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Vol.043 2017.05.19

海洋冒険家
白石康次郎さん

<後編>

自分の幸せのために
思いの方向に舵を切ろう

海洋冒険家

白石 康次郎 (しらいし こうじろう)

1967年東京生まれ鎌倉育ち。神奈川県立三崎水産高校在学中に、単独世界一周ヨットレースで優勝した故・多田雄幸氏に弟子入り。1994年には史上最年少(当時)となる26歳で、ヨットによる単独無寄港無補給世界一周という偉業を成す。その後も数々のヨットレースで活躍し、2016年には最も過酷な単独世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローヴ」にアジア人として初出場を果たすも無念のリタイア。ヨットレーサーとしての活動以外にも、子どもたちと海や森で自然学習を行う体験プログラムも主宰する。

数々の国際的なヨットレースに挑む一方で、子どもたちに自然の尊さと夢の大切さを伝え続けている海洋冒険家の白石康次郎さん。子どもの頃に抱いた「船で海を渡る」という夢に向かって、さまざまな荒波を乗り越えてきました。夢をかなえる力、そして旺盛なチャレンジ精神と行動力の源泉についてお話をうかがいました。

目次

電話帳で調べて「海の寅さん」に「弟子入り」
人生を教わった師匠との出会い

海洋冒険家 白石康次郎さん

水産高校在学中に、師匠となる多田雄幸さんが第1回単独世界一周ヨットレースで優勝しました。その様子が書かれた本を読んで、自分の目標を「船で外国に行く」からさらにハードルを上げて、「一人でヨットで世界一周をする」と決めました。ヨットといえば、僕ら庶民には手が届かないと思うでしょう?でも多田さんは個人タクシーの運転手だった。そしてヨットを自分で作って世界のレースで優勝した。

その事実に希望が湧いたんです。とにかく本人に話が聞きたかった。それで東京駅まで行って電話ボックスの電話帳で調べて電話しました。アパートに押しかけて、どうしてもヨットに乗りたい、と頼み込んだんです。

多田さんは、理詰めの僕とは真逆のタイプ。感覚的でアーティスト。一言で表すと、「行雲流水」。とどまることなく自由に生きた人で、作家の沢木耕太郎さんは「海の寅さん」と表現されました。僕は師匠から「人生の楽しさ」を学びました。師匠とのエピソードはたくさんありますよ。ひどい荒海のとき、僕がつらいと思っていても、師匠は船の中で餃子の皮を作っていたり。あれを見せられたら、もう何も言えません。少しの間でしたが、一緒にいられて幸せでした。

海洋冒険家 白石康次郎さん
©YOICHI YABE

亡き師匠の船を改造して、26歳で無寄港無補給で単独世界一周を果たしたときは「初めてみんなにお礼を言える」ことがうれしかった。それまでに2回失敗していて、「すみません」「お願いします」しか言えませんでしたからね。このときのレースでは176日かけてゴール。こんなに時間のかかるスポーツは他にないですよね。

単独レースでは、ヨットの上はもちろん自分ただ一人。だから24時間体制で、1時間以上は連続して寝られない。何かあったら飛び出せないから寝袋は使わないし、トイレはバケツででんぷんでできている袋に入れて廃棄します。食事はレトルトのアルファ米。野菜がとれないぶん、ビタミン剤も飲んでいます。こんなふうに船の上ではすべてが不便。クジラに激突する危険もあるし、何が起こるか分からない。死ぬことだって想定内です。

白石さんがヨットに乗る理由とは?

「人生って楽しいよ」という大人は
幸せそうな顔をしている

海洋冒険家 白石康次郎さん

今回挑戦した「ヴァンデ・グローヴ」は、50%がリタイアするという過酷なレースです。厳しいチャレンジに見えるかもしれませんが、ヨットで世界一周するのは、僕がやりたいからやっていること。自分の楽しみのために、苦しいことをしているのだから、どんなにつらくても乗り越えられる。

逆に言うと、やりたくなければやめればいい。僕も明日、ヨットがいやになったらやめちゃいます。でも、これまで「やめたい」と思ったことはない。じつは、僕は船酔いが激しくて、船乗りに向いていないんじゃないかと思ったことはありました。でも楽しいと続く。いろいろあるけど、周りに支えられながら続けていられるんだから、好きなんだろうと思います。

