美術的な要素と理系的な要素を駆使し
未開の領域を作り出す
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私が友人と主宰している「ライゾマティクス」はアートユニット名で、クリエイターとエンジニアの集団です。会社としてはアブストラクトエンジンという社名で、その中にある組織のひとつという位置づけです。
何をしているかというと、独自に開発したソフトウエアやハードウェアを用いて映像や音楽を作ったり、照明を制御したりして、ライブパフォーマンスの演出サポートや、スポーツ観戦をよりおもしろくするための演出などを手がけています。領域としてはエンターテインメントやスポーツのほか、美術館、広告など幅広く、国際的なイベント演出や都市開発の監修などアウトプットの場も広がってきています。
私たちはコンテンツ制作だけでなく、システムやツールなどの技術開発もしています。別の言い方をすれば、制作する美術的な要素と技術を開発する理系的な要素の両方を駆使して、これまで誰もやっていなかったようなものを作り上げていく。面白い職業だと感じています。
私の代表作としては、2008年と少し昔になりますが、音にあわせて顔の筋肉が動く「electric stimulus to face※」(低周波刺激装置)があります。自分の顔に医療用電極をつけ、音楽の信号を低周波の電気刺激に変換して、それに合わせて顔の表情をコントロールする実験的な作品です。YouTubeにアップしたら大きな反響があり、世界30都市以上で発表することになりました。
※electric stimulus to face https://www.youtube.com/watch?v=YxdlYFCp5Ic
医療用電極は医療分野で使われているもの、低周波刺激装置は知人に作ってももらい、ソフトは自分で開発しました。発表して14年ほど経っていますが、いまだにいろんなアーティストの方がこの動画を参照してくださっていて、私のマスターピースといえる作品です。
こうしたことができるのは、音楽を作るだけでなくソフトも自作することができるから。ソフトを自作できると、元々ないような楽器を作ったり、既製品のソフトではできないことができたりと、いろいろなことが自由にできます。
顔面を音楽で制御する作品は自分でやりたくて作ったものですが、依頼された仕事で印象に残っているのは、フェンシング選手が使う剣先の動きを可視化したプロジェクトです。フェンシングはものすごく早い動きをするスポーツで、剣先の動きは肉眼ではなかなか見えません。それが見えるようになったら、その動きから選手がどういうことを考えて試合をしているかわかり、よりおもしろくなると考えて提案しました。
2013年からプロジェクトとして始まり、国際試合で使えるようになったのは2019年。ちょうどAI技術が発達し、新しいアルゴリズムが開発され、物体検出の精度が急激に向上したことも幸いし、その新技術とライゾマティクスのエンジニアを中心に開発したアルゴリズムを組み合わせて完成することができました。現在国際特許を申請しているところです。
小さい頃から「数字」好き
得意な算数・数学を、公文式でさらに伸ばす
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私はとにかくゲーム好きな子どもでした。米国在住時の小1のとき、「ATARI」というテレビゲームにおおいにハマりました。帰国して小4くらいのときには、自宅のパソコンでプログラミングするようになり、専門雑誌を読んだり、小学生ながらひとりで秋葉原に行ったりして情報収集しながらゲームを自作していました。
当時、ゲームはよしとされず、隠れてやっていることも多かったです。パソコンをするのはOKでもファミコンは買ってもらえず、親からの「ゲームよりも習い事や学校の勉強をしっかりやって」という圧はすごかったですね。
父はジャズベーシスト、母も音楽関連の仕事をしていたこともあり、家の中にはさまざまな楽器がありました。シンセサイザーもあって、それで音楽らしきものを作ることも。プログラミングもそうですが、私の今の仕事は、子どもの頃のこうしたことが原体験になっているに違いありません。
ピアノやサッカーや英会話、塾など色々な習い事をする中で、一番ハマった記憶があるのが公文です。父の勧めで小学校低学年から算数をやっていました。私にとってはゲームをやるのと変わらず楽しくて、小学生で微分積分の問題を解いていた覚えがあります。深い意味はわからずに、早く解くことに快感を覚えていました。
難しい問題にチャレンジしていくことで、どんどん自分が成長している。公文式は、そんなことを子どもながらに感じることができるカリキュラムだったのでしょうね。先生に褒められることもモチベーションになりました。
私は小学校に入る前から数字が好きで、数字を見たらすぐ覚え、絵を描く機会があると必ず数字に関することを描いていました。算数も公文式教室に通う前から得意で、父はそれを公文でさらに伸ばそうと考えたのかどうかはわかりませんが、おかげで数学の成績はずっとよく、今も暗算は得意です。データの大きさもすぐ計算できて便利です。
今、大学でも教えていますが、数学に苦手意識を持つ学生が多いです。どうしたら苦手意識をなくせるか考えているのですが、傷が深すぎて本人が諦めてしまう。大学に入ってから意識を変えるのは難しいと感じています。
私の場合は元々数字・算数好きでしたが、その意味では、小さい頃から公文式などで算数・数学に親しんでいると、数学への苦手意識がなくなるのではないかと思います。それに、数学とプログラミングは使っている脳の場所が近いと思うので、数学をある時期にしっかり訓練していないと、プログラミングもできないのではないかと思います。ですから小さいときにプログラミングに注力するよりも、公文などで算数・数学の基礎を固めておいた方がいいと思います。
DJとインターネットに明け暮れていた大学時代
医学部を目指していたが…
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中学時代は部活はやらずにスケボーやゲームづくりに熱中していました。学校が舞台で、敵である先生を倒すと音が出るとか、ウケ狙いのゲームを作って友人にやらせたりして。最近、友人に聞いたら、私が作ったゲームは全然面白くなかったって言っていました(苦笑)。当時はゲームクリエーターへの憧れはありましたが、特に将来のことは考えず、どちらかというと悶々と過ごしていましたね。
高校に入ると、パソコンを使ってのゲーム作りや音楽作りよりも、親戚に影響されて始めたDJがおもしろくなって。高校生向けのパーティー会場や、高3からはお店でも活動していました。でも音楽やDJでは食べていけないだろうと、仕事にすることは考えず、医師を目指していました。漫画『ブラックジャック』に憧れ、また親も喜ぶだろうと考えたのです。ところがセンター試験の2日目に寝坊してしまい…数学が得意だったので、数学と英語が入試科目だった東京理科大理学部数学科に進むことにしました。
そして、大学時代はあまり勉強しませんでした。好きだったはずの数学も、大学では高校までの数学とは全然違う。これまではパズルを解くような問題だったのが、証明が多くなり、かなり高度に抽象化されていて、興味を持って勉強することができませんでした。ということで、大学時代はDJと、ちょうど黎明期だったインターネットに明け暮れていました。一応授業でも、ホームページやサーバー作りなどをしてはいましたが。
プログラミングといってもいろいろな種類があり、ホームページ作りをするには、それほど数学的な素養は必要ないと思います。ただ、たとえば線形代数を使わないと3Dグラフィックスはできませんし、微分法が解らないと機械学習の問題も解けません。学生時代は「将来役に立つのかな」と疑問を感じていましたが、仕事で映像を作るようになって、3Dグラフィックスを作るのに線型代数が必要になり、勉強し直しました。そう考えると、「数学を勉強してどうなるの?」と疑問に思う子どもたちには、それを学ぶ意味を丁寧に教えてあげることが必要かもしれませんね。
関連リンク ライゾマティクス
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