点に戻ることで、もっとがんばろうと前向きに考えて取り組んでいます。

    苦しい時期もありますが、自分がバレーボールを楽しんでやっているときに成長できているなと感じますし、改めて競技をしていて、大好きだなと感じることが多いので、そこは大きなモチベーションになっています。もっとうまくなりたい、成長したいという気持ちが大きいですね。

    オリンピックでメダルを獲得するという目標に向けて、いろいろな経験をさせてもらっています。今年も、自分が成長できるシーズンでもありました。今まで多くの課題に向き合ってきていますが、もっと成長できる部分もありますし、目標を達成するために、バレーボールの技術だけでなく、人間性も磨いていければいいなと思っています。

    前編を読む

     


     

    石川祐希  

    前編のインタビューから

    -公文式とバレーボールで、「積み重ねる習慣」が身についた
    -「自分で考えて行動すること」 選手として強く意識するように
    -日本代表選手として 次の目標は五輪でのメダル獲得

    前編を読む

     

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