「夢」「学び」を支えるKUMONの「いま」を伝えます

記事検索
Vol.031 2016.04.08

起業家 マリタ・チェンさん

<前編>

世界チャンスに満ちている
テクノロジー
世界の人々を助けたい

起業家

Marita Cheng (マリタ・チェン)

1989年オーストラリアのケアンズ生まれ。工学とコンピューターを学んでいた学生時代に、学生団体「ロボギャルズ」を設立、2012年には「ヤング・オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。現在は人々の役に立つロボットを作る「2Mar Robotics」と視覚障害者のためのiPhoneアプリを作る「Aipoly」の2つの会社を経営している。

女子学生にロボット工学の楽しさを紹介する団体を大学在学中に立ち上げ、現在は起業家として2つの会社を経営する、オーストラリア人のマリタさん。2012年には同国を代表する栄誉である「ヤング・オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた27歳の彼女に、ロボット工学の魅力、そして彼女の事業と夢についてうかがいました。

目次

ロボットとアプリ開発、2つの会社を起業

マリタ・チェンさん

私は現在、2つの会社を経営しています。2013年に設立したのが、ロボットを開発する2Mar Roboticsという会社。今、この会社で作っている「テレプレゼンス・ロボット」は、自分の分身のようにロボットを別の場所に置くことで、同時に2つの場所にいることを可能にするロボットです。これにより、たとえば多くのビジネスマンが、会議や報告のための出張を省くことができると思います。1年半かけて開発をすすめ、2か月後には100台が製品化される予定で、今はとても忙しくしています。

もう一社は、2015年に共同設立したAipolyという会社です。こちらでは、目が不自由な方々のために、iPhoneで写真を撮るとその画面が音声で説明されるアプリを開発しました。これは私がアメリカのシンギュラリティ大学に留学していた時に思いついたものです。目の不自由な利用者からは、「とくに公衆トイレを利用する時など、触らなくてもそこに何かあるのかわかるので助かる」と言っていただき、手ごたえを感じています。世界には目の不自由な方が2億8500万人いると言われていますので、英語に加え、今は日本語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、アラビア語に対応させています。

マリタさんの子ども時代とは?

忙しい毎日を送った子ども時代
優先順位をつけることが重要

マリタ・チェンさん

私はオーストラリア北部のリゾート地として知られる、ケアンズの出身です。年中、太陽がさんさんと降り注ぎ、のんびりとした素敵な土地です。両親は私が幼いころに離婚し、私と兄は母に育てられました。
 
わが家はとても貧しかったけれど、母は「子どもには何より教育が大切」という考えを持っていて、ヒルトンホテルの客室係の仕事を一生懸命やって、私たちにいろいろなことを学ばせてくれました。放課後には月曜日に公文、水曜日にピアノ、日曜日に中国舞踊。ケアンズに日本人の観光客がたくさんいらしていたこともあって、金曜日には日本語のレッスンにも行っていました。

公文に出会ったのは11歳(中1)の時です。小学校に小6と中1の日本人の姉妹がいて、彼女たちが昼休みに公文の数学をやっているのを見かけたんです。数学が好きだった私はさっそく母に「KUMONっていう数学のプログラムがあるみたい、面白そう」とお願いしました。それまでも数学は得意でクラスのトップでしたが、公文をやるうちに自分に自信が持てるようになりました。そしてこつこつと続けることで、時間をかけて何かに取り組む精神力も培われたような気がします。

 習いごとの他にも、ボランティアに参加したり、学校では環境委員会やディベート部、数学クラブに入って活動していたので、かなり多忙な毎日でした。でも、常に「学校の勉強が第一、他のことはその次」と優先順位を自分の中ではっきりさせていたので、忙しさに振り回されたり、切り替えができないということはありませんでしたね。この「優先順位づけ」は今もやっていて、今自分の中では2つの会社で進めているプロジェクトが最優先。その他のことはその次、といつも意識しています。

マリタさんとロボットとの出会いとは?

読書好きだった子ども時代

マリタ・チェンさん

私は読書好きの子どもでした。幼いころは母が絵本を読み聞かせてくれましたが、私の母は香港出身で英語があまり上手ではなく、次第に自分で読むようになりました。週に一度、図書館に行って「これ、面白そう」と思った本は片っ端から読んでいましたね。とくに好きだったのが、冒険小説やミステリー。強くてパワフルな若いヒロインの話に夢中になりました。

12歳の頃には、自分の将来について考えていました。ロボットってかっこいいなあ、こういうものが世界中にあったら便利だろうなあと思いました。テクノロジーについて考え始め、ロボットを作ることが私の夢になりました。建築や科学が好きで、いろいろ教えてくれた兄からも影響を受けましたね。お兄ちゃんができるなら私にもできる、という気にもなれました。

17歳でメルボルン大学に入学し、故郷を離れました。それ以来、母とは離れて暮らしていますが、いつも私を応援してくれています。母からは「トライし続けなさい、努力し続けなさい」と言われています。

後編を読む

関連リンク2Mar RoboticsAipoly


マリタ・チェンさん 

後編のインタビューから

-ロボット工学の魅力を伝えるRobogals(ロボギャルズ)の活動とは?
-うまくいかない時のマリタさん流の乗り越え方とは?
-マリタさんから子どもたち、親へのメッセージ

後編を読む

    この記事を知人に薦める可能性は、
    どれくらいありますか?

    12345678910

    点数

    【任意】

    その点数の理由を教えていただけませんか?


    このアンケートは匿名で行われます。このアンケートにより個人情報を取得することはありません。

    関連記事

    バックナンバー

    © 2001 Kumon Institute of Education Co., Ltd. All Rights Reserved.