STORY01

教室の未来、先生の未来を
考え抜くことで、子どもたちの
未来を創っていく。

KASAI TASUKU

盛岡事務局
コンサルティング職
2015年入社

横浜事務局でキャリアをスタートさせ、
2019年2月に盛岡事務局に配属。

CHAPTERスラム街の光景は想像を絶していた。
自分にどんな社会貢献ができるだろう……。
真剣に考えたからKUMONに行き着いた。

大学2年も終わりのこと。ゼミのフィールドワークとして先輩たちとタイに渡り、2週間ほど滞在することになった。タイの玄関口である首都バンコクは急速な経済発展を遂げており、海外からの来訪者も多く、街は活気にあふれていた。新興国の熱気にあてられ、私も少なからず高揚していた。しかし、旅の目的のひとつである、とある教育財団を訪れたことで、私の高揚感は一気に消し飛んだ。その財団は、スラム街で暮らす子どもたちに教育を施す取り組みを行っている。私たちは財団の人にスラム街を案内してもらうことになっていたのだが、実際に目にした光景は想像を絶していた。そこには首都バンコクとはあまりにもかけ離れた生活があり、厳然として存在する格差社会をまざまざと見せつけられ、私たちは言葉を失ってしまった。そんな様子を見てとった財団の人は、まるで私たちを慰めるかのように、静かに語った。「教育がすべてを変えるのです」と。

教員を目指していた私だったが、帰国後、本気で考えるようになった。仕事を通して自分にどんな社会貢献ができるだろうか……。教員採用試験に向けての勉強を続けながら、私は一般企業の就職活動も並行して進めることを決意した。それからは、いろいろな企業の人たちの話を聞いて回ったが、自分の抱くイメージと合致しない。というよりも、自分自身も自らが抱くイメージがどこかぼんやりとしており、はっきりとした像を結べないもどかしさを感じていた。そんなときだった。ある企業のウェブサイトに目が留まり、その企業理念に私の目は釘付けとなった。そこに記されていた内容は、まさに自分が抱いていたイメージそのものだった。私は思った。ここで仕事を続けていればいつかきっと、タイで目にしたような、貧困で思うような教育を受けられずに苦しむ子どもたちを救うことができるかもしれない。私にとってKUMONとの出会いは、必然だったと思っている。

CHAPTER私の疑念に対する先輩の言葉、
それは自分のコンサルティング活動を
根底から覆すものだった。

入社以来、コンサルティング職としてキャリアを重ねてきた私だが、A先生との長期にわたる活動が自分を大きく成長させてくれたと感じている。まだキャリアの浅い私は、日頃のコミュニケーションや教室訪問、面談などを通じて、A先生が抱えている課題、私自身が感じている活動ポイントを起点に、やりとりを重ねていた。コンサルティング職とはそういう仕事だし、そのこと自体に間違いはなかったはずだ。だが、私は自分の仕事に疑念を抱かざるを得なかった。「課題解決型の仕事ばかりしているが、本当にこれでよいのか?」と。私は先輩に自分の思いをぶつけてみた。それに対する先輩の言葉は、私のコンサルティング活動を根底から覆すものだった。「先生たちは今の教室を一生懸命よくしようと考えてくださっている。私たちがそれをサポートすることも当然。でもね、私たちが真になすべきは、その教室の未来、その先生の未来のためを考えながら活動していくことだよ」。やはりそうだったか。目の前の課題を解決することが自らの仕事だと思い込み、そのことに満ち足りなさを感じていた自分を、私は大いに恥じた。何もわかってはいなかった。

とは言え、「教室の未来、先生の未来のため」の仕事とは、具体的に何をどうすればいいのか。先輩はあえてそこには言及しなかった。悶々とした気持ちを抱えながら、私はとある社員研修に参加した。テーマは「地域分析を基にしたコンサルティング活動」。担当地域の歴史や町並みの変化にはじまり、人口動態、教育関心度、経済水準などを踏まえたコンサルティング活動を実地で展開しようというものだった。先輩の指摘に対する自分なりの答えを見いだせずにいた私は、ここに何かヒントがあるのではないかと、時間が経つのも忘れ、さまざまな資料を手当たり次第に読み漁った。すると担当地域について、これまでの変遷、現在置かれている状況、予測されるこれからの推移、というものが自分なりに見えてきた。私は早速、収集した事実、そこから自分なりに導き出した地域情勢、それに基づいた今後の活動について、A先生との話し合いをはじめた。私はこれまでには感じることのなかった視座、視点が、自分に備わりはじめていることに気がついた。

