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Vol.046 2017.08.04

盆栽芸術家 秋山実さん

<前編>

素材を見極め先を見る
人も盆栽も「続ける」ことで
成長結果がついてくる

盆栽芸術家

秋山 実 (あきやま みのる)

1979年生まれ。山梨県韮崎市の秋山盆栽園2代目。山梨県立韮崎高校を卒業後、東京の春花園BONSAI美術館にて6年間の修業を終え、現在に至る。29歳の時に2008年度第34回日本盆栽作風展において、史上最年少で盆栽界の最高峰の賞である内閣総理大臣賞を受賞。また同年、日本さつき組合主催のプロの競技会である第20回皐樹展においても最高賞の皐樹展大賞を受賞。盆栽芸術家として日本のみならずヨーロッパをはじめ海外にてデモンストレーションやワークショップを通じて盆栽の普及・発展に尽力する。内閣総理大臣賞3回受賞。公文では、年長から小学校5年生まで算数・数学と国語を学習。

若くして盆栽界における数々の名誉ある賞を手にされている盆栽芸術家、秋山実さん。高校卒業後の6年間の修業を経て、現在はみずから顧客を開拓したり、海外で指導したりと精力的に活動されています。実家を離れての住み込みの修業生活では、辛いこともあったかと思いきや、「盆栽をやめたい」と思ったことは一度もなかったそう。秋山さんを引きつける盆栽の魅力とは?修業で得た学びや、盆栽家として技術を磨くために意識してきたことなどについてもうかがいました。

目次

盆栽は「生きている芸術」
 長い期間育てることでその木ならではの風格が出る

秋山実さん

私は盆栽園を営みながら、盆栽家として作品を作っています。今、この盆栽園にあるのは約500鉢。そのうち半分ほどがお客さまからの「お預かりもの」です。じつは盆栽家としてのメインの仕事は、お客さまの盆栽を「しっかり見ながらしっかり育てる」こと。

盆栽は、雨や陽に当たること、温度管理をきちんとすることが大事。ほかにもその木に合った肥料や水の量、消毒なども考えなくてはならず、盆栽が趣味の方でも自分で育てるのはなかなか難しい。それで私たちのような盆栽園に預けるのです。

育てた盆栽は展示会にも出します。一般の盆栽展では、持ち主であるお客さまの名前で出展しますが、盆栽家の腕を競う競技会では、盆栽家の名前がメインに出ます。その代表的なものが日本盆栽作風展で、これは創作部門など様々な部門があり、毎年どの部門に挑戦するかを決めて、それに合わせて作っていきます。この出展には「3年間は自分で育てたもの」などの規定があり、長いと10年以上かけて育てることもあります。盆栽は時間がかかるものなのです。

秋山実さん
樹種 真柏
鉢 古渡紫泥切立長方樹盆

盆栽は、将来的にどういう形にするか、はじめに「樹形構想」をして、それに合わせて針金で矯正し、はさみで剪定し、枝を作っていきます。木は生きているので、形は次第に変化していきます。

そこが盆栽の魅力。絵や彫刻などの芸術作品は、一度作れば、未来永劫同じ姿をずっと鑑賞することになりますが、盆栽は幹も太るし枝の形も変わっていく「生きている芸術」。手入れをくり返すことで、木の風格や歴史が出てきて、その過程を楽しめる芸術なのです。

そのため、お客さまとも長いお付き合いになります。展示会に出展したいか、個人で楽しみたいかなど、お客さまの目指す方向に合わせて、一緒に作り上げていきます。それも楽しみのひとつですね。

秋山さんの子ども時代とは?

「基礎をしっかり」という母の方針が今に活きる

秋山実さん

私がこの道に進んだのは、もともと父が盆栽園を営んでいたという背景もありますが、父から継ぐように言われた記憶はありません。子どもの頃、虫が好きだったので、将来は生き物の研究者になるのもいいな、と思っていたことがあります。親が図鑑と辞書をセットで買ってくれ、近所でとってきた虫を「なんていう虫なのかな」と、よく調べていました。

でも図鑑には難しい漢字があって、意味がわからない。それで今度は辞書で調べるというわけです。今のようにインターネットなどありませんから、自分の周りのものから情報を得るしかありませんでしたが、調べ物によって世界が広がり、好奇心が満たされました。

私は子どもの頃から「あれをしなさい、これをしなさい」と言われてやるのは好きではなく、自分で興味をもったことを集中してやるタイプ。実はこの性格が、盆栽をやる上でとても合っていたことが後でわかりました。親も、勉強に関してはあまりうるさく言いませんでした。ただ、母は「基礎的な勉強がしっかりできていないと、就きたい仕事に就けないよ」とも言っていました。

そんな母のすすめもあり、5歳くらいから近所の公文式の教室に通い始めました。親としては小学校に入学する前に多少は勉強しておいたほうがいいと思ったのでしょうね。算数と国語を、小学5~6年生頃まで続けました。公文式は自分の力に合わせて進められるので、常に自分の学年より先の内容を公文で学んでいて、学校の授業はラクに進められました。計算することが苦にならないので、計算以外の部分に時間をかけて考えられるのです。高校では理系に進みましたが、そういった面で役に立ちました。

高校生の時、いよいよ進路を決める段階で、大学へ進学するか、高校卒業後に盆栽園で修業をするか、考えました。盆栽の業界では、他の盆栽園で6年間住み込みで修業をするのが慣例なので、大学に行ってからとなると遅れをとります。そこできっぱり、大学ではなく修業の道を選びました。

修業時代に養った大切な力とは?

親方の姿を見て「自分で考え自分で学ぶ」
「気づき」の大切さを学んだ修業時代

秋山実さん

修業先は、東京・江戸川区の盆栽園。親方は「このように松の枝を切りなさい」などと、やるべき作業については教えてくれますが、なぜその作業をするのか、それがどういうことなのかといったことは、聞かなければ教えてくれません。

ですから、「なぜ切るのか」「なぜ葉の色が悪いのか」「なぜこの木は元気がないのか」など、「なぜ?」と自分で気づくことが必要でした。気づかなくては聞くことができませんからね。木に合わせて自分も動き、「気づく目」を養いました。

修業に出た当初は不安でしたが、このように、言われてやるのではなく自分の感覚で学んでいくスタイルは、子どもの頃から「自分で興味を持って調べていく」ことが好きだった私には合っていました。そうやって、やればやるほど盆栽の面白みがわかるようになりました。

盆栽も生き物ですから、修業先では休みはなく、朝7時に起きて掃除からスタート。夕方は6~7時まで盆栽の手入れをします。私が入った時には、少し年上の先輩が2人いて、人間関係も良好だったので、毎日が修学旅行のようでした。

業界内にも比較的同世代が多かったので、切磋琢磨できて恵まれていたと思います。そうしたこともあって、修業期間中にやめたいと思ったことは一度もありません。経験が浅い頃は、盆栽愛好歴の長いお客さまに逆に教えていただくこともありました。

6年間修業をすると「年季明け」となります。私は早く自分でやりたくて、年季が明けて実家の盆栽園に帰っても、自分で食っていこうと考えていました。

後編を読む

関連リンク秋山盆栽園ウェブサイト


秋山実さん 

後編のインタビューから

-盆栽と公文式の共通点とは?
-秋山さんのこれからの目標
-秋山さんから子どもたちへのメッセージ

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