公文の教室に通っていなければ
『伝え方が9割』は誕生しなかった
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いまでこそコトバを扱う仕事をしている私ですが、じつは、人と話すのが極度に苦手でした。だから、まさか自分がコミュニケーションの仕事をするとは、想像もしていませんでした。
私は幼少時代、父の仕事の関係で引っ越しが多く、その先々で馴染むことができず、学校の休み時間も一人で過ごすような子どもでした。引っ越し先では遊びも話し方も、これまで過ごした土地とは違います。話し方のイントネーションをよくからかわれ、人と話すことが怖くなってしまったんです。
ただ両親は、そんな私にいろいろな体験をさせてくれました。印象に残っているのは、まだ海外旅行が珍しかった35年前、私が小4のころですが、ヨーロッパに連れて行ってくれたことです。裕福な家庭ではなかったのに、貯金を崩して連れて行ってくれたことを覚えています。そして、とにかく新しいことにどんどんチャレンジさせてくれました。そんな幼少期の経験があるため、いまでも新しいことにチャレンジするのには抵抗がありませんし、新しいことをやっていこうと考えられるのかもしれません。
公文式教室に通っていたのは、名古屋に住んでいた小3から小5のころです。転校して教科書が変わり、学校の授業についていけなかったことを両親が心配して、公文を見つけてきてくれたのです。やっていたのは算数だけでしたが、やり始めたら、自分も親も驚くほどぐんぐん伸びました。それがうれしくて、ほかの教科も勉強するようになり、全体の成績もあがっていきました。
もしかしたら、公文の教室に通っていなければ、『伝え方が9割』は誕生していなかったかもしれません。この本は、「コトバという一見つかみどころのなさそうなものに法則を見つけ、その法則通りに伝えればうまく伝えられる」ということをまとめた本です。その「法則を自分で見つけて応用する」という点は、まさに公文式で幼少期に学んでいたことだからです。公文が私の考え方のベースになっているのです。
「自分で考えて法則を見つけて応用する」というのは、勉強にも効きますが、社会に出てから、仕事においても応用できます。子どものときにその基礎を身につけられたことが、いまでは財産になっています。