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Vol.044 2017.06.07

仕掛学者 松村真宏先生

<前編>

予想は裏切られた方がおもしろい
ゴールに向かう道の途中大切に

仕掛学者

松村 真宏 (まつむら なおひろ)

1975年大阪生まれ。大阪大学基礎工学部システム工学科卒業。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。2004年より大阪大学大学院経済学部研究科講師、2007年より同大学准教授、現在に至る。研究テーマは「仕掛学」。著書に『仕掛学: 人を動かすアイデアのつくり方』(東洋経済新報社)。近著は『人を動かす「仕掛け」』(PHP研究所)。公文では小1から中2まで、算数・数学を学習。

「仕掛学」という新しい学問分野を切り開き、研究に取り組まれている松村真宏先生。ものごとを多面的に考えることにつながる仕掛学を、子どもたちにも学んでもらいたいと、仕掛学のまんが本を上梓される予定です。先生いわく「仕掛学は一般教養」。いったい仕掛学とはどういうもので、そもそもなぜ仕掛けに関心を寄せるようになったのかをうかがいました。

目次

難しい専門知識は必要ない「仕掛学」

松村真宏先生

「仕掛け」をテーマにしたぼくのゼミでは、皆で課題や仕掛けのアイデアを持ち寄り、何をどう仕掛ければその課題を解決できるかを議論し、実際に仕掛けを作って実験し、結果を分析して論文を書いています。

取り組む課題はさまざまで、外部とコラボレーションすることも多くあります。たとえば最近ではパン屋さんと一緒にやりました。パン屋さんとしては、新商品の味を知ってもらいたいと思って試食を用意しているのですが、じつは試食する人自体が少ないという課題があったんです。

これは「返報性の原理」といって、試食すると「買わなくてはならない」という心理が働くからです。そこで考えた仕掛けが、試食に使ったつまようじで「投票」してもらうこと。パンの前に発泡スチロールを置き、使用済みのつまようじでおいしかったかどうかの意思表明をできるようにしたところ、試食率が上がりました。投票によって試食に報いることができるとわかり、心理的なハードルが低くなるからだと考えられます。

そもそも、ぼくがこうした仕掛けを研究するのには3つの目的があります。1つ目は、仕掛学を子どもにも学んでもらいたいから。ぼくは、仕掛学は専門知識もいらないし、誰もが知っていて当然の一般教養、つまりリテラシーだと考えています。早くから身につけておけば、何か問題があったときでも正攻法ばかりでなく「違う方法もあるんじゃないか?」と見方を変えられる力になるし、その方が楽しくなると思っています。いろんな見方で考え、「考え方にはさまざまある」ことを知ると、学ぶ意欲もつながるんじゃないでしょうか。

松村真宏先生天王寺動物園の
ライオン型の手指消毒器

2つ目は、アカデミックな側面から「人はどういう原理で行動を変えてしまうのか」ということを、大学でのさまざまな実験を通して明らかにしていくことです。そして3つ目は、仕掛けを社会に導入・展開して、問題解決につなげることです。大学の研究としてでは社会になかなか浸透しないので、企業と一緒に共同研究をして、キャンペーンや製品を考えていきたいと思っています。

天王寺動物園では、ライオン型の手指消毒器を設置すると、消毒する人が増えました。ライオンの口の中に手を入れると自動的に消毒液が出る仕掛けです。口が開いているので、つい手を入れたくなるんです。

松村先生の子ども時代とは?

