若い女性の西洋への憧れ
![]() 見立多以尽 洋行がしたい 月岡芳年 明治11年(1878) |
右の絵は「洋行をしたい・・・」という若い少女の気持ちを描いています。少女は格子柄のシャツに着物を重ね着しており、当時では進んだファッションに身を包んでいるところを見ると、裕福な家庭の娘であると推測できます。椅子に座り、テーブルに頬杖をついて眺め見る書物にはアルファベットらしき文字が並んでいます。明治に入ると、留学や女学校への進学など、女性の学問への道が徐々に広がり始め、まだ見ぬ外国に憧れを寄せている様子が描かれています。
子どもたちの文明開化~子どもたちの学びの場は寺子屋(手習塾)から学校へ~
江戸時代の子どもたちの学びの場と言えば、「寺子屋」をイメージされる方も多いと思います。当時、寺子屋は手習塾とも呼ばれ、庶民の子どもたちは7歳前後になると読み・書き・算法を寺子屋で学んでいました。しかし、寺子屋に通うことは義務ではなく、入門時期も辞める時期も自由でした。また、親の職業や個人の能力に合わせて学ぶ内容も、課題も、進み方も個人別でした。さらに師匠(先生)の指導の仕方も統一されたものではありませんでした。日本の寺子屋の数は推定で50,000か所以上いう説もあり、現在の公立小学校の2.5倍ほど存在していたことになります。この教育環境によって識字率も就学率も世界有数となり、日本の明治維新以降の急速な近代化はこの教育基盤が無ければ叶わなかったとさえいわれています。
![]() 絵本栄家種 上 勝川春潮 寛政2年(1790) |
左の絵は、江戸時代の女子が通う寺子屋の様子を描いています。ふすまの前にいるのが師匠で、その前で女の子が「読み」の指導を受けています。壁際の席では「書き」の練習をしていますが、どの子も自分の席で個別に学習している様子が見てとれます。