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Vol.121 2026.06.11

芸人・カベポスター
浜田順平さん

<後編>

サラリーマンから漫才師の道
一つひとつの経験の積み重ね
芸人人生を支えてくれた

芸人・カベポスター

浜田 順平 (はまだ じゅんぺい)

1987年大阪府出身。清風高等学校を卒業後、大阪市立大学法学部に入学。大学時代はユースホステル部に所属し、日本一周を経験。また、フィジー共和国への留学にも挑戦。卒業後は大手自動車メーカーで1年半会社員として勤務した後、NSC(吉本総合芸能学院)に入学。2014年、NSCで出会った永見大吾さんと「カベポスター」を結成。2022年「第11回ytv漫才新人賞」優勝、同年「第43回ABCお笑いグランプリ」優勝、年末のM-1グランプリで初の決勝進出を果たす。2023年には「第58回上方漫才大賞 新人賞」を受賞し、さらに2年連続でM-1決勝に進出した。2026年4月より活動拠点を大阪から東京に移す。

漫才師たちの頂上決戦であるM-1グランプリでは2年連続決勝進出(2022・2023年)。独特な場面設定とワードセンスを武器に、唯一無二の存在感で、一躍全国区の人気者となったお笑いコンビ、カベポスター。ツッコミ担当の浜田順平さんは大阪市立大学を卒業後、一度は大手自動車メーカーへ入社したものの、「多くの人を笑顔にする仕事がしたい」と芸人の道へ進みました。そんな転身の土台となったのが、「どんな壁も頑張れば乗り越えられる」という、子どもの頃に通ったKUMONでの経験だったと言います。2026年、満を持して大阪から東京に進出し、「今がまさに、正念場です」と語る浜田さん。お笑いの世界で挑戦し続ける立場から、KUMONを頑張る子どもたちにメッセージを送ってくれました。

目次

    つまずいた僕を救った
    KUMONでがんばった「経験」

    KUMONを始めたのは小4の時。ちょうど小学校を転校したタイミングでした。両親が学校の教員ということもあり、「勉強をちゃんとやってほしい」という気持ちと、「KUMONに行けば友だちができて、新しい環境になじめるかも」という思いもあったんじゃないかと思います。

    浜田 順平

    KUMONって最初はめちゃくちゃ下のレベルから始めるじゃないですか。ゲームをらくらくクリアするような感覚で、スーっとやれたので、「楽しい!」って思いました。小4か小5レベルの内容になると少し壁にぶつかるんですけど、親や先生に質問したり、となりに座った中1ぐらいの子に教えてもらったり、とにかく教室に行くのがめちゃくちゃ楽しかったです。

    宿題は…まぁギリギリにやっていましたけど、教室には行きたかった。先生は厳しいんだけど、素敵な先生だったんですよ。遊んでいるとちゃんと叱ってくれるし、聞きに行くとしっかり教えてくれる。とにかくその先生には甘えていましたね。「あんたのためやで」っていうのがすごく伝わってきました。友だちもいるし、大好きな先生もいる。そして勉強も「いいことをしているな」と思いながらやっていました。間違った問題でもやり直せばすぐ結果が出るので、それも楽しかったです。

    勉強は割と好きなほうでした。両親がいろいろ教えてくれたというのもあるんですけど、KUMONという存在も大きかったと思います。「がんばったら結果が出る」という経験を、小学生の頃から積み重ねてこられたと思います。

    浜田 順平

    高校受験は第一希望には受からず、入学した高校には、やりたかった野球部もなく、落ち込んでいた時期がありました。そして勉強をサボっていたこともあって、いざ大学受験を迎えた時、勉強ができずに苦しみました。でもその時に、中学まで続けたKUMONの下積みが僕を支えてくれたんです。自分でも驚いたんですが、本気を出してみたら、「あれ? 俺できるぞ!」みたいな感覚。みんながつまずくところでも、しっかり解けたんです。

    KUMONをやっていた当時は「こんなん意味あんのかな」と思いながらやっていたけど、とくに算数・数学の基礎の積み重ねは、その後の勉強を支えてくれました。それとKUMONで培った集中力と反復練習の経験にも助けられました。鉛筆を夢中で滑らせている時の「カンカンカン」っていう音。あの音を立てながら、教室の長い机で集中していた感覚は今でも残っています。

    大学は法学部に入りました。高校2年の時に入っていた新聞を読み解くクラブで、会社員経験のある先生が株のことや会社とはどういうものかといったことを話してくれたんです。その話が本当に面白くて。僕はその先生が大好きで、大学の進路を相談したら、「お前が知りたいのは国際政治や社会の仕組みやろ。お前が目指している大阪市立大学には政治学部がないから、法学部の政治学科に行くしかない」と言われて。法学部に入ったのはその先生の影響です。

    それと同時に海外にもとても興味がありました。きっかけはたぶん、ゲーム「ドラクエ」の中で繰り広げられる世界への憧れです。あとはじいちゃんの家のケーブルテレビで、海外ドラマや「ディスカバリーチャンネル」、MTVなんかを見ては、海の向こうの世界に憧れていました。MTVで流れる洋楽のミュージックビデオにオーストラリアのエアーズロックの映像が出てきた時は、「あぁ、俺もいつか行ってみたいなあ」なんて思っていました。

    会社員になって気づいた
    本当の「夢」

    どこか遠くの場所に行ってみたいという気持ちから、大学1年の時、50ccの小さな原付バイクで北海道まで行って帰ってきました。所属していたユースホステル部から登山用の大きいテントを借りて、大阪から神奈川のいとこの家を経由して北海道まで。道の駅でテントを張りながら野宿をして、14日間ぐらいかかりました。

