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Vol.053 2018.03.09

株式会社LOUPE CEO 浅谷治希さん

<前編>

「雨垂れ石を穿つ」の精神で
「続けること」を大事にすれば
は近づいてくる

株式会社LOUPE CEO

浅谷 治希 (あさたに はるき)

1985年生まれ 神奈川県出身。2009年慶應義塾大学経済学部卒。大手教育企業に入社し、女性向け大型ポータルサイトの集客に従事。2012年8月に退職し、自身がユーザーだったITサービス企業に入社。その直後の同年11月米マイクロソフトなどが協賛する起業コンテストStartup Weekend東京大会にて教師向けコミュニティサイト「SENSEI NOTE(センセイノート)」を立ち上げ、優勝。その後開催されたGlobal Startup Battleで世界112チーム中8位に入賞。2013年2月に株式会社LOUPEを設立。世界経済フォーラム(ダボス会議)が任命するコミュニティ「グローバルシェイパーズ」メンバー。

学校の先生が最大のパフォーマンスを発揮できるよう、ITを活用した事業を展開する浅谷治希さん。先生同士が共通点を通じてつながるサービス「センセイノート」や、日本全国にある教育系のイベントをまとめるサービス「センセイポータル」の運営をされています。高校時代から「経営者になりたい」と考え、大学時代には飲食店や古着販売事業を立ち上げ、その後、教育をテーマに起業することになった背景には、どんなきっかけがあったのでしょうか。思いを実現するために大切にしてきたこと、これから成し遂げたいことなどについてもうかがいました。

目次

教師をしている友人との再会が事業のヒントに

浅谷治希さん

私が立ち上げた「センセイノート」は、学校の先生方がオンライン上で情報共有できる場所です。これまで学校の先生の情報共有は、ローカルな勉強会や職員室内と限定的でした。最近は、先生方が多忙になってきていて、職員室での会話も減ってきています。そうした先生方が、携帯電話やスマートフォン、パソコンから気軽に情報収集したり、ほかの先生のノウハウを学べたりできるサイトを運営しています。

教育に興味があった私は、大学卒業後、大手教育企業に入社しましたが、1年半くらいで退職しました。その頃、理科教員をしている高校時代の同級生に会う機会があり、学校や先生の現状を聞いていくうちに、先生をサポートするのはどうかと着想したんです。

そもそも私が教育に興味をもったのは、高校時代に3年間独学で受験勉強をしていた体験が背景にあります。どれだけ自分が伸びるのか、自身で実験したところ、ものすごく伸びたのです。私はそれまでの「みんなに合わせる」学校教育にストレスを感じていましたが、自分に合うやり方でやれば、人間の能力は伸びるんだと実感したんです。「これは、自分と同じように伸びる人がいるはずだ」と感じました。

ちなみにそのときやったことは、読書と過去問をひたすら解くことです。読書は新書系を中心とした書籍、新聞は一般紙、経済紙、英字新聞の3種類、それに経済系の雑誌を何種類か読んでいました。自分で考えて実行したことですが、両親は本に関しては惜しまず購入してくれたので、ありがたかったです。

当時たまたまテレビが壊れたこともあり、3年間テレビも見ず、ラジオだけで過ごしました。それまではテレビが大好きで一日中ずっと見ていたのですが、「実験だ」と思ってチャレンジしました。

浅谷さんが感じた公文式のよさとは?

マイペースな自分にぴったりだった公文式の学習

浅谷治希さん

私は、テレビ局勤務の父、専業主婦の母、姉一人という、ごくふつうの家庭で育ちました。姉は何でもできる天才肌でしたが、私はふつう。地元の公立の小学校ではバスケットボール、中学ではテニスをしていました。両親は私を中学受験させたかったようですが、塾の模擬試験の前日に必ず発熱する様子をみて、「この子は中学受験は向いていない」とあきらめてくれ(苦笑)、のびのびと育てられました。私の特性をわかってくれていた両親に感謝しています。

家族の中では、鹿児島で会計事務所を営んでいる祖父の影響を大きく受けました。おしゃれで美食家、そしてとても勉強家。面倒見がよくて人望もある。あこがれていましたね。遠方なのであまり会えず、高校時代は文通をしていました。私が一方的に伝えたいことを伝えるという感じでしたが。「大学受験に向けて3年間実験することにしました」と送ったときは、「人生は競争だ。負けるな」と返信してくれました。

私は、小中時代はその自分の特性をうまくつかめていなかった気がします。みんなと歩調をそろえなくてはならない学校の授業はよく眠くなったりして。今思えば自分のペースで学びたかったんですね。だから、小学校高学年で始めた公文式学習は、私にとてもフィットしました。自分のペースで段階を経て進むことができるので、とても楽しかったんです。

公文では算数をやっていましたが、私は先にどんどん進めたいタイプで、小学生で中学の数学をやっていました。自分の学年より先の学習ができる機会は、他ではめったにありませんから、貴重な場でした。計算もはやくなりました。

そもそも学力が上がらないというのは、その学習方法がその子に合っていないからだと思っています。私もそうだったので、大学受験もアプローチを変えて自分でやってみようと思ったわけです。

大学時代の起業で学んだこととは?

学生起業の経験で得た学びは「うまくいかないときも続けたいと思えるかが大事」ということ

浅谷治希さん

小さいときは「人間と動物を両方診る医者になりたい」と思っていた私ですが、高校時代に「経営者になりたい」と思うようになりました。ビル・ゲイツの本を読み、経営者は未来をリードしていく仕事ができる仕事だと感じたのです。

起業するなら仲間を見つけようと「経営者を数多く輩出する大学」を希望、調べたら慶応大学経済学部に多いことがわかり、そこを目指しました。先にお伝えしたように3年間独学の末、無事合格。ところが実際に入学してみたら、まわりには「起業した経営者」は一人もいなかったんですね。

起業仲間が見つからず、とりあえず一人で起業することにしました。大学1年のときです。事業を立ち上げる際はキャッシュフローが大事なので、そこが明確な飲食店や古着販売をしました。古着については、当時私がとても洋服が好きだったことも理由です。でもトレンドが変わると、それにあわせて仕入れなくてはならず、これは自分でやり続けることができないと感じて、大学3年でやめました。

このときの起業経験で得た学びは、「好き」ということは大事だけれど、底力を試されるのは、うまくいかなかったときで、そのときも続けたいと思えるかどうか、それだけの信念があるかどうかということ。飲食店も古着販売も、私にはその信念がありませんでした。それで自分は起業家には向いていないなと思ったんです。

起業は大学3年でやめ、就職活動をして複数の内定をもらいましたが、いろいろと考えた末に、資格をとることにしました。起業時に法律の大切さを実感していたこと、また信念の大切さもわかったので、「人の課題解決をする」を信念にやろう、それには弁護士がやりがいがあるのでは、と考えたのです。しかし司法試験に落ちてしまい、起業するか、ロースクールに行くか、再度就職活動をして就職するか悩みました。結局、何事も経験、と大手教育企業への就職を選んだのでした。

後編を読む

関連リンク株式会社 LOUPE


浅谷治希さん  

後編のインタビューから

-「センセイノート」誕生秘話
-「センセイノート」継続の危機で得られたものとは?
-浅谷さんから子どもたちへのメッセージ

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