子どもたちには、とにかく好きなことをしようよ、と伝えたい。「好きなことをしてばっかりいたんじゃ……」「人生思うようにはいかないよ」なんていう、つまらない大人の言うことは聞かなくたっていい。その大人の顔を見てごらん。つまらない顔をしているから。そうではなく、「人生って楽しいよ」「好きなことをしなさい」という人は、きっと幸せそうな顔をしているから。

僕の海洋教室では、「白石さんって楽しそう、幸せそうだな、僕も幸せになってみたいな」と思ってもらうことから始まります。そこで子どもたちに「君は何が好き?」と聞く。そこからアドバイスしてあげる。好きなことは変わります。変わっていいんです。変わっても、そのときに好きなことをどれだけ一生懸命できるかが大事です。

親や先生の役割は、「こうしろ、ああしろ」ではなくて、自分が「楽しかったよ」「最高だったよ」と背中を見せてあげることじゃないでしょうか。幸せな人間でないと幸せを教えられませんから。親が幸せで、それを見て「お父さんお母さん幸せそうだな。これが幸せなんだな」という子が増えたら、世の中どんどん明るくなります。幸せそうにしている子は魅力的。だから、世界どこにいっても通用します。僕はそんな「魅力的な子」を育てたい。

問題なのは、楽しいことも好きなことも見つからないこと。恋愛でも勉強でも仕事でも、なんでもいいから一つひとつ一生懸命やっていくと、「ステキだな」と思うことがあるはず。夢を見るのに理屈はいらない。楽しいのが見つからないのは心が開いていないから。どれもいい加減にやっていると、気づかないで通り過ぎちゃうんですよ。

白石さんのこれからの夢とは?

地球で遊び、
嵐を乗り越えるような子どもたちを育てたい

海洋冒険家 白石康次郎さん
 

僕は10年以上前から子ども向けにいろんな海洋教室を開催していますが、「ヨットに親しんでもらいたい」とは思っていません。子どもの仕事は遊びですから。子どもたちと一緒に自然の中に入って、いろんなことを体験するのが目的です。

「リビエラ海洋教室」は一泊二日で、シーカヤック、ディンギー、釣り、森林探索、焚き火……いろいろやります。沖縄に行ったらガジュマルの木をのぼったり。要は、そこにある自然を使って遊ぶ。「地球を遊ぶ」ってことです。

「大島チャレンジ」は児童養護施設の子どもたちと、ヨットで逗子から伊豆大島へ往復航海にチャレンジする。「勇気の教室」は、僕の船を使っての乗船体験。これは少しヨットを体験してみたいという「レベル1」から、相当な覚悟が必要な「レベル5」までレベルに分かれていて、大人も参加できるものもあります。

僕はこうしたプログラムで、「嵐を乗り越えられる」子どもたちを育てたいんです。人生いろんなことがありますからね。僕は子どもたちに環境を整えてあげることはできないけれど、見方を変えてみようよと気づかせることはできる。状況は変わらなくても、向きを変えれば見え方が違ってくるんです。これは船と同じです。

僕自身のこれからは、2020年のヴァンデ・グローブ初完走を目指して準備を進めること。今回はリタイアしましたが、3回連続でリタイアしているスキッパー(ヨットの操縦者)もいます。普通は信用失いますよね。それでも腐らないで、スポンサーを探してくる。だから僕は、1回失敗したくらいでくよくよしてたら笑われちゃうんです。そりゃ、30年かけてスタートしてリタイアして、涙も枯れ果てたけど、まだまだ「ヴァンデ・グローブ」には通用しなということなんだね。

もっと修行してもっと自分を高めていかないといけない。だからスポンサー企業に対しても、子どもたちに対しても、こうした取材に対しても、誠心誠意、対応する。その一つひとつが僕を成長させてくれると信じています。

次の「ヴァンデ・グローブ」では、できれば日本の進んだ科学技術を使って、すべてをメイド・イン・ジャパンの船で挑戦して優勝を目指したい。僕の代では難しいかもしれないけれど、次の世代にもつなげたいと思います。

そして、もっとその先にある僕の夢は、「世の中を明るく元気にしたい」、ただそれだけのこと。それが僕の舵を切る方向です。だから僕は、まず自分から「明るく元気に」を心がけているんです。

関連リンク白石康次郎さん公式サイト


海洋冒険家 白石康次郎さん 

前編のインタビューから

-白石さんがヨットに乗るようになったきっかけ
-子ども時代にお父さまに言われていた唯一の言葉とは?
-厳しかった水産高校での教育

 

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