江戸の風物詩、潮干狩りとひな祭り
現代の東京の湾岸エリアといえば高層マンションが立ち並び、レインボーブリッジ、お台場、有明コロシアムなどでお馴染みのお洒落なエリアです。
しかし、江戸時代にさかのぼると湾岸エリアは羽田から品川、深川洲崎(現在の東陽町辺り)にかけて浅瀬の海岸が広がり、東京湾を一望できる景勝地だったようです。そして、旧暦の3月3日は大潮の日にあたり、ひな祭り用のハマグリや食材のアサリをとるために潮干狩りは江戸一番の賑わいを見せていたといいます。
今回は、当時の潮干狩りの賑わいを三代 歌川豊国が「汐干潟弥生風景」に描き残していますので、ご紹介したいと思います。
ここは洲崎海岸で左奥に見えるのは松などの樹木に囲まれた洲崎弁天で、茶屋にも灯が灯り賑わいを見せているようです。干潟は既に潮干狩りの人々で埋め尽くされています、右手前の女性は、手にざるを抱えて貝を拾っていますが、すでにざるの中は貝でいっぱいです。一方、左手の2人の子どもたちは、棹(さお)に貝でいっぱいになった籠(かご)と平目をつるして運び、前に立つ姉娘が先を行く母に手を伸ばして「ちょっと手つだってよ~」とでも訴えているのでしょうか。しかし、母は気づかず姉(あね)さんかぶりの女性と手を取り合って話に夢中のようです。よく見ると中央の女性の間には二八蕎麦の屋台もでていることがわかります。背後にはアカエイに驚いて尻餅をついたり、背伸びをしたりそれぞれの潮干狩りを楽しんでいます。
このように旧暦の3月3日は大潮で潮干狩りが行われましたが、同時に女の子の健康と幸せを願うひな祭りでもあります。この日にハマグリを召し上がるご家庭も多いと思いますが、当時も潮干狩りでとれたハマグリがひな祭りでも添えられたようです。ハマグリは2枚貝で、対の貝殻でなければぴったりと合わないため「仲の良い夫婦」を意味し、わが子が将来良縁に恵まれ、幸せに添い遂げられることを願う気持ちが込められています。ひな祭りに込められた親心は今も昔も変わりませんね。
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