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Vol.049 2017.11.17

パティシエ 本間友梨さん

<後編>

地道に積み重ねることで
知識や技術が身につき
やがて生活のとなる

パティシエ

本間 友梨 (ほんま ゆうり)

大阪府生まれ。地元の高校を卒業後、辻製菓専門学校へ進学。大阪の洋菓子店「なかたに亭」を経て東京へ。日本を代表する料理人、三國清三氏がオーナーシェフを務める「オテル・ドゥ・ミクニ」の菓子部門で修行を積む。同店でシェフ・ドゥ・パティシエ(菓子部門長)を務めていた師匠、寺井則彦氏の独立開業に伴い、パティスリー「エーグルドゥース」へ。29歳のとき単身フランスに渡ったのち、ルクセンブルクで3年半修行。2012年に帰国後、日本初の本格アントルメグラッセの店「GLACIEL(グラッシェル)」の立ち上げメンバーとなり、現在は表参道店でシェフを務める。公文式教室には5歳から10年ほど通う。

日本ではまだ馴染みの薄い「アントルメグラッセ」と呼ばれるアイスクリームでつくったデコレーションケーキのシェフ(製造責任者)として、日本のスイーツ文化に新たな風を吹き込んでいる本間友梨さん。濃厚なアイスクリーム、フレッシュフルーツのシャーベット、香ばしいアーモンドスポンジ生地の三重奏が口の中で広がる“究極のスイーツ”は、味もさることながら、本間さんが考えるハリネズミなどをかたどったキュートなデザインも人気です。「ケーキ屋さんになる」という夢をかなえるために、フランスやルクセンブルクで修業し、言葉や人種の壁を乗り越えて認められ、夢を実現させた本間さん。その道のりやパティシエの魅力、商品開発の秘訣などについてうかがいました。

目次

「見返してやろう!」との思いでふんばった
ルクセンブルクの修業時代

本間友梨さん

フランスの修業先のオーナーは、とても厳しかったです。エクレアが5ミリでも長かったら全部捨てるとか、難しいことでも「俺ができるんだから、お前もできる。できるようになれ」とか。ウソをついたら怒るけど、失敗は怒らない。そんな人でした。

学びへの姿勢も教えられました。自分より職階的に低かったり、年下だったりしても、相手を認めて学ぼうとするんです。オーナーは、この業界では世界的に知られているパティシエ。そんなすごい人が、わたしに「自分の知っていることを全部教えるから、あなたもあなたが知っているすべてを教えて」と言うのです。日本では、下の人に「教えて」なんて言うことはほとんどないですよね。驚いたと同時に、尊敬の念を抱き、わたしも見習いたいと思いました。

フランスで1年間修業の後、ロレーヌ地方に近い国・ルクセンブルグに行きました。今度は大規模なケーキ屋さん。従業員も多く、若い子も機械を駆使して大量につくる。ここでは効率重視の大量生産のやり方や、スケジュールをきっちり決めるマネジメントなどを学びました。

従業員も多国籍で、日本人も数人いました。日本人って、「やれ」と言われたことはなんでも引き受けちゃう人のよさがありますよね。そこにつけこまれて、仕事で面倒なことを日本人に押し付けられることがありました。他の日本人は従っていたようなのですが、わたしははっきりイヤと言い続けました。すると、「日本人のくせに」という目で見られ、嫌な思いもしました。

救いだったのは、オーナーが「あなたが彼らに劣っているのは言葉だけ。仕事では秀でているから誇りをもつように。いろいろ言う奴は放っておけ」と言ってくれたことです。結局2年後、商品開発のシェフに抜擢されて、仕事の成果で周囲を見返すことができました。フランスでもルクセンブルクでも、オーナーに恵まれていたと思います。

このままルクセンブルクに骨を埋めるかどうか考えていたとき、東日本大震災が起こり、家族のことも考え、2012年に帰国することにしました。

パティシエの魅力とは?

