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Vol.011 2014.07.25

腹話術師 いっこく堂さん

<後編>

誰か考えたことをするよりは
自分考えたことをやりたい

腹話術師

いっこく堂 (いっこくどう)

1963年、沖縄県出身。本名、玉城一石(たまきいっこく)。ものまねタレント、劇団民藝の舞台俳優を経て、1992年から独学で腹話術に挑む。これまでにない「2体人形の同時操り」「時間差会話」「唇をまったく動かさない技術の高さ」など、腹話術で独自の境地を開き注目される。1999年には文化庁芸術祭新人賞をはじめ各賞を受賞。現在、アジア・アメリカ・ヨーロッパなど18か国に活動の場を広げ、国内外合わせ年間200を超える公演をこなす。2012年、初の著書『ぼくは、いつでもぼくだった』をくもん出版より刊行。

腹話術に新しい風を吹き込み、日本国内のみならず海外にも活躍の場を広げるいっこく堂さん。腹話術という伝統芸に新たな境地を開くために、どのように挑んできたのか。多大な努力の積み重ねで芸の道を究めてきたストイックなまでの姿勢は、学びに対する謙虚で真摯な取り組みに通じるものでした。

目次

米倉斉加年さんが独立へと背中を押してくれた

いっこく堂さん

故郷の沖縄から東京に出てきて、本格的に役者の修行を始めると、すぐに挫折はやってきました。人が簡単にできることが自分にはできない。まずリズム感がない。小2の体育の授業で、行進の足踏みが“わるい見本”と指摘されたくらいなので、ダンスとか太鼓とかの動きがどうも苦手なんです。それに加えて不器用ときた……。

僕は民藝という劇団に所属していたのですが、その不器用さからか、芝居も裏方の仕事もうまくできなくてたいへんでした。あるとき、僕なりにお客さんを笑わせたいと思って、脚本にはない演技をしてみたのですが、これが完全に裏目にでました。演出家さんの「みんな真剣にやっているのに、お前はちょちょいのちょいで芝居をやりやがって!」という一言がこたえました。

ここは僕の居場所じゃないな、と思い始めてから1年ほどたったころでしょうか。とある旅公演での劇団員の宴会で一芸を披露することになったんです。おそれ知らずにも、「劇団民藝」の重鎮だった宇野重吉先生の演出風景のものまねをすると、案の定「酔いが醒めるからやめてくれ!」ってヤジられました。そのほか演出家の米倉斉加年さんのものまねもご本人の前でやらせてもらいました。「お前のモノマネは全然似てないじゃないか! だけど面白かったから優勝!」とか(笑)。米倉さんにそう言われてとてもうれしかったですね。

米倉さんが「お前はひとりでやるほうが面白い。ひとりで何かやってみなさい」とおっしゃってくれて、翌日からは舞台稽古の合間に漫談の練習をやるようになったんです。忙しいのに、米倉さんは必ず見てくれました。「面白くない!全然面白くない!」って言いながら……。でも、ひとり立ちする背中を押してくれたのは、間違いなく米倉さんでした。

腹話術をやろうと決めたのは1992年のこと。当時、腹話術は坊やの人形との掛け合いが基本でした。しかし、僕はもっと新しい、誰も見たことのない腹話術をやりたいと思っていました。僕と人形との主従関係が逆だったり、同時に2体の人形を操ったりする腹話術を。でもそれは、師匠に教わることはできない、すべて独学で身につけるしかないことも意味していました。

「腹話術では不可能」といわれていた挑戦とは?

両唇音(りょうしんおん)を克服して道が開けた

いっこく堂さん

とはいえ、どういうことが練習になるかもよく分からない。ただ、とにかく1日8時間は練習しようと決めました。それで少なくとも1年間やってみよう、と。限界を超えてみないと新しいものは生まれないと思っていたのです。もちろん、1年どころか、そのあと何年も修行は続くのですが……。

自分で言うのもなんですが、辛いですよ、8時間ただひたすら言葉をしゃべるって。ターニングポイントになったのは、マ行・パ行・バ行の音を唇を動かさずに出す方法が何となく見えてきたときでしょうか。これらの音は両唇音といい、この音が入った言葉を口にすると、人間の構音上、どうしても唇が動いてしまうので、腹話術で両唇音を使うのは不可能とされていました。だから、両唇音を出すことができたら、道が開けるのではないかと思ったんですね。

