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Vol.101 2024.02.09

リンゴアメ株式会社代表取締役/ プロデューサー・クリエイティブディレクター
下田翼さん

<後編>

興味をもったら行動しよう
考えていた以上の
おもしろいことが見えてくる

リンゴアメ株式会社代表取締役/ プロデューサー・クリエイティブディレクター

下田 翼 (しもだ つばさ)

1986年東京都小金井市生まれ。武蔵大学人文学部卒業後、都内の広告代理店に入社。2012年仕事のかたわら大学時代の友人とともに、りんご飴の魅力を発信するサイト「ringo-a.me」を立ち上げる。2015年4月から総務省の地域おこし協力隊として、弘前市在住。青森県や弘前市などを舞台にしたPR映像のほか、ミュージックビデオや芸能関係のコンテンツを多数プロデュース。2020年コロナ禍で閉鎖された弘前公園で撮影した「101回目への弘前公園の桜(2020)」、大鰐町を舞台にしたPR動画「家族のかたち、大鰐のくらし」が、それぞれ第2回、第3回の「ふるさと動画大賞」を受賞。「よみがえる下風呂小唄(しもふろこうた)~下風呂温泉郷の今~」が第5回日本国際観光映像祭で国内グランプリ賞。2023年には短編映画「からっぽ」がショートショートフィルムフェスティバル&アジア2023「BRANDED SHORTS 2023」観光映像大賞 観光庁長官賞(グランプリ)受賞。

地域の何気ない風景や眠っている伝統文化などを「よそもの」視点から発掘し、クリエイターと協業してコンテンツ化、その魅力を映像やWEBなどで発信しているプロデューサーの下田翼さん。地方で地域社会に貢献したいと、生まれ育った東京から青森県弘前市に移り住み、現在は都内との二拠点生活を送っています。幼少期は思いを内に秘めたおとなしい子だったそうですが、興味を持ったことにはとことん没入し、そのひとつが公文式学習だったといいます。弘前に住むことになったのも「りんご飴」を追求しようと考えたことがきっかけでした。

目次

「地域を大切にする気持ち」に接し
東京を見る目に変化も

地域おこし協力隊として派遣されたのは、相馬地区という弘前市の西に位置する山間エリアでした。民家を用意していただいたのですが、広くてびっくりしました。庭では大家さんの力を借りながら野菜づくりにもチャレンジ。ねぷた祭りに参加するなど、いろんなことを経験させてもらいました。

協力隊としての仕事は、SNSやホームページの管理、PRなどです。当時、現地では紙媒体はあってもウェブはなかったり、あっても機能していなかったりしていました。写真の撮り方や文章のつくり方、投稿内容のアドバイスなどをして、広告代理店での経験が活かせたと思います。

外からの視点も大切だと感じました。とくに1年後に独立してからは、ミュージックビデオをリリースしたり、行政PR動画をつくったりする中で、「よそもの」視点で素材の魅力を引き出すことを意識してきました。どこか懐かしい商店街や陽が差し込んだ雪原など、そこに長年暮らしている人にとってはあたりまえかもしれない風景も、私のように外から来た人間、外に住む人から見れば本当に美しいんです。

豊かな自然と人の温かさは移住前から感じていましたが、住むほどにそれをより実感するようになりました。とくに魅力的なのは「人」です。住んでいる人たちの生き様、地域を大切にする気持ち、そしてその人たちがつくってきた歴史や文化にストーリーがある。そこにすごくおもしろさを感じました。

例えば「ねぷた祭り」は、農作業時に襲ってくる眠気を、燈籠にのせて川に流した「ねむり流し」という行事から来ているといわれています。「眠い」は津軽弁で「ねぷてぇ」というんです。

伝統工芸の「こぎん刺し」は、破けてしまった服を防寒のために繕ったのが始まりだそうです。こうしたストーリーを、「知る」だけでなく「伝える」人間になりたいと思いました。実際に聞いてから、知ったり味わったりすると、価値が何倍にも広がります。りんごも、手間のかかる生育工程を知ると、より大切に味わうようになります。

