やってみよう
やってみなければわからない
子どもは、誰もが知ることのできない無限の可能性をもっています。「ちょうどの学習」によって無理なく力を伸ばし、英才になれます。
だから僕は言いたいのです。
「やってみよう。やってみなければわからない」と。
子どもから学ぶ
生徒は先生に「その教え方では、私にはわかりません」と教えてくれているのに、先生に気持ちと能力がないと、少しも気づきません。
子どもの能力に合わせてやっていこうと努力しないことには、学び上手にはなれないです。
「こんなものだ」はいつもなく、
「もっといいもの」はいつもある
これでよしと思うところに向上はない。現在の自分に自信はなくとも、学び続けることによって、明日はもっといい指導ができると、明日の自分に自信をもっていくことです。
「未完成」であることを自覚し、向上に努める姿勢こそ、公文式指導者のかけがえのない財産であると思います。
ちょうどの学習
公文式の第一の特長というのは、個人別、能力別のやり方でその子にちょうどの学習をしていくことです。子どもの能力は、いつも変化しており、その時々に応じてちょうどの学習をしていくことが、子どもをさらに伸ばします。本来なら、もっともっと楽しく伸びたはずなのに、ちょうどの学習が与えられなかったために「できないのは、自分が悪い」などと思い込ませて、不幸な道を歩ませるようなことがあっては、決してなりません。
最小努力で
最大効果を上げる
公文式教材の発想の根底に、高能率、すなわち最小時間の最大効果ということがあります。
公文式教材はより大きな目標のために、あえて枝葉を捨て、学習効率を追求した教材であると言えるのです。
自学自習
子どもを伸ばすというのは、大人が無理に引っ張ったり教え込んだりするよりも、子どもが伸びたがっている気持ちに合わせて行くほうが、結果としてよく伸びるものです。
ですから教え込もうとするのでは限界があり、自学自習であれば限りなく高く伸びていけます。
学年を越えて進む
公文式の特長は、何といっても「学年を越えて進む」ことです。公文式はただ単に数学・英語・国語の成績を上げるためだけの学習ではありません。それらの学習を通じて、自習する経験と方法を学ぶことによって、他人からいちいち教えられなくても、自分が学ぶべきことを自主的に学習していける力を養うことができます。
自立した人間になるための学習なのです。
そのためにこそ、学年を越えて進み「まだ習っていない内容でも自習していけるのだ」という体験をさせたいのです。
教育は個人別・能力別に
行われるべきである
人間には、能力差があります。生徒が40人いたら、すべての能力において1番から40番までの差があります。
学年や年齢にとらわれた一斉授業ではなく、その子その子の能力に「ちょうど」応じた個人別の教育こそが、子どもの能力を最大限に伸ばすことができるのです。
学年という枠にとらわれず、能力のある生徒には2学年先、3学年先、4学年先…のことでも教えるべきです。また、学力の低い生徒には3学年下、4学年下といったところから学習させることで、やがて学校に追いつき、追い越すことになります。
悪いのは子どもではない
公文式は、あくまで「悪いのは子どもではない」と信じるところから出発します。
子ども一人ひとりの可能性を発見し、個人別にその子どもの「ちょうど」のことを学習させていけば、親や先生はもちろん、本人にとっても思いもおよばなかったような成長をとげることができ、「自分にはこんなにも可能性があったのだ」と自信をもつことができるのです。これが公文式の学習法です。
大学を出てからも本を読む人に
公文式の真価は「自学自習」の態度と習慣を身につけるという点にあるのです。
子ども達にみずから学ぶ喜び、自分の力で進んでいける喜びを体験させて、実社会に出てもみずから学びながら成長し、物事に積極的に取り組んでいける人間に育ってほしいというのが公文式の願いです。