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Vol.033 2016.06.03

気象庁 有田 真さん

<前編>

自分の好きなものの中に、
未来の自分がある
与えられた環境でベストを尽くそう

気象庁

有田 真 (ありた しん)

鳥取県生まれ。2004年気象庁に入庁。金沢地方気象台、気象庁海洋気象課、地磁気観測所女満別出張所(現女満別観測施設)を経て、地磁気観測所在勤中の2010年には第52次日本南極地域観測隊宙空越冬隊員として南極観測隊に参加。現在は網走地方気象台勤務。

第52次日本南極地域観測隊宙空越冬隊員として南極観測隊に参加し、現在は網走地方気象台で気象観測の仕事をしている有田真さん。南極という厳しい自然環境の中で有田さんを支えたのは、同じ目標に向かう仲間との絆、そして、根気強く続けることでようやく見えてくる自然の真実の姿。好きなことをあきらめない気持ちで人生を切り拓いてきた有田さんにお話をうかがいました。

目次

宇宙天気予報の精度を上げる「地磁気観測」

私の現在の仕事は、網走地方気象台での気象観測です。天気、雲量、視程など人が観測する項目と、機械で測る気温や降水量、気圧などの観測値をあわせて世界に向けて発信します。その観測結果が天気予報のもとになるのです。

有田 真さん
オーロラ 2011年4月1日撮影

2010年、私は第52次日本南極地域観測隊宙空越冬隊員として南極観測隊に参加しました。南極で私が行っていたのは、おもに地磁気やオーロラの観測。地磁気というのは、「地球が持っている磁気」のことです。地磁気は常に変化しており、その仕事は「方位磁石の示す向きと磁気の大きさを精密に正確に測る」ことです。昭和基地はオーロラ粒子の降り込みやすい位置にあり、地磁気も大きく変化します。

地球規模で変動する地磁気の動きを理解するためには世界中で観測することが必要で、日本ではそれを地磁気観測所が担っています。その観測成果は磁気嵐への対応、地図・海図の利用、地震・火山噴火予知研究、地球物理学研究などに活用されています。

有田 真さん
地磁気観測の様子 手前が有田さん

例えば、磁気嵐の規模によっては、大停電がおきることがあります。大規模な磁気嵐がおきた場合、停電のほかにも、人工衛星の故障、航空機乗務員や宇宙飛行士の健康など、その影響が広範囲に及ぶことが考えられます。

現在は、長期にわたる広範囲な観測結果と、人工衛星を利用した太陽風の観測とを合わせることによって、こういったトラブルを未然に防ぐための情報を提供する、「宇宙天気予報」の精度向上に努力が払われています。地磁気観測所の仕事は、そのために必要な観測値を提供することにあります。

このほか、これまでの観測・調査から地磁気観測が火山活動監視の有力な手段の一つとなり、私自身、地磁気観測所に在勤中は毎年雌阿寒岳に赴いて地磁気の観測や装置の整備を行ってきました。私がこれまでに行ってきた仕事は、一般の人の役に立つための基になるデータをとることと言えると思います。

有田さんの子ども時代とは?

心惹かれた裏方技術者たちの仕事

有田 真さん

小さいころ、勉強は嫌いではなかったという感じです。公文は小2から中3までやりました。そのおかげで、そろばんを習っている子より計算が早くできるのがちょっと自慢でしたね。でも、公文の先生に「早くできたから、もう何枚かやっていけば?」と言われると、「絶対やらない」と答える子どもだったそうです(苦笑)。自分の中でこの枚数と決めてがんばったら、たとえ早く終わってもそれ以上は絶対やりたくないという気持ちがあったのでしょう。今、自分の子どもが同じようなことを言うのでちょっとおかしくなります。

一方、遊びはというと、友だちが誘いにきても面倒だったら出かけないタイプでした。今にして思えば、よくそんなことをやっていて友だちがいなくならなかったなと思います。良くも悪くもマイペースだったんでしょうね。

小学校の卒業文集を見ると、将来の夢に「数学者になりたい」と書いてあります。公文のおかげで算数が得意だったからでしょうか。あとこれは、1992年のバルセロナ五輪のときの話題だったと思いますが、あるスポーツ雑誌に「オリンピックを支える裏方技術者」の記事がありました。そのとき水泳競技の公式計時を担ったSEIKOの技術者の方が、「選手のゴールタイムを記録するのに、万が一にも失敗があってはいけないから、機械的に何重にもバックアップを用意している」と話されていて、子どもながらそこに何とも言えないかっこよさを感じたことを覚えています。

ただ、大学に入るときは自分のやりたいことが具体的には決まっていませんでした。なんとなく工学部へ進みましたが、実際入ってみると授業の内容や工学への興味がさっぱりわかず……初めて自分が何をやりたいのか悩みましたね。その結果たどり着いたのが、「自然を相手にする勉強がしたい」という気持ち。どうして雨が降るのか?どうして暑くなるのか?といった自然現象について探求したくなったのです。そんなわけもあって、大学では学部を変更することになりました。

有田さんが南極に行きたいと思ったきっかけとなった経験とは?

南極観測隊志望の根っこにある
「山小屋でのアルバイト」

有田 真さん

転機となったのは大学時代、日本で2番目に高い山である北岳の山小屋でアルバイトをしていたときのことでした。大学3年の時にそこで2か月間アルバイトをしていました。さすがに大学4年になったときは卒論もあるし無理だろうと思っていたら、山小屋の方から「ここでテーマを見つければいいんじゃない?」と声をかけられました。

そこでアルバイトをしながら雨や霧を集め、酸性雨や酸性霧の研究をしたのです。山小屋でバイトをしながら、大量の雨水を背負って大学に持ち帰り研究するのは大変でしたが、終わった時の達成感も含め、自分には合っていると感じていました。このことが南極を目指す根っこにありますね。

それと同時期に、NHKの『プロジェクトX』で、富士山レーダーを作った話や、南極観測隊の話題に触れたことも、「自然」にかかわる仕事へと自分を突き動かしたきっかけとなっています。さらに、同じ研究室から気象庁に入った先輩がいたこともあり、気象庁に入って富士山測候所で働きたい、南極にも行きたいと思い、気象庁を目指して試験を受けました。

じつは気象庁に入ってから知ったのですが、あれほど熱望していた富士山測候所は廃止されることが決まっていました。最初は、自分が抱いていた希望と現実のギャップを感じることもありました。でもそのうち、地磁気観測所から職員が南極に派遣されていることを知り、チャレンジしたいと思うようになりました。とはいえ、いくら自分がやりたいと言っていても、必ずしもやりたいことをやれるわけではありませんよね。私はまず、目の前の仕事にしっかり取り組むことを心がけました。そうして初めて周りの方々の理解も得られると考えたからです。

結果として、南極観測隊に参加することができたわけですが、この経験によって「与えられた環境で自分なりのベストを尽くすことが、やりたい仕事につながる」と痛感しました。やりたいことがあるなら、これがやりたいと考えているだけでなく、1%でもそれができる可能性のある場所に身を置くための努力をすることが大切だと思います。

有田 真さん
第52次日本南極地域観測隊 越冬完了

後編を読む

関連リンク気象庁国立極地研究所


有田 真さん 

後編のインタビューから

-南極観測隊の仕事
-南極観測と子ども時代の勉強の共通点とは
-有田さんから子どもたちへのメッセージ“夢がなくても大丈夫”

 

後編を読む

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