STORY03

多くの社員、仲間に
変化を与え続けられるような、
高い視座をもった人でありたい。
高い視座をもった人で
ありたい。

ITO YASUAKI

福岡事務局1チーム
チームリーダー
2005年入社

コンサルティング職、育成職、
事務局長などを経て、2020年10月より現職。

※部署名は2020年12月当時のものです。
現在、「事務局」は「ブランチ」に名称変更しています。

CHAPTER人生の岐路に立ち、迷う私に向けられた
同期の屈託のない真っ直ぐな言葉。
言葉に力を宿す人間が、ここにもいた。

教員になれたら、中学生くらいからそう考えるようになった。高校卒業後は迷うことなく地元の大学に進学し、「地域文化」を専攻。フィールドワークで地域の人たちに聞き取り調査をしながら、当地の歴史や文化を研究した。地元の魅力を深く知るにつれ、「地方公務員となって地元の役所に勤めようか」「いや、社会科の先生になって子どもたちに地元の魅力を伝えていこう」と、思いも膨らんでいく。そんなある日のこと、アルバイト先の先輩が言った。「面白い会社があるぞ」。聞けば、「人のため、社会のためになることだったら、なんでもチャレンジさせてくれる」という。「KUMONというのは、そもそも会社だったんだ」学習者ではあったが、その時の印象はそのようなものだった。

それから数日が過ぎ、出かけた先で偶然にもKUMONの「教材展示会」が開かれていた。先輩の話を思い出して中をのぞくと、社員が声をかけてくれ、KUMONの思い出話で盛り上がった。自分が就活生であることを伝えると、別の社員を紹介してくれた。KUMONの人たちとは不思議とウマが合う。先輩が語っていたように、私が会う社員たちも口々に「世のため、人のため」という。そこに胡散臭さは感じられず、言葉に力が宿っていた。かつて教育実習で生徒と真剣に向き合い、「本心からの言葉は必ず相手の心に届く」と実感したことを思い出した。

KUMONに内定をもらった後、いよいよ私は迷った。教員になるべきか、KUMONの社員となるべきか——。そのとき同期が私に言った。「きみが魅了された人たちを採用する会社ってすごいと思わないか。ぜひ、一緒にやっていこうよ」。人生の岐路に立っている人間に向けられた、屈託のない真っ直ぐな言葉。「ここにもいたか、言葉に力を宿す人間が」。私は思わず笑ってしまった。もう迷いはなかった。

CHAPTER先導するのではなく、伴走する。
それはKUMONの教室で
先生たちが実践していることだった。

入社後、配属されたのは名古屋。コンサルティング職としての仕事が始まった。一度は教員を目指した身として、公文式の指導には入社前から関心があったが、実際、教室で目にした光景は新鮮だった。指導者である先生方は子どもを教えるのではなく、子どもの頑張ろうという意欲を引き出すことに徹していたからだ。その姿は先生というよりは伴走者だった。入社して5年が過ぎたとき、私は直営教室で自分が指導者としての立場を経験する機会に恵まれた。「伴走者」としての指導を実践する日々。後任の先生に教室を引き継ぐ際、ある保護者から手紙をいただいた。「子どもの気持ちを引き出し、そして寄り添う。先生の力なくして、わが子の成長はなかったと思っています」。この言葉は、私に向けられたものではない。公文式の指導を実践するすべての先生方に向けられた言葉だ。公文式学習において「指導者の存在」がいかに大きいか、自分の中で確信が芽生えた瞬間だった。

教室を引き継いだ後は、新任指導者の育成を担当することになった。新しく教室を開設された先生方と関わる中で、一人ひとりの想いを知り、その願いをかなえたいという考えがより強くなっていった。開設いただく先生方には、お一人お一人KUMONでかなえたい夢がある。データ分析を行い、そこから課題を抽出し、教室発展に向けた提案を行っていくというコンサルティングだけではなく、担当する先生が何を実現したいと考えられているのかという「ビジョン」を真ん中に置いたうえで、その実現に向け一緒に活動する事の大切さを実感する日々だった。

他にも名古屋では、今のリーダーとしての自分にも繋がる仕事の姿勢を培うことができた。まず、常に今の自分より一段、二段高いところから考えること。入社3年目くらいから、先輩やリーダーの判断、行動を見て「自分ならどうする?」と考えるようにしてきた。それが習慣になると、不思議なもので、今の自分より高いステージで挑戦する機会が自然と与えられるようになる。今にして思えば、「自分ならどうする」と考える姿勢が、周囲から「チャンスを与えてやりたい」と思われることに繋がっていたのかもしれない。教室での指導経験や、大学での学びの場、本社プロジェクト参加など、様々なチャンスに恵まれ、成長することができた。