そう言うとかっこよく聞こえますが、実際は試行錯誤の日々。両唇音とは、閉じた唇を離すときに出る音。だったら口のなかに唇の代わりのようなものがあればいいんじゃないかと思いつくまでに3年ほどかかりました。そして、ガムを使っての練習を何千回もしてみたりもしましたが、なかなかうまくいきません。長く「腹話術では不可能」と言われてきた両唇音ですから、そう簡単にできるはずがありません。

で、結局口のなかにあるものは“舌”だということに行きついて、こんどは舌の筋肉の訓練をひたすら続けました。そうして3年が過ぎたころ、ようやく唇を動かさずに両唇音を出せるようになってきました。「腹話術で両唇音を」と思い立ってから、6年という年月が流れていました。

腹話術は、一に練習、二に練習です。押しつぶされそうなときももちろんありますが、「いや、絶対できる!」と、そのたびに気持ちを奮い起こしています。そんなとき思い出すのは、「これから腹話術をやろうと思う」と劇団仲間に打ち明けたときのことです。「今どき腹話術なんて古くないか?」と言われて悔しかったのですが、逆に「それなら新しい腹話術に挑戦してみよう」というモチベーションになったことをよく憶えています。

たまたま目にした「砂漠を緑地化した日本人がいる」というテレビの特集番組にも勇気をもらいました。紙おむつの仕組みを利用して砂漠を緑地化すると聞いて、「それに比べたら腹話術で両唇音を出すほうが簡単だよな」と勝手に励まされたのです(笑)。大切なのは自信を持つことです。両唇音の練習をしていたとき、「無理かもしれない」とは決して思いませんでした。絶対にできると信じる。信じる者は救われます。

いっこく堂さんが考える「本当の成功者」とは?

本当の成功者とは「優しい気持ちを持ち続けられた人」

いっこく堂さん

考えてみたら僕は、「学費免除の成績基準は超えよう」とか、「1日必ず8時間練習しよう」とか、具体的な目標があると頑張れるタイプなんですね。2001年からは「1日10km走る」という日課を続けています。目標を持って続けると忍耐力が身に尽きます。生きていくうえで、忍耐力ほど必要なものはないと思うのです。日常生活でも忍耐力は鍛えられると思っています。たとえば、人形の入った重いカバンを両手に持って階段を昇る。海外公演向けに、その国の言葉を何百回、何千回と聞いて、しゃべって憶える。僕が腹話術をすることで、悩んでいた人の悩みが少しだけ小さくなるかもしれない。日常の出来事すべてが、僕にとっては修行だと思っていますから。

そして僕は、「本当の成功者、人生のいちばんの成功者とは、優しい心を持ち続けた人だ」と思います。でも優しい心を持ち続けるというのは、芸を磨くとか体を鍛えるとかよりもずっとむずかしい。本当に優しい人というのは、自分に厳しく、他人に対してはおだやか。けれど、いつもただ他人に優しいだけではなく、ときには厳しく対応できる人のことだと考えています。自分もいつかそうなれたら……と思っています。

「優しい心を持ち続ける」のはたいへんですが、どんな小さなことでも長く続けたらすごいと思います。だから、子どもたちには何か継続できるものに、ひとつでいいから出会ってほしい、見つけてほしいですね。運動でも読書でも、何でもいいんです。続ければ何かが見えてくる。目標のある人、夢のある人は、そういう体験をしてきているように思います。だから、目標や夢に向かって、今何をすべきかを自分で考えて、具体的にどう実行すればいいかも見えてくるのでしょうね。

自分にもよく言い聞かせることなのですが、「まずは自分で考えてみる」ことを大切にしています。誰かに教えてもらう、本で読む、それも必要なことです。初めて何かを習うとき、初めて学ぶときには必ず通る道ですね。しかし、いよいよ新しいことに挑もうと思ったら、誰かが考えたことをやるよりは、どんなにくだらなくても自分で考えたことをするほうが身になると思います。世の中に無駄なことは何もないように、一見関係ないことが後でつながってくることはたくさんありますから。自分で考え、自分でやってみる。それをレベルアップしながらくり返す努力をしてみる。その努力は決して裏切りません。それだけは自信を持って言えます。

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