CHAPTERキャリアの転換期を迎えている
先生、
様変わりしはじめている街。
両者をつないだ新しい教室を
提案した。

A先生は、得意とする英語を教室の強みとしていた。評判が評判を呼び、地元地域だけでなく周辺地域からも生徒が通うまでとなり、多数のスタッフを抱える大教室へと発展を遂げた。同時に、大教室ゆえに一人ひとりの生徒と向き合う時間も限られてしまう現状に、先生自身は開設当初を懐かしむことも多くなっていた。他方、教室のある地区はもともと閑静な住宅街だったが、世代交代を背景にマンションを核とした再開発が進み、結婚を機に移り住む夫婦二人世帯、それも富裕層が増えていた。私はA先生に提案した。先生がキャリアの転換期を迎えていること、街も大きく様変わりしはじめていること。ついては、英語中心の教室というベースはそのままに、対象を徐々に幼児へとシフトしていってはどうかと。その瞬間、先生の顔がパッと明るくなり、目に力強さが戻っていった姿を、私は忘れることはないだろう。先輩、「教室の未来、先生の未来のため」の仕事とは、こういうことですよね。

またこれまでさまざまな教室に伺う中で、印象的な出来事も多かった。国語の教材と向き合っていたある生徒は、問題文と設問文を読み終えたあと、笑みを浮かべながら解答を書き込んでいた。内容を理解できているということ以上に、その内容を理解して「楽しい」という感情を乗せながら解答していたのだ。私は衝撃を受けた。そして思った。子どもらしく学習するというのは、喜怒哀楽を伴って学習できているということではないかと。外部の有識者が研究結果として公表しているとおり、公文式教育は学力の伸長だけではなく、内面的成長も後押しする学習法だ。教室のなかで出会うさまざまな感情、そこで感じたこと、考えたことは、後々のその子の成長へとつながっていく。A先生をはじめとする指導者は、その可能性を信じて子どもたちと向き合っており、そうした教室、指導者の未来を創っていくことが、私たちの仕事だ。教材を前に笑みを浮かべる子どもの姿に、タイのスラム街で暮らす子どもの姿を重ねたとき、財団の人が語った「教育がすべてを変える」という言葉が、私のなかで確信へと変わっていくのを感じた。私はこれからも教室と先生の未来を考え抜くことで、世界の子どもたちの未来を創る仕事をしていきたい。

「楽しい」という感情を乗せながら
学習する子どもの姿に衝撃を受けた。
喜怒哀楽を伴う学習を提供することは
きっと、世界を変えると信じている。

MY CAREER

1年目

新卒入社
横浜事務局にコンサルティング職として配属される。先輩や上長たちから、たくさんの学びの機会を与えてもらったことで、この仕事の奥深さ、やりがいを知る。

5年目

盛岡事務局
同じコンサルティング職ながら、首都圏と地方とでは、求められるアウトプットが異なることを知る。前部署で身に付けた地域分析を徹底し、ICTもフル活用しながら、事務局に新しい風を吹き込むことを目指している。

私が大切にしていること「氷山モデル」という教え

「人間の行動の下にはスキルという層がある。そのスキルという層の下にはマインドという層がある」というのが、この「氷山モデル」の意味するところです。どんな人でも行動には理由があるし、その行動を下支えしているのがスキルです。そして、どんなスキルを身に付けているかを紐解いていけば、その人の考え方や価値観というものが浮き彫りとなっていきます。新入社員時代に、ある先輩から教わった教えですが、日々のコンサルティング活動を進めていくうえでの大事な指針となっています。ちなみに、「KUMONらしさとは何か?」という問いに対し、この「氷山モデル」を当てはめ、私の思考を展開していくと、「日々のコンサルティング活動」という行動があり、その下に「未来を創るための分析力と実行力」というスキルがあり、その下に「企業理念」というマインドがあると掘り下げることができます。そして自分が強く共鳴した企業理念こそが、同業他社とは明らかに異なる「KUMONらしさ」だという答えに行き着きます。今後は「KUMONらしいコンサルティングとは何か?」という問いの答えを考え続けることで、先生たちとともによりよい未来を創造できるコンサルティング職を追求していきたいと思っています。

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