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Vol.015 2014.11.07

サイエンスCGクリエイター 瀬尾拡史さん

<前編>

難解なものを「正しく、楽しく」
理解できる仕組みを作りたい

サイエンスCGクリエイター

瀬尾 拡史 (せお ひろふみ)

1985年生まれ。株式会社サイアメント(SCIEMENT)代表取締役。東京大学医学部医学科卒業。大学在学中に専門スクール、デジタルハリウッドにも入学してCG制作を習得。現在は医学の専門知識に裏付けされたCG技術を医療や科学に活かす、サイエンスCGクリエイターとして活躍中。

「サイエンスを、正しく、楽しく。」をモットーに、日本でただひとりの“サイエンスCGクリエイター”として活躍する瀬尾拡史さん。東京大学医学部卒という異色のクリエイターが、サイエンスCGへと突き動かされた力とはいったい何か。そのルーツと展望を探ります。 注)CG:コンピュータグラフィックス(computer graphics)

目次

「勉強」という意識なく勉強していた小学生時代

サイエンスCGクリエイター 瀬尾拡史さん(前編)

ぼくの仕事は「サイエンスCGクリエイター」です。CGクリエイターとはいえ、扱う題材が娯楽的なカラーが強いエンターテインメントではないということで、最初に「サイエンス」をつけたということです。たとえば心臓の動きを映像化したような医療系のCGを中心として、薬品がヒトの身体のなかでどんな働きや作用をするのかを分子レベルで可視化するCGなども制作しています。医師免許もありますし、2年間の初期研修も修了していますが、医師としての活動はしていません。

小学校時代、勉強は好きだったと思います。というか、「勉強」という意識はなかったかもしれません。公文は4歳くらいからやっていましたから、それこそゲームに近い感覚でした。「ルールを憶えて、いかに速く解くか」というようなですね。小学4年のときには高校3年くらいの数学教材をやっていたと記憶しています。そのおかげか、中学受験に対しても特にたいへんだったという意識なく取り組めていましたね。

一方で、漸近線や指数・対数などの問題を小学生で解くことはできても、それをいったい何に使うのかとか、これは何に役立つんだろうとか、そういうことは全然分かっていなかったですね。解くための知識やルールは分かるんですけどね。そのギャップはありました。もちろん、後年、「こんなところで使うんだ」「こういうふうに役立つんだ」とわかるのですが、小学生時代はパズルやゲームの感覚でやっていたと思います。

ギャップといえば、小学生時代のぼくは、意外と足が速かったんです。よく言われていたのが、「運動神経はないけど身体能力は高い」。走ったり跳んだりは得意だったんですけど、そこに球技みたいにボールが絡んでくると急にダメ(笑)。「なんでおまえ足速いのに、ボールだめなの?」と、友だちには不思議がられていましたね。外で遊ぶのはけっこう好きで、友だちと公園でサッカーやったり缶蹴りしたり、ふつうの遊びに熱中していました。

子どものころから両親によく言われていたこととは?

勉強より「整理整頓」に厳しかった両親

サイエンスCGクリエイター 瀬尾拡史さん(前編)

両親から「勉強しろ」とは全然言われませんでしたが、「掃除しなさい」「整理整頓!」はよく言われていました。これは今でも言われていますね(笑)。ぼくは掃除や整理がすごく苦手で、どうやったらキレイにできるのかが分かりません。そんなですから、両親は勉強のことより生活一般に関してのほうがずっと厳しかったですね。とはいえ、うちの親は二人とも仕事をしていたので、家の手伝いは比較的よくやっていたと思います。

本をたくさん読んだという記憶はあまりないのですが、母いわく、僕は自分で物語をよく書いていたそうです。内容はまったく憶えていないんですけど(笑)。ただ、お世話になった公文教室の先生は、今でもぼくの書いた物語を保管してくれているらしいんです。おそらく当時わが家にワープロがあったので、それを触りたかったんだと思いますよ。父親のようにキーボードをカチャカチャやりたかったんだと思います。

Windows95が発売されたときが、たしか小学4年。そのころからパソコンには興味もありましたし、親からもくり返し「これからの人間はパソコンくらいできてあたり前」と言われていましたから。小学6年のときにはすでにタッチタイピングの速さには自信がありました。キーボードの表を母親が作って、せっせとそれで練習していたことも憶えています。

中学に入学してからは、中高一貫校だったこともあり、友人たちとの付き合いもかなり濃い学校生活を送っていました。パソコン部に入っていたのですが、そのころの友だちとは今でもつながりがありますね。

サイエンスCGクリエイターになるきっかけとは?

CGを使って解き明かされる人体の仕組みと不思議に感動

サイエンスCGクリエイター 瀬尾拡史さん(前編)

ぼくが中高のころ通っていた学校は、よく言えば自由、反対に言うと……まぁ、野放しです(笑)。ポテンシャルが高い人がたくさんいたので、そういう人たちといっしょにいると、何となくこれからの道も見えてくるという感じでした。

「見えてくる」のとは逆に、完全に道が閉ざされる気持ちになることもありますよ。能力が高すぎるクラスメイトがいたりすると、「コイツと同じ道に行ったら食っていけないぞ」と一瞬で察してしまう。ぼくは数学が好きだったので、将来もその道に進みたいなと思っていたんですけど、同じクラスに国際数学オリンピックの最多出場記録保持者がいまして、中学に入学して2週間くらいで、彼が話すことや解く数式のレベルの高さに驚き、「スゴすぎるぞ……」と思わずにはいられませんでした。数学ができるって、こういうことなんだなぁと早くも現実を突き付けられた思いでした。ある意味、初めての挫折です。

ぼくの人生のなかで最初の衝撃的な出来事が、中学2年のときにありました。NHKでやっていた『驚異の小宇宙~人体』というシリーズ番組を観たんです。CGを使って解き明かされるヒトの身体の仕組みや不思議さに深く感動しました。男子なので、もちろん映画の『ジュラシックパーク』なんかを観て、「超カッコイイ!」と思ったりしていたんですけど、それとは違うおもしろさが『人体』にはありました。

恐竜とかモンスターが映像で自在に動くようなCGではなく、人体の構造やいろいろな臓器の動きといった、とてもむずかしそうなことを楽しく説明してくれている。そこにとても興味を覚えました。そのころちょうどパソコン部で市販のソフトウエアを使わずに、自分たちのプログラミングだけでCGを作っていたこともあり、「あぁCGにはこういう使い方もあるのか」と驚くばかりでした。それからですね、将来こういうのを作ってみたいなと漠然と思うようになったのは。

それから3年後。高校2年のときに、同じ番組を学校の生物の授業のなかで観たんです。中学2年で初めて観たときとは違い、こんどはある程度の基礎知識があったので、改めて子どもだましのCGではなく、多少のデフォルメはあるものの、内容は非常に正確に作り込まれていることが分かりました。

中身や本質をちゃんと分かったうえで、それを表現する手段としてCGを使えば、いろいろなことができるのではないか、可能性は大きいと思いました。これが今のぼくの仕事の原点だと思います。大学で医学部を選択したのも、正にそれです。人体の医学的な正しい知識を学びたいと思ったからです。


サイエンスCGクリエイター 瀬尾拡史さん(前編)  

後編のインタビューから

– 東大医学部で、CGの専門スクールで、それぞれの学びを大切にした学生時代
– 「すべてのことが一流ではなく二流であるという認識があります」と瀬尾さんが考える理由とは?
– 講演後、聴いていた少女から伝えられた衝撃的な、けれどしみじみよかったと感じた一言

 
 

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