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Vol.036 2016.09.09

シュアール代表、手話通訳士
大木 洵人さん

<前編>

一人ひとり得意を伸ばして
補い合えば
組織は大きく飛躍する

シュアール代表、手話通訳士

大木 洵人 (おおき じゅんと)

群馬県生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院情報学環教育部修了。聴覚障害者と聴者が本当の意味で対等な社会を目指し、大学2年生だった2008年に「シュアール」を創業。手話ビジネスを展開している。シュアールグループ代表、手話通訳士。そのほかアショカ・フェロー、世界経済フォーラムグローバルシェイパーズコミュニティ福岡代表などを歴任。

これまでボランティアの枠組みで語られることの多かった手話に関する取り組みを、ITを活用した「遠隔手話通訳」や「オンライン手話辞典」といったビジネスとして展開、大きな期待を集めている起業家の大木洵人さん。20代後半ながら、世界経済フォーラムやアショカなど、世界的な社会活動団体にも認められ、多忙な日々を送る彼は、聴覚障害に対する世間の誤解と格闘しつつ、大きな夢に向かって邁進しています。もともとはおとなしい少年だった彼を変えたものとは?そしてその人生観に影響を与えたものについてお話をききました。

目次

ITを活用した手話通訳から手話のエンタメまで手掛ける

大木洵人さん

私はシュアールという株式会社と、同名のNPO(特定非営利活動法人)を通して、手話を使ったIT事業を展開しています。前者では、「遠隔手話通訳」と「オンライン手話辞典」。後者では、耳が聞こえない方向けの「エンターテインメント・コンテンツ製作」をやっています。

「遠隔手話通訳」というのは、金融機関や交通機関、あるいは企業を聴覚障害者が訪ねた時に、そこに設置されている端末を通じてコールセンターと手話で会話ができるシステム。もう一つの「オンライン手話辞典」はSLinto(スリントキーボード・スリント手話辞典)という名ですが、ある言葉を手話でどう表現するかを調べるだけでなく、手話キーボードを利用することで、手話の表現からその意味を知ることもできます。一方「エンターテインメント」としては、手話総合バラエティや旅番組を配信したり、手話入りの観光案内アプリを提供しています。

これらの活動が認められ、世界経済フォーラム(スイスに本拠地を置き、各界リーダーが世界的な問題に取り組む非営利財団)のグローバルシェイパーズコミュニティ(GSC)福岡支部の代表を務めたり、東アジア初のアショカ・フェロー(社会の諸問題に対して各自の専門性を活かして取り組む世界的ネットワークの会員)という称号を与えられたりしています。

世界経済フォーラムGSCでは、例えばオリンピックに出場したフェンシングの太田雄貴さんがスポーツを通した社会貢献を展開していますが、僕は各地のメンバーを繋ぐ、渉外のようなことをやっていますね。人と話すのが好きで、ネットワーキングが得意なんです。

手話ビジネスを展開する上での困難とは?

“聞こえない人”といっても人それぞれ

大木洵人さん

手話に関する取り組みはこれまでボランティアの枠組みで語られることが多く、ビジネスとしてやっている僕らにはまだまだ、困難続きです。一番の難題は、手話についての間違った認識が、世間に広まっていること。ひとくちに“聞こえない人”といっても、補聴器を使えば聞こえる人もいれば、片耳が聞こえないとか、病気によりある時点から聞こえなくなったとか、生まれながらに聞こえないとか、いろんな方がいます。

大別すれば「ろう」「難聴」「中途失聴」ということになり、もし今、全く聞こえなくても、もし20歳まで聞こえていたとすれば、日本語を話すことはできるでしょう。でも、生まれながらに聞こえなければ話すことは難しいし、補聴器を使っている人でも、かろうじて聞こえる人もいれば、一定の高さの音は聞こえる人、正面だったら聞こえるけど横からだと聞こえないという人もいます。

それを一概に、“聞こえない人はこう”と思い込む人が、日本にはまだまだ多い。そういう人に、僕がこういう事業をやっています、と例えば遠隔手話通訳サービスについて説明しても、思い込みで判断されてしまいがちです。日本に聴覚障害者が36万人いるなら、その全員が使えるはずのものだろう、とか。実際はその36万人の半分の方しか手話をしません、とお話ししても、なかなか信じてもらえません。

勘違いされたままだと、たとえサービスを買っていただいたとしても使い物になりませんので、僕としてはもう商売は二の次で、とにかく正しく理解してもらおう、と説明に務めます。まだまだ、手話ビジネスの“前提”の部分で苦労していますが、それでもあきらめないのは、手話を「一般的なものにする」、日本社会でふつうに浸透している状態にする、という目標があるから。困難続きでも、その思いが支えになって、日々頑張っています。

大木さんの意外な子ども時代とは?

人生観にも影響した公文での学習体験

大木洵人さん

子どもの頃の僕は、人と喋るのが大好きで社交的な今からは想像もつかないほど、おとなしい子でした。一人っ子で、ドッジボールをするよりも教室の中で折り紙をするほうが好き。外に出たとしても、ブランコが最大の運動といった感じで(笑)。小さくてかわいいものが好きで、テントウムシやチョロQを集めたりもしていましたね。今も使っているのは小さいノートパソコン一台。その一台にすべてを詰め込んでいます。

プロゴルファーの父の遺伝か、運動神経はそこそこあったのですが、過度にプレッシャーがかかるのが嫌いで、徒競争のタイムはよくてもリレーの選手には立候補しなかったし、遠投の成績がいいからとソフトボール部に誘われても断りました。小学生の頃って男子はバカなことを言って笑ったりしているものだけど、僕はいつも一歩引いて見ているような子どもで、両親は「もっと積極的になればいいのに」と思っていたようでした。だからといって無理強いされるようなことはありませんでした。

勉強に関しては、小学校1年生で公文の算数と国語を始め、4年生のときに算数・数学は高校レベルの教材に進むほど得意になっていました。日本の公教育の、「みんなこのペースで行こうね」と画一的なのとは違って、できなければ立ち止まってできないところをやる、できるところはどんどん先へ進む、という公文は僕にはとても合っていて、人生観にも影響したと思います。

苦手なものがあったとき、無理をして前に進むことはなく、立ち止まって克服すればいい。そのかわり、得意なことはどんどん伸ばせばいい、と思うようになりました。それこそ今の会社でも、代表として表に出て喋るということにおいて、僕の代わりになる人は誰もいないけれど、僕より手話が出来る人や経理が得意な人、事務能力の高い人がいてくれる。それぞれが得意な分野で能力を発揮すれば、なんでも平均的にできる人を揃えるよりパフォーマンスが高くなる、伸びて行ける、と思っています。

後編を読む

関連リンク シュアールグループ


大木洵人さん  

後編のインタビューから

-大きな転機となった高校時代のアメリカ留学
-大木さんが手話を始めたきっかけとは?
-大木さんから子育て中の親御さんへのメッセージ

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