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Vol.026 2015.11.06

全国カヤネズミ・ネットワーク代表
畠佐代子さん

<前編>

自分のできることを
一つひとつ積み重ねることで
大きな答えが見えてくる

全国カヤネズミ・ネットワーク代表

畠 佐代子 (はた さよこ)

京都府出身。全国カヤネズミ・ネットワーク代表/博士(環境科学)。河川や里山の野生生物の保全に、研究と市民活動の両面から取り組む。滋賀県立大学環境科学部で環境動物学の非常勤講師のほか、東京大学空間情報科学研究センターの客員研究員を務める。著書に『すぐそこに、カヤネズミ 身近にくらす野生動物を守る方法』(くもん出版)など。

身近な野生動物を守りたい―― そんな一途な思いで「全国カヤネズミ・ネットワーク」を立ち上げた畠佐代子さん。体長はわずか6センチほど、体重は10グラムにも満たない程度、オレンジ色の小さな小さなカヤネズミは、自然環境の変化や開発の波に押されてその姿を消しつつあるといいます。小さな命の尊さ、そして研究に保護活動に、畠さんを突き動かす原動力についてうかがいました。

目次

一年の間に二つの生息エリアが潰されてしまった現実

全国カヤネズミ・ネットワーク代表 畠佐代子さんカヤネズミ

現在カヤネズミの生息エリアとなっているこの場所(京都市桂川流域)にたどり着いたのは、いくつかの偶然が重なってのことでした。私がカヤネズミの研究を始めたのが1998年。当時は今ほどカヤネズミのことは知られていなくて、研究もされておらず、どこに生息しているのかもよく分からない状況でした。

最初はとにかくカヤネズミがいそうな場所を本や論文を頼りに足で探して、ようやく出会ったのが、京田辺市にある同志社大学田辺キャンパス近くの休耕田。オレンジ色の小さな生き物を見て、巣も見つけてすごく感動したのを憶えています。ところが次にもう一度そこを訪れてみると、草刈りがされていて、巣もカヤネズミもいなくなっていました。

その後、今度はお茶畑近く、オギやススキが生える小さな茅原(かやはら)で赤ちゃんを見つけて、そこでカヤネズミの親子の観察をずっとしていました。そこが私の最初の調査地ということになりましたが、翌年の春には、開発にともなう土砂捨て場になってしまって……。それからまた探して、この桂川と同じ淀川水系の木津川の堤防に巣をたくさん見つけましたが、調査を再開して1か月後に、またも草刈りによって全滅してしまいました。この桂川を調査地にしたのは、その後です。

たった一年の間に少なくとも二つの調査地が潰されてしまったという現実に、私は危機感を覚えました。日本中でおそらくこんなことがあちこちで起っている、そうなればカヤネズミのような小さな生き物はあっという間にいなくなってしまうのではないか、という危機感です。

カヤネズミのおもなすみかは、オギやススキ、ヨシなどの、背の高いイネ科の植物がたくさん生える草むら(茅原)です。ハツカネズミやクマネズミ、ドブネズミなどの外来種と異なり、人家にすみつくことはありません。昔はふつうに川原や田んぼで出会える生き物でしたが、現在は絶滅の危機にある生きものの情報をまとめた「レッドデータブック」に掲載されるほど、日本から姿をだんだん消しつつあります。その理由は、天敵の増加や食料の不足ではなく、カヤネズミが住める草地の減少です。

そこで、研究と並行しながら保護活動をスタートさせました。それが全国カヤネズミ・ネットワークにつながっています。今は大学で教鞭をとりながら、琵琶湖・淀川水系で、カヤネズミの生態を調べたり、生息環境のモニタリングなどのフィールドワークに取り組み、各地で講演活動も行っています。

動物関係の本を読みあさった子ども時代

動物関係の本を片っ端から読んでいた子ども時代

全国カヤネズミ・ネットワーク代表 畠佐代子さん

小さい頃、私の家ではたくさんの生き物を飼っていました。インコにニワトリ、猫に金魚、ハツカネズミ、そして虫やカメも(笑)。本が好きで、とくに生き物の本をたくさん読んでいましたね。椋鳩十さんの作品をはじめ、『野生のエルザ』や『シートン動物記』など、とにかく図書館にある動物関係の本を片っ端から読んでいるような子どもでした。

私の住んでいた家は京都のど真ん中で、祇園祭の山鉾が立つような場所。周りに自然と呼べるようなものはほとんどありませんでしたが、父が休みごとに大文字山や比叡山、桂川の上流など、自然豊かな場所に連れて行ってくれました。

また、祖父が京都の西、あの有名な苔寺の近くに畑を借りていまして、週末になると祖父にくっついてお手伝いをしに行きました。近くの小川にたくさんの生き物がいるんですよ。サワガニがいて、トノサマガエルもいたし、今は本当に少なくなってしまいましたけどカジカガエルもきれいな声で鳴いていました。

ところがそこの小川が河川改修でコンクリート固めにされてしまって、それまでよく鳴いていたカジカガエルがピタっと鳴かなくなってしまったんです。それから二度とその場所で鳴き声を聞くことはありませんでした。小さい頃からまるでエアポケットのようにそこから自然が無くなっていくのを身近に体験してきました。動物好きな性格とその実体験も重なって、野生動物を守りたいという気持ちは当時から少しずつ育っていったんだと思います。

研究者である畠さんが選んだ進路は文系だった!?

研究でも大切な、小さな成功体験を積み重ねていくこと

全国カヤネズミ・ネットワーク代表 畠佐代子さん

私の家は祖父母と父母、弟妹の他に叔父叔母も同居する大家族。商売をしていたので従業員の方もいて、お客さんもつねに出入りしている状態。ですから子育ては色んな大人が分担していました。本を読んでもらうのは叔母の担当だったんですけど、あまりに私がいつも読んでとせがむので困ってしまって、早くから字を教えてくれたんですね。

そのおかげで3歳くらいからは自分で読み出して、家にある本はあらかた読んでしまいました。両親は本に関しては好きなものを買ってくれたので、自然と国語が得意になりました。詩を書いて、それに絵をつけたもので賞をもらったりもしていました。

その一方で、算数はちょっぴり苦手でした。早とちりで、計算をよく間違う子。それが公文に通うきっかけだったんですね。公文を始めてからお陰さまで成績表は5になりました。最初は簡単な問題から解いていくじゃないですか。それで○をたくさんもらえるのが嬉しかったですね。苦手意識を持つことなくやれたかなと思います。

×が減って○が増えて先に進めることが、自信につながるというか。自信は次の一歩の原動力になりますし、できることを増やすこと、それは今の仕事にも生きているような気がします。小さな成功体験が積み重なっていくのは、研究においてもとても大切なことだと思います。

子どもの頃の夢は、獣医さんやレンジャーでした。子どものせまい知識の中で、野生動物を守る仕事といえばそれくらいしかイメージできなかったので。その気持ちはずっと持っていたんですけど、大学に入るときは自分の得意分野である国語の道に進みました。

国語の先生になろうと教員の免許を取って。それから色々あって卒業後は一般企業へ就職しました。ただ、自分のやりたいことより、出来ることを選んでしまった心残りはその後もずっと抱えることになります。

関連リンク
全国カヤネズミ・ネットワーク『すぐそこに、カヤネズミ』(くもん出版)


全国カヤネズミ・ネットワーク代表 畠佐代子さん  

後編のインタビューから

-学び直しを後押ししてくれた夫の一言とは?
-全国カヤネズミ・ネットワークができるまで
-畠さんから子どもたちへのメッセージ

後編を読む

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