東京での視点も変わりました。会社員時代は毎日満員電車に揺られて通勤し、周囲を見る余裕がなく、こなすだけで精一杯の日々でした。今、月の半分ほど東京暮らしもしていますが、住んでいたときには行かなかった銭湯に行ったり、通り過ぎていただけの公園に立ち寄ったりと、地域の小さなことにも目を向けるようになりました。東京もただ賑やかなだけでなく、地域を盛り上げようとがんばっている人たちがいることにも気づきました。弘前が教えてくれたことだと思っています。

与えられたものをしっかりやるだけでなく
その中でどう自分の価値を示していくか

地方での仕事は、都市部に比べて職種的にはどうしても少なくなり、やりたい仕事でピタッとはまるものがあるとは限りません。だからこそ、自分で仕事をつくることが大切になると思います。

私もこちらにきて、プロモーションの仕事がたくさんあったかというとそうではなく、「こうしたいのであれば、もっとこうしたほうがいいですよ」などとアイデアを出していくことで仕事につながることが多くありました。与えられたものに対してだけやるのではなく、その中でどう自分の価値を示していくかということでしょう。

最近は、移住や二拠点生活に憧れる人も増えてきているようです。うまくいくコツはと聞かれれば、私の場合は、何ごともおもしろがることを意識してきたことでしょうか。リスペクトをもって接すると、地域の方も心を開いて受け入れてくれます。

「移住したい」と思っている時点で、おそらくその地域に関心があるのだと思いますが、興味の先にある、地域のモノやコトをもっと知っていくと、おのずとそこで出会う人と仲良くなれると思います。

思えば子どもの頃、私は妄想好きでした。それは思うだけで、実行には結びつかなかったものごとです。けれども、いろんなことを経験し、行動していく中で「自分にはできるんだ」と自信がつくようになりました。

そんな自分の経験から言えるのは、考えているだけでなく、何でもいいから行動してみること。興味があったら深く考えずに突っ込んでみることが大事だということです。そうすれば、考えていた以上のことが現実にあることがわかります。実際私も移住前は、生活や仕事に不安もありましたが、行ってみてから考えようと飛び込みました。そして、移住後もずっと好奇心を失わないで行動し、今に至っています。

全部が100%できなくていい
ひとつの分野で120点を目指そう

子どもたちにとっては、「興味あるもの」に「正直に、素直になること」が、将来のキャリアに結びつくのではないでしょうか。というのも、これからは昔のように定量的な仕事ばかりではなく、自分の興味があることが仕事になることが多くなっていくと思うからです。

たとえば「漫画が好き」ならマンガ家になるだけでなく、レビューする側になったり、「英語が好き」なら通訳や翻訳家だけでなく、外国人と日本人をつなぐ観光コーディネーターなども考えられます。「ここで興味をもったことが、まさかここにつながるなんて」というように、可能性もたくさんあります。

だから、興味を持ったらとことん没入していいと思います。全部のことが100%できなくていいから、ひとつの分野で120点たたき出す子が活躍できる時代になっていくのではないかと思います。

もうひとつ言えるのは、「東京だから学べる」ということも少なくなってきているということです。公文式教室も全国・全世界にありますよね。東京にいなくても、地方でできる、学べることがたくさんある時代です。むしろ、「この地域だからこそ学べる」ことがいっぱいあります。「ここには何もない」と思わずに、まずは「ここ」でいろんなことを経験してみてほしいですね。

私は、自分の興味を自分で探すことができない子どもでした。けれども親が場を与えてくれたことで、次に進めました。保護者が子どもにチャレンジする場を与えれば、子どもは次につながる何かを見つけることができるのではないでしょうか。

弘前に暮らすことで、「よそもの目線」に加え、「居住者目線」も持てるようになりました。そのふたつの目線で、これからも地域の魅力や素材を発掘し続け、それをどう見せていくとおもしろいか、ストーリーテリングをしっかり設計していき、クリエイターと協業しながらコンテンツづくりをしていきたいですね。

最近は青森県だけでなく、東北エリアに広がって興味が湧いています。「雪国だからこそ培われるもの」があるのではないか、と。それが伝統工芸品のようなモノなのかヒトそのものなのかはまだわかりませんが、そういうものの良さを知ってもらえるような、背中を押すような仕事を続け、地域の人たちの力になりたいと思っています。

前編を読む

 


 

 

前編のインタビューから

-思いや考えを形に
-活動を始めたきっかけ
-公文式学習が現在に役立っていること

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