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公文式教育を貫くもの

公文式の創始者である故・公文 公が残した言葉を紹介しながら、
公文式が目指す教育について、あらためて考えていきたいと思います。

第12回 悪いのは子どもではない

公文式教育を貫くもの

私たちは、あくまで「悪いのは子どもではない」と信じるところから出発します。子ども一人ひとりの可能性を発見し、個人別にその子どもの「ちょうどのこと」を学習させていけば、親や先生はもちろん、本人にとっても思いもおよばなかったような成長をとげることができ、「自分にはこんなにも可能性があったのだ」と自信をもつことができるのです。これが公文式の学習法です。

公文 公

わが子が健康で、勉強のよくできる子であってほしい・・・これはすべての親御さんの願いではないでしょうか。その思いから、いろいろなことを教えたり、習いごとや塾などに通わせたりします。結果、効果がうまく上がっている場合はいいのですが、うまくいかないと「うちの子は、いくら教えてもできない。どうも呑みこみが悪い」などと考えてしまうことが多いようです。そして、何か不得意な学科があると、その原因は何かとは考えずに、たいがいの人は「悪いのは自分(の頭)だ」と思いこみがちです。

しかし、悪いのは子どもではありません。数学でも英語でも、あるいはそのほかの学科でも、子どもができない原因は先生(教える側のおとな)にあるのです。

ある一人の子どもがどこかでつまずく、あるいは学習が順調に進まなくなる。そうしたとき公文式は「この子は能力が低い」などとは、けっして考えません。すぐに教材のどこかに欠陥があるのではないか、指導する側の工夫が足りないのではないか、と検討を開始し、ほかの多くの子どもの学習状態なども検証して、その子の学習がスムーズに進むように教材を改訂したり指導を改善していきます。こうして、一人の子どもから教えられて作られた教材と指導技術は、更に多くの子どもの学習をスムーズなものにしていきます。公文式はそのようにして進化してきました。

公文式はほかのどんな学習法より優れた教育である、と私たちは自負しています。しかし、まだまだ未完成であることをも謙虚に自覚しています。これからも一人ひとりの、目の前の子どもから学び続けていくことによって、教材をよりよいものに改訂し、指導技術を向上させていく真摯な研鑽活動を公文式に携わる者全員で続けていきます。