もう一つ大切にしてきたのは、「新しいことに挑戦する」ことだ。変化することへの欲求、もっと良いものを探りつづける向上心。自分自身の「可能性を信じる」こと。そして、自分なら成し遂げられるという自己肯定感。こう考えてみると、まさに公文式だ。公文式への確信を深め、自分自身の行動にも結び付けてきたことが、確実に今の自分へと繋がっている。

CHAPTERメンバーの成長を心から願い、
彼ら彼女らのために働きたいと
考えている自分がそこにいた。

入社14年目、私は初めてリーダー職に任命された。地域に展開する200近くにも及ぶ教室の責任者にして、11名のメンバーを率いる山口県にある小郡事務局と徳山事務局の局長だ。ここではひとつ、忘れられない出来事がある。2つの事務局を兼任していた私はそれらを山口事務局としてひとつに再編するプロジェクトを主導することになった。もともとこの話が具体的になる前から、2つの事務局は合同で事務局での活動計画を策定したり、先生方に向けた研修を実施したりはしていた。が、いざ再編ということになると、お互いの違いに目を向けてしまうこともあるようだった。

そこで私が大切にしたのは、全員で新しいところに向かおうという考え方である。メンバーには「主役はあなたたち一人ひとり。皆さんが考え、それが反映されていくことが大事」と伝えた。事務局が再編し環境が大きく変わる中で、やりがいを感じてもらうことが最も大切だと考えたからだ。それぞれの強みが活き、一人ひとりが主役となり輝いてほしい、この想いが根底にあった。約2ヶ月をかけて全員で作った「山口コンセプト」は、再編の時はもちろん、今も皆の拠り所になっている。

この経験を通じて、私にも変化があった。メンバーの成長を心から願い、彼ら彼女らのために力を尽くしたいと考える自分がそこにいた。山口事務局では、この2年間で7名のメンバーが社内でのコース変更や昇格を果たしている。この事実そのものよりも、メンバー一人ひとりが「チャレンジしたい、変化したい」という思考やマインドになっていることが素晴らしい。そして、私自身がその状態を心から嬉しく思い、自分でなくメンバーたちの成長を第一に考えていることこそ、自らの成長の証でもあると感じるのだ。これからも広い視野、高い視座をもち、誰よりも変化や挑戦に貪欲でいることで、多くの人に影響を与え続けられるような人でありたいと思う。

自分自身がもっと成長したい、
新しいことに挑戦し、
未知なる自分に出会いたい
私はそんな人を応援したい。

MY CAREER

1年目

新卒入社
栄事務局配属後、事務局再編のため名古屋事務局所属となり、名古屋市内を担当するコンサルティング職となる。

8年目

東海エリア育成チーム
育成職として、東海3県に展開する直営教室での指導、運営を担う。8年目の半年間ほどは、社外学習の位置付けで一橋大学のゼミに参加し、企業における知識創造論を学ぶ。9年目以降は津事務局に常駐し、新規で教室を開く指導者に対する指導を担う。

12年目

京橋事務局
再びコンサルティング職に戻り、事務局の主力として後輩社員の指導を担う立場となる。

14年目

山口事務局
事務局長として配属される。山口県(下関市を除く)と島根県の一部の地域の185教室の公文式教室の責任者、自分を含め社員12名で構成されるチームのリーダーとなる。
※教室数、社員数は当時。

16年目

福岡事務局1チーム
チームリーダーとして配属される。福岡県の北東部と山口県の下関市の212教室の公文式教室の責任者、
自分を含め社員16名で構成されるチームのリーダーとなる。

私が大切にしていること一期一会、今という瞬間を大切に

KUMONという会社は、とても多くの出会いに恵まれている会社であり、私自身、振り返ってみても出会いの数だけ成長する機会をもらったと感謝しています。ただ、そうした出会いは、ときに一度きりのこともよくあります。「あのときの話、すごく勉強になったから、もっと詳しくうかがおう」と思っても、その後、その人と連絡がつかずに残念な思いをすることも少なからずありました。だから私は、「今日のこの出会いは一期一会」とつねに思うようにし、今という瞬間、瞬間を大切にするように心がけています。こうした心構えがないと、「せっかくの出会いも、ただの接触で終わってしまうぞ」という、言うなれば自分に対する戒めです。「人を大事にする」会社だからこそ、これからも出会いに感謝し、多様な価値観、多様な視点に触れることで、自らの学びにしていきたいと思っています。

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