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Vol.001 2013.09.13

棋士 羽生善治さん

<後編>

「迷い」の経験によって、
人は物事を判断する
「ものさし」を身につける

棋士

羽生 善治 (はぶ よしはる)

1970年埼玉県生まれ。15歳で四段に昇段して史上3人目の中学生棋士に。
1996年には、7大タイトルを同時に獲得する史上初の七冠となる。2017年には永世竜王を獲得し、史上初となる「永世七冠」を達成。
公文学習歴:小2から算数・数学を学習し、奨励会に合格し忙しくなっても中3まで継続。

稀代の天才棋士と言われ、長く将棋界を牽引している羽生善治さん。羽生さんは何を思いながらその一手を指すのでしょうか。羽生さんの半生と将棋哲学から、夢や目標を実現するためのヒントを探ってみたいと思います。

目次

「習うより慣れろ」の意味

棋士 羽生善治さん

十代二十代のころは、記憶力や計算力中心で指している感じですが、四十代に入るともうちょっと違う能力を身に付けなきゃいけない。経験値、感覚ですね。アクセルとブレーキの微妙な踏み加減みたいなものですね。

自分自身の変化と時代の変化、その両方に対応する順応することが求められるのです。たとえば覚えることより忘れることが多くなってきたらどうするかですが、忘れても思い出せればいいんです。思い出せるかどうかのカギは、そのものに対する理解度に関係していると思います。その物事を深く理解していれば、たとえ忘れてもすぐに思い出せる。

ただ単に丸暗記したものはすぐ忘れてしまいますから。ちゃんと覚えるためには、視覚だけに頼らないことです。誰かに話すなりノートにつけるなり、五感を使ったほうが記憶は間違いなく定着します。公文式学習もそうだと思いますが、ある問題や課題を目や耳や手を使ってサッとできるようにする訓練だと思うんです。

つまり、考えるまでもなく、できる部分のおかげで、ほかの部分を考える余裕ができて、結果問題が短時間で解けるようになると。そのために何回も繰り返しやるんですね。頭で覚えるというよりも体で覚えるというか、自然に手が動くようにやっているんだと思います。

「習うより慣れろ」という言葉がありますけど、あの「慣れろ」とは不慣れな部分に集中するために、簡単なところはサッとできるようにするということなんだと思います。

実際にたくさんの対局をしていくなかで、様々なケーススタディを学んでいるなぁと感じることがあります。どういう場面のときにどういう選択をするかというのを、実際の人生でやってしまうとすごくリスクがあるでしょう。

将棋での経験が、将棋以外の物事の判断基準になっている。いや、こういうふうに言ったほうがいいかもしれない。これはやってはいけないという選択肢が見えやすくなる。プロ棋士だって人間ですからミスをすることもあります。大事なのはその困難な状況をどう打開するかなんです。そのときの選択肢をいくつ持っているか、経験を重ねる利点はそういうところにあるのではないでしょうか。

負けを受けとめる大切さとは?

負けを受けとめる大切さ

棋士 羽生善治さん

負けを上手に受けとめることも、生きていくのには必要なことだと思います。そのためにはまず忘れること。若いときはひとつの負けを何日も引きずってしまうところがあるんですけど、今はすぐ忘れますからね(笑)。そこで切り替えができる。

あと、どんなことでも同じでしょうが、究めるには道のりが長いというのを実感としてわかってくるというのもあります。もちろん十代の時でも感覚としてはわかってはいますが、私は三十代後半くらいになってきて、本当に長いんだなぁというのが身に沁みてわかってきました。だからあまり一回一回のことを気にしてもしょうがないと。

この世に完璧な人などいないので、ミスがあるのはしょうがないと割り切ることです。完璧じゃなくてはいけないという思い込みを捨てるといいましょうか。ミスは当然起こる。同じミスをするのでも、大きなミスじゃなくて小さなミスで済むような手札は持っておくことです。

それには良い意味の「いいかげんさ」が必要なのではないでしょうか。一度の負けですべてが終わってしまうほど、人生は単純じゃないと思います。ひとつのベンチマークとして、柔軟さや寛容さが大事なのではないかと思うのです。それは自分自身にも、他人に対しても。

若い人たちへ伝えたいメッセージとは?

「迷う」からこそ「ものさし」ができる

棋士 羽生善治さん

若い方にはどんどん迷って欲しいと思います。今、道に迷っても携帯で道案内してくれるじゃないですか。道案内に頼るんじゃなくて、自力で探す。それに尽きると思います。迷うことで嗅覚が鍛えられます。どんなに先回りして考えても、いつか必ず迷う場面に出くわすんですよ。

だから小さいうちは、なるべくそういう場面を経験したほうがいいんじゃないかと思います。道に迷ったら、とりあえずうろうろするでしょう。後から見たらすごく回り道をしてたとか、とんでもないところに行ってたとかわかるんですけど、でも知らない道ではいろいろやってみて初めて状況が変わるんです。自分なりの手段を尽くすと申しましょうか。

迷い道の経験によって、人は知らず知らずのうちに物事を判断する「ものさし」を身につけるんですよ。分数の計算が解けるようになるのに1週間くらいかかったとか、竹馬に乗るのに1か月練習したとか、これくらいの努力やがんばりでこれくらいのことができるっていうものさしを作っている。

3日くらいでできるものさしもあれば、3年かかるものさしもある。未知なるものに出会ったとき、そのものさしを基準に判断するというのはよくあることだと思います。これは半年くらいかかりそうだから半年間がんばってみようとか、これは10年くらいかかりそうだからやめようとか。

たくさんの種類のものさしがあれば、そのときにどういう選択をすべきかが明確になるし、不安にならないし、ある程度迷いなく選択することができるのではないでしょうか。私もまだまだ暗中模索で一手一手選んでいるのが実のところですが、たとえ年齢を経て将棋のスタイルが変わったとしても、自分の棋譜を貫く“ものさし”だけは変わらないと思うのです。

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