ゲームづくりに熱中した子ども時代

松村真宏先生

ぼくは大阪で生まれ育ちました。妹が一人、父は会社員、母はパートという、ごく一般的な家庭です。小学校から高校まで、自宅から近い公立校に通学していました。小学生の頃は池で魚を釣ったり、山でクワガタを採ったり、秘密基地をつくったりするふつうの子でした。

当時大ブームだったファミコンをお年玉をためて買いに行ったのですが、残念なことに人気のため売り切れていました。それで横にあったMSXというパソコンを買うことに。プログラムを打ち込んで自分でゲームを作って遊ぶことができたのが、すごくおもしろかったですね。大学ではコンピューターを使った人工知能の研究をしていましたが、もしかしたらこの頃の経験が影響していたのかもしれません。

公文の教室には小学1年生から通い、算数を中学2年生の頃まで続けました。教室が友だちの家で開かれていたので、友だちの家に遊びに行く感覚で、苦にはなりませんでした。公文式ではプリントをする前に学習の始まりと終わりの時間を記入しますよね。今思えば、あれは立派な「仕掛け」だと言えます。意識しないと思っていても、時間を記入するとどうしても時間を意識しますから。それで集中ができるのだと思います。

中学時代はバレーボール部で、部活後に帰宅するとパソコンをしていました。その頃の将来の夢には「ない」と書いた覚えがあります(苦笑)。当時は「ノストラダムスの大予言」が流行していたこともあり、「先のことを考えても仕方がないし……」なんて思う、ちょっとひねた子どもでした。

勉強はそれなりにできたほうなので、高校は選択肢があったのですが、上位校に入って落ちこぼれるのはイヤだと思い、別の高校を選びました。高校での部活は、もともと生物部に入りたかったんですが、友人に誘われて体操部へ。わりと流されてしまうタイプなんです。誘われてはいった体操部でしたが、楽しくて、高校3年生の半ばまで部活中心の生活を送っていました。

松村先生が大学で熱中した意外な活動とは?

大学では奇術研究会に、その後恩師を追って東京へ

松村真宏先生

大学は、じつは子どもの頃から「大阪大学工学部」と決めていました。なぜかというと、小学生時代の文集に、「図工が好きなので将来、大阪大学工学部に行きたい」と書いたから。当時はおそらく親から聞いて書いたのだと思いますが、そう書いたことを自分でずっと覚えていたことが影響していたのでしょう。

今思うと、書くということは行動を起こす上で重要だと思います。人の前で言うと「言ったんだからしないといけない」という意識が働きます。これは行動経済学では「一貫性の原理」と言いますが、ぼくのケースもそうだったのだと思います。

ただ、正確に言うと入学したのは工学部ではなく基礎工学部でした。高校時代に人工知能を学びたいと思うようになり、基礎工学部なら人工知能の先生がいる、と大学のパンフレットにあったからです。しかし当時、人工知能が学べるのは、研究室に入れる4年生からでした。それまでは人工知能を学べる機会はなく、あまり勉強しない学生生活が始まりました。

では何に熱中していたかというと、奇術研究会の活動でした。大阪大学出身のマジシャン、ムッシュ・ピエールさんが当時4年生にいて、彼に誘われて入会したんです。「手品ができれば食いっぱぐれないかな」なんて考えて。今でも子どもたちの前でやると喜ばれますよ。

振り返ってみると、その奇術研究会での活動が、今の仕掛学にも通じているのかもしれないと感じます。手品は不思議な現象でもちゃんとタネや仕掛けがある。そんな技術を収集しまくっていたことが、今につながっているのかもしれません。

4年生になって人工知能の研究室に入れたので、そこからは研究中心の生活でした。当時はインターネットが出始めた頃。その可能性を感じていたので、ネット上で行う「質問応答システム」を作ったりしていました。その後大阪大学の大学院に進み、人工知能の研究を続けていましたが、修士1年生のとき、研究室でお世話になっていた大澤幸生先生が東京の筑波大学の東京キャンパスに移られたことをきっかけに、ぼくも上京することにしました。

大澤先生が移られた先は社会人大学院だったのでぼくは入ることができなかったのですが、そこに一番近い東京大学大学院に入ったんです。大澤先生の出身研究室だったことも理由のひとつでした。とにかく先生のもとで勉強したいと思っていたものですから。

後編を読む

関連リンク 松村真宏先生研究室サイト



松村真宏先生

後編のインタビューから

-「仕掛学」が生まれた経緯
-松村先生から学生たちへのメッセージ
-松村先生のこれからの目標とは?

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