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Vol.030 2016.03.11

貼り絵作家 岡森 陽子さん

<後編>

学びや経験の積み重ね
貼り絵のように重なり合い
その人自身の色として輝きを放つ

貼り絵作家

岡森陽子 (おかもり ようこ)

大阪生まれ。オーダーメイドの貼り絵やさん。高校3年生でバセドウ病を発症。思春期に病気になった自身の経験をまとめた冊子『負けない―バセドウ病と共に生きる―』は、日本甲状腺学会のほか循環器内科や思春期外来の待合室、学校保健室等にも置かれる。現在は、グラフィックデザイナー片岡瞳氏とのユニット「Valentine eve」としても活動中。

現在、貼り絵作家として活躍する岡森陽子さん。高校3年生で「バセドウ病」を発症し、進学も就職の道も閉ざされてしまった岡森さんは、みずからの手で人生をブランディングしようと思い立ちます。「貼り絵」を通して、岡森さんが見つけた希望についてうかがいました。

目次

バセドウ病は挫折であり転機だった

岡森陽子さん

通っていた病院の先生は、私が葛藤していることを察してくれたのでしょう。本当によく話を聞いてくれました。ある日、その先生にこう言われました。「生きるって、“こうでなければならない”という道はないんだよ」と。目の前がひらけた思いがしました。私は病気をマイナスにしか考えていなかったけれど、高校生で病気になったということを逆手にとって、武器にして生きていくこともできるんじゃないかと思えたのです。

バセドウ病に限らず、病気になるというのはとても大変なことです。私は高校生だったので、勉強が遅れる怖さ、友だちに忘れられていく怖さも味わいました。社会は自分がいなくても成り立つ……と見せつけられた思いです。バセドウ病は私にとって大きな挫折であり、人生の転機でもあります。「病気を受け入れるのに18歳は若すぎた」一方で、「18歳の若さ、勢いみたいなもので乗り切った」ような気もするんです。

もともとよく本を読んでいましたが、病気になってますます本を読むようになりました。自分の病気がどんなものかもっと知りたいと思っていました。知ることで、自分に最適な治療法が分かるのではないかと考えたからです。医学書のほかにも、生きることについて書かれた哲学的な本、そして経営者の視点で描かれたマネジメントの本なども読みました。

そんなときに図書館で見つけたのが、甲状腺の専門医、栗原英夫先生の著書『甲状腺の病気を治す本』(法研)でした。栗原先生の本は、今まで読んだどの本よりもバセドウ病について分かりやすく書かれていました。感激して、私はすぐに栗原先生にお手紙を送りました。その手紙に対して、栗原先生は速達でお返事をくださいました。それから先生との交流が始まったのです。先生の講演会にゲストで呼ばれたり、『負けない―バセドウ病と共に生きる―』という冊子を一緒に作ったり。この冊子は現在、日本甲状腺学会や学校の保健室、病院の待合室などにも置かれています。

岡森さんが子どもたちに伝えたいこととは?

知識は「将来自分の世界を広げるための道具」
学ぶことの楽しさを知ってほしい

岡森陽子さん

中学生のとき、母からこう言われたことがあります。「やったらやっただけ前に進めるのは勉強くらい。仕事になるとそういうわけにはいかない」と。自分で仕事の営業もするようになって、それは日々実感しています。たとえば100件営業して、仕事として成立するのは1件あるかないか。貼り絵の仕事は何か資格があるものではないし、ただ実績を積み重ねるしかないんです。でも、こういう“粘り強さ”は、公文で培ったものだなと本当に思います。

もしいま、子どもたちが「どうして勉強しなきゃいけないんだろう」って思っているなら、「将来社会で活躍するための道具になる」と考えたらどうでしょう。「知らないよりは知っているほうがいいこともある」くらいの気持ちです。

「勉強」と考えるとしんどいですが、私たちは生まれたときから意識せずともさまざまなことを「学んで」きているんですよね。言葉も、人付き合いも、物事の良し悪しも。知らないことをひとつずつ学びながら、大きくなった。だから人生はすべて学びでできている。私は、これからも子どものときの無邪気な好奇心を忘れずに生きていきたいと思っています。そして自分の活動が、誰かの学びや救い、勇気になってくれたら……それができれば自分の人生に悔いはないです。

岡森さんが思い描くこれからの夢とは?

人はそれぞれみんなスペシャリティ

岡森陽子さん

病気になって分かったこと、それは「地球上には誰ひとり同じ人間はいない」ということ。人はそれぞれみんなスペシャリティ。病気や障害は個性であると、私は信じています。

これから私が貼り絵の活動を通じてやりたいことは、「“自分なんかいなくていい”という人を1人でも減らす」ことです。具体的には、事業を確立したいと思っています。何らかの事情で社会とコミュニケーションを取るのが難しく、結果的に引きこもりになってしまった人を、今まで多く見てきました。本人は決して引きこもりたいと思っているわけではないのに、どうしていいか分からない。そんな人たちに、貼り絵を入り口として、「外の光を浴びに行きたいな」と思ってもらえるような居場所づくりがしたいと思っています。

素晴らしい才能を持っているのに対人関係がうまくいかないだけで引きこもってしまう。それって、その人にとっても、社会にとっても大きな損失だと思うんです。ゆくゆくはその居場所づくりをビジネスモデルとして公開して、別の方に参考にしてもらえるようなものにしたいとも思っています。

貼り絵は、絵の具と違って色を混ぜることはできませんが、重ねることはできます。色が重なって、彩りになる。私は、これは人間も一緒だと思っています。一人ひとりの個性を混ぜて消すのではなく、個性を重ねてつなげていくことで、人の輪が生まれる。重なり合うことで、その人自身の色はさらに輝きを増すのではないでしょうか。

今に至るまで、私は本当に多くの方に助けてもらってきました。助けてもらわなければ前に進めませんでした。「私の活動のモチベーションは人とのつながりにある」といっても過言ではありません。それくらい、たくさんの方から力をもらっています。

そんな私が言えることは「助けてもらうって悪いことじゃない」ということ。人って助け合って生きているものなのです。一人ひとりのよいところは伸ばして、できないところは助け合いで補い合う。自分の活動が、そんな社会を築き上げる一助になればと思っています。

関連リンク
岡森陽子 公式サイト「紙技(かみわざ)」岡森陽子 ユニット「Valentine eve」サイト

岡森陽子さん 

前編のインタビューから

-いろいろな人が気軽に楽しめる貼り絵の魅力
-岡森さんの公文の思い出とは?
-高校3年でバセドウ病を発症した当時の様子とは?

前編を読む

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