お客さまの「思い出づくりのお手伝い」
それがパティシエの魅力

本間友梨さん
ハリネズミをモチーフにした「クリソン」

わたしは、ルクセンブルクではアイスケーキもつくっていました。その経験を買っていただき、新しくアントルメグラッセ専門ブランド「GLACIEL(グラッシェル)」の立ち上げを計画していた今の会社に誘われて、現在に至っています。

この夏は「Jolie vacance(素敵なバカンス)」をコンセプトに、楽しそうに飛び回るテントウムシとミツバチを飾ったひまわりの形のアントルメグラッセを販売しました。新商品の発想は日常のいろんなところから出てきますよ。このテントウムシとミツバチも、農地を訪問した際に目にしたことがヒントになりました。

ハリネズミのケーキは、自宅で飼っている猫がじゃれていておしりをフリフリしているのがかわいいなあ、と見ていたところから着想しました。日常生活の中でもいつもお菓子づくりのことを考えています。

本間友梨さん

パティシエというと、華やかな印象があるかもしれませんが、じつは重い材料を運ぶこともありますし、材料をかき混ぜたりする力も必要。地味な力仕事も多いです。でも、みなさんも経験があると思いますが、お菓子やケーキは誕生日やクリスマスなど、特別な日に登場するもの。わたし自身「あのときあんなケーキ食べたな」という思い出があります。パティシエって、そうした思い出を演出する仕事だと思うんです。

そうやってお客さまに喜ばれることはもちろんですが、わたしのモチベーションになっているのは、やはり師匠に「おいしい」と言われることですね。尊敬する師匠に職人として認められるのは、とてもうれしいことです。

わたしは純粋にケーキづくりが大好きだし、ずっと厨房に立っていたいと思っています。また、後進を育てることについては、弟子をとるというよりも、その人その人にあった指導をしていきたいと考えています。ケーキ職人といっても、企業の中で働き続けたいという人、独立開業したいという人、ケーキ教室を開きたいという人など、将来の希望はさまざまですから、それぞれに適した導き方ができればいいのでは、と思います。

本間さんのこれからの夢とは?

夢は「GLACIEL」ブランドを広めることと
女性職人を増やすこと

本間友梨さん

最近の若い人たちを見ていると、安易にラクに稼げるほうにいってしまうのが気になります。とくに職人は地道な仕事の積み重ねで、すぐにたくさん稼げるというわけではありません。でもじつは、その地道な仕事を積み重ねることで、技術や知識が身について、それが報酬に結びつくのだと思います。

じつはわたしも、一時期、フランスへ行くお金を貯めるために別の仕事をしていたことがありました。でも、すごくつまらなくて、生きている気がしませんでした。そこであらためて、自分がしたいことはお菓子づくりなんだと気づきました。

そんなわたしの経験から言えるのは、「やりたいことを追求したほうがいい」ということです。自分が楽しいことが一番。子どもたちにも、夢は簡単にあきらめてほしくありません。悩んだら、「そもそも自分は何をやりたかったのか?」と問い直してみることをおすすめします。

わたし自身の今後の夢は、まず、「GLACIEL(グラッシェル)」のアイスブランドを成功させることです。表参道の店舗には、おかげさまで来てくださるお客さまも多いですが、「アントルメグラッセ」の認知度はまだまだだと思います。ヨーロッパでは、夏だけではなく1年中親しまれているこのケーキを、日本でももっと浸透させていきたいですね。

もうひとつは、女性が長く勤められる、長くパティシエでいられる環境を作っていくことです。女性パティシエの数は増えているのですが、結婚・出産などで若いうちに辞めてしまうことが多いという現状があります。もちろん、体力的にも厳しい仕事ですが、頭や機械を使うことでその負担は減らせると思います。そういう仕事の仕方を、わたしは海外での修業時代に学んできたこともあり、そうしたやり方を広めて業界を少しでも変えていけたら、という思いがあります。わたしのように企業に入って商品開発にたずさわるとか、あるいは一時的にパートで働くとか、パティシエを続けていくための道はいろいろあると思うんです。今後に続く人たちのためにも、いろんな選択肢があるということを、自ら示していけたらいいな、と考えています。

前編を読む

関連リンクグラッシェル|アントルメグラッセ・生グラス専門店


本間友梨さん  

前編のインタビューから

-本間さんの子どもの頃の夢
-本間さんが公文で学んだこととは?
-フランスでの修行の日々

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