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公文式教育を貫くもの

公文式の創始者である故・公文 公が残した言葉を紹介しながら、
公文式が目指す教育について、あらためて考えていきたいと思います。

第4回 家庭教育

公文式教育を貫くもの

子どもは毎日、学校へ行って勉強している。家庭における学習は、学校で十分やってくれないことを、学校とは違った方法でやってこそ、効果を上げることが多い。どうせ学校でやってくれる内容を学校と同じ方法で家でも習わせることは、むだが多く、子どもも勉強に対して新鮮な意欲を感じなくなってしまうだろう。家庭では必ずしも学校の通りにしようとせず、その子の性格や能力に合った方法で、目標をしぼって重点的に学習させることが大切である。

公文 公

子どもたちをとりまく教育環境としては、まず家庭があり、学校があり、そして地域社会の3つがあります。この3つ、ある部分ではオーバーラップしながら、有効に機能しあってこそ健全な教育環境の基盤が形づくられるものと思います。教育のすべてを学校だけに任せようというのは根本的な誤りであり、その誤解が学校の現状を混迷化させている一因ではないかとさえ考えられます。

公文式は、学校教育に代わるものではなく、毎日学校に行っている子どもには家庭での学習としては何を、どのようにさせるのがもっとも望ましいかという立場から考えられたものです。ですから、公文式はなるべく学校とは重複させないように、学校で習うあれもこれもと欲張らず、すべての学習の基盤となる「読み、書き、計算」の知的技術の習得に目標をしぼって重点的に学習させるようにしているのです。

「読み、書き、計算」の知的技術は、習得できるまでの個人差が大きく、一人ひとりの状態に応じて、それぞれに必要なだけの練習をしなければ十分な力を保証してあげられません。それを学年別一斉授業の枠組みの中だけで、全ての子どもに等しく習熟させようとすることには無理があります。

更に、わが子のゆく末に責任をもつ保護者の方の立場としては、現在の学年にこだわるのではなく、先々になっても安心できる学力を子どもに身につけることを考えたいものです。そのため公文式では、中学・高校になった時にこそ困らないように、高校教材ができるようになることをひとつの目標としているのです。

学校にしかできないこと、つまり集団の中でこそよりよく学べることと、一人ひとりに対応できる家庭教育・家庭学習でこそ効果が高いことを、はっきり区別し、家庭ではそのことにエネルギーを集中していく。そうしてこそ、お互いのいいところが相乗的に効果を発揮して、よりよい教育環境を作っていくものと信じます。