「夢」「学び」を支えるKUMONの「いま」を伝えます

記事検索
Vol.123 2015.12.21

ブランドの専門家、KUMONの原点を訪問

片平秀貴氏公文公記念館
訪問されました

9月29日、ブランドの専門家、片平秀貴(かたひらほたか)氏(丸の内ブランドフォーラム代表・元東京大学教授)が、大阪府豊中市にある「公文公(くもんとおる)記念館」を訪問されました。KUMONの原点に触れた様子をご紹介します。

目次

ひとりの父親の“わが子への愛情”から
はじまった公文式教育法

公文公記念館は、公文式の心を伝え、教育のあり方を見つめるため、1998年より公開されています。公文式は、高校教師だった公文公がわが子に行った算数・数学教育の実践から生まれた教育法です。ここには、公文公の生い立ちから、公文式の誕生、そしてこれまでのあゆみに関する資料が展示されています。

片平秀貴氏は以前、KUMON now!のインタビューでブランドについてこのようにお話しされていました。

「実はブランドとは『組織の存在理由そのもの』であり、消費者にかけがえのない感動や喜びを与えてくれるもの。私は欧米企業を中心に、ブランド力があると評価されている企業の経営者にインタビューした結果、そのことに気がつきました。それらの企業に共通しているのは、自分たちの夢をものすごく大切にしているということ。ビジョンや哲学と言ってもいいでしょう」
※片平秀貴氏のインタビューは記事末尾の関連リンクからご覧ください。


公文公が長男・毅のために手作りした原典教材
(公文式教材の原型)

今回、片平氏は「公文式を知るには、創始者の公文公さんを知ることが大事」であると考え、この記念館を訪問しました。片平氏が特に時間をかけて見られたのは、一番初めに作られた原典教材(公文式教材の原型)が置いてある部屋。この部屋には、公文公が長男・毅(たけし)のために一枚一枚手作りした教材のレプリカが展示されています。 公文公は、長男・毅が小学2年生の時、自学自習で算数・数学を学んでいけるよう、計算問題をルーズリーフに手書きで作り始めました。毎日30分、毅はそれに取り組み、公は毅の解いた問題を確認し、時にはヒントやコメントを添えて採点することをくり返しました。その結果、毅は小学6年の頃には、微分・積分を学習できるまでにいたったのです。記念館では、一人の父親のわが子への愛情が詰まったやりとりを、原典教材を通じて感じることができます。

記念館を訪問した片平氏の感想は? 

公文公が大切にしていたもの


片平氏(右端)とKUMONの社員

片平氏の記念館訪問の感想をご紹介します。
「わが子のために一枚一枚手作りした教材を見て、公文式が父親の深い愛情から始まっていることが感じられました」

「また、公文公さんの書斎にある電話と、そばに置いてあるノートが印象的でした。公さんは、時間を見つけては全国の先生方に電話をして、生徒の指導情報を集めていらっしゃったとのこと。報告される数字ではなく、“生の生徒一人ひとりの姿を感じること”を大切に考えていたことの表れでしょう」

「もう一つ、公文公さんの言う“ちょうど”という言葉も心に残りました。一般的に“ちょうどいい”とは、“心地よい”ことばかりを指しますが、公文公さんは、“自分の力だけで解けるぎりぎりの厳しいところ”“これ以上厳しいと辞めてしまう、一歩手前のところ”を指していました。教室の指導者の方々にも、この“ちょうど”の指導を求めていて、常に子どもたちの“可能性の追求”を考えていらっしゃった方だと感じました」

「このようなKUMONの源泉が見られて、振り返る場所があるのは、ブランド構築の観点から見てもとても大事なことですね。世界の名だたるブランドをもつ多くの企業にも、原点を確認できるこのような場所があります」

これまで、世界中からKUMONの社員や指導者を中心にのべ20,000人以上がこの公文公記念館を訪問しています。


関連リンク 片平秀貴先生インタビュー|KUMON now! 公文公記念館HP(見学等のお問い合わせはこちらから)

    この記事を知人に薦める可能性は、
    どれくらいありますか?

    12345678910

    点数

    【任意】

    その点数の理由を教えていただけませんか?


    このアンケートは匿名で行われます。このアンケートにより個人情報を取得することはありません。

    関連記事

    バックナンバー

    © 2001 Kumon Institute of Education Co., Ltd. All Rights Reserved.