メニュー

閉じる

公文式教育を貫くもの

公文式の創始者である故・公文 公が残した言葉を紹介しながら、
公文式が目指す教育について、あらためて考えていきたいと思います。

第11回 高校教材

公文式教育を貫くもの

家庭学習で大切なのは、何をやるかより、むしろ何をやらないかであると私は思う。学校のテストに出るからといって、あれも大事、これも大事と目先のことばかり追いかけていたのでは何も身につきはしない。高校でとびきりできるようになればいいと、例えば数学なら計算力の養成に的をしぼって学習するからこそ、余裕のある学力がつき、結果として、文章題も図形も解けるようになるのである。

公文 公

公文式教育が目指している究極の目標は「自学自習で高校教材」を学習できる子どもの育成です。中学生でも小学生でも、あるいは幼児であっても、無理なくむだなくできるだけ速やかに高校教材に進めるよう指導しています。それはなぜでしょうか。

小学生のときはできていたのに、中学、高校と進むにつれて授業についていけなくなる子どもが多いことをご存知のかたも多いでしょう。その原因のほとんどは、各教科の根幹となる基礎学力(読み、書き、計算の知的技能)の不足です。学力不足から、授業についていけずに楽しくない中学・高校生活を送らせることになったり、中途で学業を諦めたり、まして、そのことが原因で非行への道を歩ませるようなことがあってはなりません。

成績が多少悪くても、個性を伸ばし、わが道をたくましく歩いていけばいいではないか、という人もいます。スポーツに、音楽に、美術や演劇などに打ち込む。それはそれですばらしいことです。しかし、自分の進路について明確に強固な意志を持てるのは、かなり年齢が進んでからのことではないでしょうか。おそらく多くの人にとっては、大学受験の学部選択のときでしょう。小、中学生のとき「お医者さんになりたい」という夢をもっていて、今でも希望しているのに、数学ができなくて諦めざるを得なかった、などということがあってほしくはありません。

また、高校生活が受験勉強だけに忙殺される、というのもかわいそうです。友人との語らいやクラブ活動、幅広い読書や海外旅行、ボランティア活動など、かけがえのない高校時代に体験してほしいことはいっぱいあります。余裕のある高校生活を送るために、家庭教育においては小学生、あるいは幼児のうちから、すべての勉強の基盤となる基礎的な内容に絞って、高校入学までに効率よく学習を進めておく必要があるのです。

ですから公文式は、算数・数学、国語、英語とも、高校で学習する内容を目指して教材が構成されています。その目標に直結しない内容は思いきり削り取られており、学校で教わる何もかもは盛り込んでいません。算数・数学は、高校数学にどうしても必要な高いレベルの「計算力」、国語、英語は、高校以上で必要とされる「読解力」に絞り込んで、効率よく進んでいけるようになっています。

更に言えば、そこで養った「読み、書き、計算、英語」の力は、高校時代のみにとどまらず、その後に続く人生そのものを切り拓く、それこそ“一生もの”の「生きる力」であるとも言えるのです。