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公文式教育を貫くもの

公文式の創始者である故・公文 公が残した言葉を紹介しながら、
公文式が目指す教育について、あらためて考えていきたいと思います。

第3回 可能性の追求

公文式教育を貫くもの

例えば、一人の人間が初めてエベレストの登頂に成功した。その時、「たまたまその一人ができたにすぎないではないか」と考えるのではなく、「一人の人間にできることは、ほかの人間にもできるはずだ」という立場に立ち、その一人の事例を綿密に検討しながら、ほかの多くの人間にとっての実現の可能性を具体的に探る—これが私たちの考える「可能性の追求」ということです。

公文 公

人間の能力はどこまで伸びていくものであるか—これは、だれにもわからないし、「ここまで」ということを断言することは永久に不可能でしょう。例えば、人間がいつ100メートルを10秒以内で走れるようになるかは、50年前にはだれも予測することができなかったし、むしろ10秒の壁を切ることは不可能とさえ考えられていたでしょう。

公文式は個人別の学習法です。年齢や学年にこだわることなく、自分の力でらくにできるところからスタートし、その子一人ひとりのペースで進んでいきます。ですから5年生でも6年生でも、あるいは中学生でも、必要と判断すれば、たし算から学習を始めますし、逆に小学生だからという理由だけで、方程式を学習しては駄目などと足踏みさせることもしません。むしろ、できるだけ早く学校で習っているところより先の段階に、自学自習で進んでいくように指導します。それぞれがもっている能力を最大限に引き出していくことで、自分の可能性がどれほどすごいものであるかを自らの力で追求してほしいからです。小学生が方程式や高校レベルの数学をすらすらと解けるようになったり、楽しそうに古文を読みこなしたりできているのも、そのような考えかたで教材ができており、指導しているからにほかなりません。

自らの可能性を極限まで追求することは、人間に与えられた尊い使命であり、また大きなよろこびです。そのことを通じて、人間は進歩し、世界は発展していくのだと考えます。公文式の使命は、個人別・能力別の自学自習の教育法によって、机上の理論ではなく、学習指導という実践を通じて子どもの可能性をどこまでも追求し、研究していくことです。