    原付バイクを走らせながら見える景色は最高だったし、人との出会いも温かかった。フェリーで北海道に渡った時には、こんなことがありました。朝4時半に函館に着いた時、小さな原付バイクで、しかも大きなテントを背負っていたので、警察官に職務質問されたんです。それで旅の目的を話して、ついでにこの辺りでいい場所があるかを聞いてみたんです。そうしたら「函館山で見るご来光はいいし、夜景も綺麗だよ」って教えてくれました。しかも止めていた原付に、温泉のタダ券まで貼っておいてくれて…。「世の中にこんなに優しい人がおるんや」って感動しましたね。

    浜田 順平

    大学時代には留学も経験しました。本当はアメリカやヨーロッパに行きたかったんですが、お金がなくて。そこで調べてみたら、フィジーやマレーシアなら3か月から半年ほど安く滞在できるとわかりました。そこでフィジーでホームステイをして、現地の人と同じ生活をさせてもらいました。僕がお世話になった家にはテレビがあったんですけど、ほかの家にはテレビはないから、近所の子どもたちが集まってきて、僕の家でDVDを一緒に見るんです。子どもたちはDVDが見られるし、僕は僕で子どもたちから英語を教えてもらえました。

    そうそう、海にいる「貝」ってあるじゃないですか。貝はフィジー語でも「Kai(カイ)」っていうんです。日本語ととてもよく似ていることに気づいた時「これは絶対、昔からフィジーと日本はつながっていたんだな」とすごく興奮しました。ミステリーハンターの気分でした。

    浜田 順平

    大学卒業後は大手自動車メーカーに就職しました。海外に行けるメーカーを探していて、「どこにでも行きます」という姿勢が評価されたんだと思います。僕が配属されたのは調達部門だったんですけど、リーマンショック後の大変な時期で、コスト削減のために長年取引してきた企業との契約を切るような場面に立ち会うこともありました。

    自分はまだ当時24歳で、仕事もできず周りに迷惑をかけているのに、僕よりずっと年上の下請けの社長さんは契約を切られて泣いている…そんな心が折れそうな出来事がいっぱい重なって、最後はご飯ものどを通らなくなって、「もう仕事できひん」となってしまったんです。

    そんな感じで落ち込んでいた時、大学時代の先輩が山登りに誘ってくれました。山頂から雄大な景色を見ていたら、「もう少し自分が生きるところで仕事しよう」と思ったんです。そこで頭に浮かんだのが、ずっと憧れていたお笑いの世界でした。

    いつか「あの日の頑張り」に救われる
    子どもたちに伝えたいこと

    浜田 順平

    会社を辞めるのは一大決心でしたが、笑顔で働きたいと思ったんです。30歳まではまだ時間があると思って、英語の勉強や大学編入、教員免許の取得も考えながら、1年だけお笑いを試してみよう、という感じでNSC(吉本総合芸能学院)に入りました。それが芸人になる最初の一歩でした。

    結局そのまま僕は芸人になり、ネタというものに取り組むようになりましたけど、ここでもまた「KUMONやっててよかったな」と思いました。漫才のネタの基本は言葉。僕は国語もKUMONでやっていたし、国語がとにかく得意で、大学受験の時も国語だけは偏差値が東大レベルだったんですよ。本を読むのが好きなのもKUMONの影響だと思います。

    留学先にフィジーを選んだのもそうなんですけど、どこかで見たことある、聞いたことあるようなネタじゃダメで、僕らにしかできない、唯一無二のものをつくりたいという思いがありました。それは相方とも共通しているところです。

    東京に出てきた今、もう一度M-1の決勝に出ること。これが最大の目標です。2、3年、表舞台に出られなくてもいいので、自分らのネタに向き合いたい。カベポスターはネタが認められてこそのコンビだと思うので、そこさえあればテレビにも呼んでもらえるし、面白いというイメージが伝わって、いろんな仕事も来ると思う。とにかく大事なのはネタですね。

    浜田 順平

    大阪では好きなはずの仕事が少し嫌いになりかけていた時期もあったけど、東京に来たことで一度リセットされて、100%ネタに打ち込める環境になりました。それが大阪から上京した、一番大きな成果かもしれないです。

    僕自身、人生の様々な局面で、「あの時KUMONやっててよかったな」と思うことがたくさんありました。今まさに勉強している子どもたちにはピンとこないかもしれないですけど、KUMONでがんばったことは、大人になってから、めちゃくちゃ返ってきます。がんばって乗り越えて得たものが、絶対に返ってくる。

    勉強だけではなく、教室での先生や友だちとのコミュニケーションも楽しんでほしいと思います。何をやるにしても、楽しいことを見つけると続けられますよね。僕もKUMONが「めんどくさいな」と思う時もあったけど、大好きな先生や友だちがいたから、続けることができました。

    そして親御さんには、ぜひ、お子さんが頑張っている時にはほめてあげて、サボっている時は、怒る前にまず理由を聞いてあげてほしいです。教室から帰ってきた時に「今日どうやった?」と声をかけるだけで、子どもは「親に理解してもらえている」と感じられると思います。KUMONで勉強を基礎から学べるのは本当に大きいし、いろんな年齢の子が横に並んで座る環境というのは社会勉強にもなる。お子さんからKUMONであった話を聞く時間も、よい親子のコミュニケーションになるんちゃうかなって思います。

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    前編のインタビューから

    -東京進出、R-1挑戦 環境を変える「覚悟」
    -データ収集、分析、推理… 競馬で知った自分の「特技」
    -興味関心の広い僕を 両親は受け止めてくれた

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